前日譚7
「ところで、ドラムって言ってたけど、どこにあるんですか?」
「ああ、拓海んちは地下に防音室があるんだ」
「ええっ!?」 絶句
「ここにある楽器は、ほんの一部だよ」
結月は拓海をちらっと見て、
「……音楽室……見てみたい……」
結月の声は、思ったより小さかった。
言い切らない。お願いでも、確認でもない。
ただ、漏れた本音。
拓海は一瞬、ベースのネックを見たまま止まる。
モモが、その間を拾った。
「地下だよ。階段、急だから気をつけてね」
「ちょ、モモ」
「いいじゃん。どうせいずれ見るでしょ」
さらっと言うが、モモの目はちゃんと拓海を見ている。
“逃げ道は用意した”という顔だ。
拓海は小さく息を吐いた。
「……散らかってるけど」
それだけ言って、立ち上がる。
結月は一瞬、拳を握った。
顔に出さないようにしているけれど、心臓の音がうるさい。
階段は、本当に急だった。
家の中とは思えない、コンクリートの冷たい匂い。
電気がつく。
——そこにあったのは、部屋というより、巣だった。
フルサイズのドラムセット。
壁一面の吸音材。
マイクスタンド、ミキサー、アンプ、ケーブル。
ギターが、何本も。
ベースも。
トランペット、ユーフォニアム、トロンボーンまで。
キーボードは、上に布をかけて二段。
譜面台の横には、書きかけのスコア。
結月は、完全に言葉を失った。
「……」
モモが、ぽつりと言う。
「ね。ほんの一部でしょ」
結月は、ゆっくりと部屋を見回す。
音楽室、という言葉では足りない。
ここは、拓海の思考がそのまま置いてある場所だった。
「……すごい」
それだけ、やっと出た。
拓海は、少し後ろで腕を組んでいる。
「趣味だよ」
「嘘」
即答だった。
結月は、振り返って拓海を見る。
「これは......趣味じゃないです」
拓海は、返す言葉を探して、見つからなかった。
モモが、くすっと笑う。
「でしょ?」
結月は、ドラムの前に立つ。
叩かない。ただ、見る。
「……ここで、全部考えてたんですか」
「全部って?」
「曲も、音も、誰にどう届くかも」
拓海は、少しだけ視線を落とす。
「……考えすぎると、音出したくなるだけ」
結月は、吸音材に手を伸ばす。
指先に、ざらりとした感触。
「この部屋……」
一拍置いて。
「外と、完全に切り離されてますね」
拓海が、小さく頷く。
「だから、正直になれる」
その言葉に、結月の胸が、静かに鳴った。
モモは、壁にもたれかかる。
「最初ここ見たときさ」
「この人、ずっと一人で戦ってるんだなって思った」
拓海が、眉をひそめる。
「戦ってない」
「戦ってるよ」
モモは、優しく言った。
「音と、自分と」
結月は、拓海を見る。
「……ここで音出していいですか」
拓海は、驚いたように目を上げる。
「今?」
「一音だけでいい」
沈黙。
拓海は、ドラムスティックを一本、手渡した。
「どうぞ」
結月は、深呼吸して、スネアを――
――タン
ほんの一打。
でも、その音は、柔らかく、芯があった。
吸音材に吸われて、余韻だけが残る。
拓海は、はっきりと分かってしまった。
――この子は、音を出す人だ。
モモも、何も言わない。
結月は、スティックをそっと戻す。
「……ここでなら」
小さく、でも確かな声。
「迷わず、音楽できますね」
拓海は、初めて、はっきり笑った。
「……うん」
地下の防音室は、外界と切り離されている。
でもその夜、確かにここは、三人を繋ぐ場所になった。
まだ名前のないバンドの、最初の心臓音が、静かに、ここで打たれた。




