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残響のプレリュード  作者: erg
前日譚

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42/82

前日譚6

 ベースが入って、音が一段落したところで。

 ――コン、コン。

 軽くノックして、ドアが開いた。


「……ちょっと、いい?」


 冴子だった。三人は一斉に音を止める。


「ごめんなさい、うるさかったですか」


 結月が慌てて立ち上がると、冴子は首を振った。

 母としては、拓海が自分の部屋に女の子といるので、様子を見に来たのだ。


「ううん。全然。よかったらみんなでお茶でもと思って」


 そう言って、部屋を一目見回す。楽器。譜面。配置。一瞬で状況を理解した顔だった。


「曲作り?」


「……うん」


 拓海が少しだけ照れたように答える。

 冴子は、結月のキーボードに目を向ける。


「あなた、ピアノの子ね」


「え?」


「音の置き方で分かる」


 さらりと言われて、結月は目を瞬かせた。


「私もね、昔は吹奏楽やってたの。ユーフォニアム」


 懐かしそうに笑う。


「今の、ちゃんと“歌の邪魔しない音”だった」


 モモが、少し驚いた顔で冴子を見る。


「……分かる人だ」


「分かるわよ」


 冴子は軽く肩をすくめる。


「家で毎日、ドラム叩かれてたら嫌でもね」


 拓海が苦笑した。


「ごめん」


「いいの。時間と音量守ってくれれば」


 そう言って、ドアを閉めかけた、そのとき。


「……ママ!」


 廊下から、のぞみの声。


「ちょっと来て!」


 冴子は足を止める。


「なに?」


 のぞみは、拓海の部屋をちらりと見てから、ぐっと唇を噛んだ。


「……おにい、あんな子、連れてくるって聞いてなかった」


 空気が、一瞬止まる。拓海が眉をひそめる。


「だから、バンドだって......」


「でも!」


 のぞみは、結月をまっすぐ指さした。


「最近、おにい、家でも楽しそうなんだもん!」


 ――ドン。


 それは、小さいけれど、確かな爆弾だった。


 結月は息を呑む。

 モモは、何も言わずに視線を落とした。

 冴子は、しばらく黙ってのぞみを見る。


「……それが、嫌なの?」


 のぞみは、俯いたまま、ぼそっと言った。


「……嫌っていうか……」


 言葉を探して、詰まる。


「……取られそうで、やだ」


 その正直さに、誰もすぐには反応できなかった。

 冴子は、ゆっくりとのぞみの頭に手を置く。


「拓海は、取られないわよ」


「……ほんと?」


「ほんと」


 即答だった。


「この子はね」


 冴子は、今度は拓海を見る。


「音楽が絡むと、人に優しくなるだけ」


 拓海は、何も言えずに目を逸らす。

 冴子は続ける。


「でも、それは“奪う優しさ”じゃない。一緒に音を出した人を、ちゃんと仲間として見るだけ」


 そう言って、結月とモモを見る。


「あなたたちも、同じ」


 のぞみは、少しだけ納得しかけた顔をした。


「……じゃあ」


 小さな声で、モモが言った。

 全員の視線が、彼女に集まる。


「私が言うのも、変かもしれないけど」


 一度、息を吸う。


「拓海って、誰か一人だけを見る人じゃない」


 拓海が、はっとしてモモを見る。


「音を見てる」


 モモは、まっすぐ言った。


「だから……」


 少しだけ、声が揺れる。


「だから、近くにいると、勘違いしそうになる」


 沈黙。

 結月は、胸がきゅっと締まるのを感じた。

 モモは、でも笑った。


「でも、それ分かってるから、私は、ちゃんと距離取れる」


 拓海は、何も言えなかった。

 冴子が、静かに言う。


「それなら、大丈夫。音楽やってる人はね」


 そう言って、三人を順に見る。


「ちゃんと、自分で線を引ける」


 のぞみは、モモをじっと見てから、ぷいっと顔を背けた。


「……ずるい」


「なにが?」


「大人」


 モモは、少し困ったように笑った。


「なりたくてなったわけじゃないよ」


 その空気に、結月は気づく。

 ――ここにいる人たちは、誰も嘘をついていない。

 冴子は、最後に手を叩いた。


「はい、じゃあ」


「続きやるなら、あと一時間ね」


「終わったら、お茶にしましょう」


 そう言って、今度こそドアを閉めた。

 残された四人。

 のぞみが、ぼそっと言う。


「……曲、かっこよかった」


 拓海が、少し驚く。


「ほんと?」


「……うん」


 それだけ言って、のぞみは部屋を出ていった。

 沈黙のあと。

 モモが、結月を見る。


「ね」


「ん?」


「この曲さ」


 少しだけ、真剣な目。


「ちゃんと完成させよう」


 結月は、強くうなずいた。


「うん」


 拓海は、ベースを構え直す。


「じゃあ」


 小さく、でもはっきり言う。


「続き、やろうか」


 この部屋で生まれた音は、まだ未熟で、まだ名前もない。

 でも。

 誰かを奪わず、誰かを押しのけず、それでも前に進もうとする音だった。

 ――プラチナムーンは、まだ影も形もない。

 けれど、その“あり方”だけは、この夜に、はっきりと決まっていた。

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