表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響のプレリュード  作者: erg
前日譚

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/82

前日譚2

 そんなある日。部活は休養日だった。


「さて、放課後、何しようかな」


 特に用事もなく、なんとなく駅へ向かって歩いていると、視界の先で見覚えのある後ろ姿が目に入った。

 ――拓海先輩だ。

 しかも、隣には女の子がいる。工業高校と道路を挟んだ向かいにある南高校の制服だ。二人は並んで歩きながら、楽しそうに話している。


「……おお、彼女かな」


 思わず、そんな考えが浮かぶ。

 拓海は優しいし、落ち着いているし、音楽もできる。彼女がいても、全然おかしくない。

 なんとなく、ほんの出来心で、少しだけ距離を保ったまま後をついていく。

 二人は、迷いなく駅前の楽器店SOUND DOCKに入っていった。


(あっ、そっちなんだ)


 恋人同士なら、映画とかカフェとか、そういう場所を想像していた結月は、少しだけ拍子抜けする。

 ガラス越しに見えたのは、壁一面の楽器と、並ぶ譜面。二人は自然に足を止め、管楽器コーナーへ向かっていった。

 ――デート、というより。


(……打ち合わせ?)


 結月は入口の前で立ち止まり、少しだけ考えた末、店の中へ入った。空気に漂う、金属と木と、オイルの匂い。聞き慣れたその匂いに、なぜかほっとする。

 拓海はトランペットを手に取り、一本一本を指差しながら、丁寧に説明していた。真剣な横顔は、部活で見る時と同じだった。

 ――ああ。

 この人は、こういう人なんだ。結月は、なぜか安心した。


「この辺は吹きやすいけど、音が軽め」

「こっちは最初はきついけど、ちゃんと鳴らせるようになると強い」


 内容はとても詳しくて、部活ではパーカッションだけど、以前はトランペットをやっていたのだろうか。

 女の子は、真剣な顔でうなずき、時々、楽器を構えて息を入れる真似をする。

 すくなくとも恋人同士の距離感ではなかった。信頼できる音楽仲間という空気だった。


(……やっぱり)


 結月は胸の中で、ひとつ息をつく。

 拓海は、こういう場面でも変わらない。誰かの音楽に、真剣に向き合う。だから、頼られる。

 女の子が、少し困ったように言った。


「予算、これくらいなんだけど……」


 拓海は、即座に現実的な選択肢をいくつか挙げた。


「無理して上位機種を買うより、ここを選んだ方がいい。その分、マウスピースをちゃんと合わせよう」


 結月は、その横顔を見て思った。

 ――この人、彼女ができたとしても、きっとデートに楽器屋連れてくる。

 そんな想像が浮かんで、思わず小さく笑ってしまった。

 そのとき、拓海がふと顔を上げた。


「……あれ?」


 視線が合う。


「あ、結月」


 わずかに口角が上がるのを見て、結月は少し驚いた。


「偶然だね」


「はい。偶然......です」


 そう答えながら、結月は思った。

 この人は、どこにいても、結局「音楽の人」なんだな、と。


「こんにちは」


 女の子が結月に気が付いて、にこっと笑った。

 彼女の正体は、立花桃花。南高の一年生。トランペット吹き。拓海から何度か名前を聞いたことがある。

 今日、拓海はモモに呼び出されていたらしい。用件は楽器の相談。

 モモは、これまでずっと吹奏楽部備品のトランペットを使ってきた。高校生になって、ようやく親から「自分の楽器を買っていい」と許しが出たのだという。

 ――それは、管楽器をやっている人間にとって、一つの節目だ。


「拓海の部に入った子?」


 少し首をかしげながら、でも迷いのない口調だった。


「男子の中に女子が入って、みんな浮足立って大変だったって」


 結月は一瞬、言葉に詰まる。


(……もう、そんなところまで知ってるんだ)


 拓海は苦笑いを浮かべて、軽く肩をすくめた。


「言い方」


「だって本当でしょ? この前トランペット借りに行ったとき、拓海がいたから入れたけど、そうじゃなかったら怖くて入れないよ」


 モモは悪びれずに言う。結月は慌てて首を振った。


「最初は、ちょっとだけ。でも……拓海先輩が、止めてくれました」


 そう言うと、モモはふっと表情を和らげた。


「ああ、やっぱり」


 納得したような、どこか安心したような声だった。


「拓海って、そういうとこあるよね。誰かが特別になりそうな空気、ちゃんと戻す」


 拓海は照れたように視線を逸らす。


「別に、普通だろ」


「普通じゃないから言ってるの」


 二人のやり取りは、気取らず自然だった。そこには、恋愛特有の甘さはなく、長く音楽を共有してきた者同士の信頼があった。

 結月は、その空気を少し羨ましく思いながらも、嫌な感じはしなかった。


(……この人たち、ちゃんと音楽でつながってる)


 モモが結月のサックスケースに目を留める。


「サックス?」


「はい。中学からやってました」


「いいなぁ。ホーン仲間じゃん」


 そう言って、モモは楽しそうに笑った。結月は、その笑顔を見て、少しだけ肩の力が抜けた。

 ――この人も、敵じゃない。

 そんな当たり前のことを、ちゃんと確認できた気がした。

 拓海は、二人を見比べて言った。


「ちょうどいいな。今度、合同で音出す機会、作れたらいいんだけど」


 その一言が、後のすべてにつながっていくことを、このときの結月は、まだ知らなかった。

 拓海が、ふと思い出したように結月を見る。


「ちなみにさ」


 軽い口調だった。


「サックス以外の楽器、やったことある?」


 突然の質問に、結月は少し考えてから答える。


「……ピアノ、やってました」


 幼い頃から、中学に上がるくらいまで。吹奏楽を始める前の話だ。

 その瞬間、モモの目がきらっと光った。


「ちょうどよくない?」


 反応が早い。拓海も、納得したようにうなずく。

 そして、結月に向き直る。


「時間あるなら、ちょっと付き合える?」


 一瞬、警戒が勝つ。


「……いいですけど。何ですか?」


 すると拓海は、楽器店の奥へ続く階段を指差した。


「ここさ、」


 少しだけ声を落として、周りを窺いながら言う。


「地下、ライブハウスなんだ」


 結月は思わず瞬きをした。

 ライブハウス。言葉は知っている。でも、実際に足を踏み入れたことは、一度もない。

 モモが、少し楽しそうに補足する。


「たまに、昼間は貸しスタジオみたいに使ってるんだよ。今日は空いてるはず」


 拓海は、あくまで自然に言った。


「ピアノ、触るだけでいい。嫌なら、すぐ戻ろう」


 ――逃げ道を残してくれる、その言い方。

 結月は少しだけ迷ってから、うなずいた。


「……じゃあ、ちょっとだけ」


 階段を下りると、空気が変わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ