前日譚1.3
「おい、長谷川のやつ、小鳥遊の事名前で呼んでるぞ」
「この前の女子の事、モモって呼んでたよな」
「あいつ、もしかしてそういうやつか?」
「天然たらし......か?」
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拓海先輩以外のひとたちは、正直に言えばどう見てもヤンチャそうだった。
腕は太く、声は大きく、笑い方も豪快で、初対面では少し身構えてしまう。
けれど、一緒に音を出してみて、すぐにわかった。
この人たちは、音楽をやっている人たちだ。
チューニングが合わなければ自然に声をかけてくれるし、リズムがずれればさりげなく合わせてくれる。
失敗しても笑って流し、できたところはきちんと褒める。
――人は見た目によらない。
その言葉を、これほど分かりやすく体現している人たちはいなかった。
ただ一つだけ、結月が辟易したことがあった。
男子の中に女子が一人。その事実が、先輩たちを少しだけ過剰にさせた。
「重くない? 譜面、持つよ」
「休憩、先にいいよ」
「座ってていいから」
気遣いのつもりなのはわかる。でもそれは、対等な仲間としてではなく、「特別扱い」だった。
まるで、女王様にでもなったかのような扱い。
(……まずいかもしれない)
頭の中に、よくない言葉が浮かぶ。
――サークルクラッシャー。
自分は何もしていないのに、周囲の空気だけが歪んでいく感覚。
それが一番怖かった。
そんな空気に、最初にストップをかけたのが、拓海先輩だった。
「ちょっと、やりすぎ」
穏やかな声だったが、不思議とよく通った。
「結月は見学じゃなくて、もうメンバーなんだろ。だったら、みんなと同じでいい」
先輩たちは一瞬、きょとんとした顔をしたあと、はっとしたように笑った。
「あ、そっか」
「悪い悪い、そうだよな」
それだけで、空気はすっと元に戻った。
誰も責めず、誰も傷つけず、でも曖昧にしない。
拓海先輩は、そうやって自然に場を整えていた。
その姿を見て、結月は思った。
――この人がいるから、この部は大丈夫なんだ。
拓海先輩は、前に出て引っ張るタイプではない。
けれど、気づいたときには、皆がその背中を信頼している。
結月がこの吹奏楽部に居場所を感じたのは、音楽の楽しさと同時に、この「空気」を信じられたからだった。
もちろん、男女差の気遣いが完全になくなるわけではない。
重い物は自然と持ってもらえるし、更衣や体調のことも考慮してくれる。
でも、それは「特別扱い」ではなく、部員として、仲間としての配慮だった。
結月は、ようやく肩の力を抜いて部活に参加できるようになっていた。




