表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響のプレリュード  作者: erg
前日譚

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/82

前日譚1

 結月が高校に入学した春。


 工業高校建築科に進学した結月は、入学早々、少しだけ不安を抱えていた。

 中学三年間、吹奏楽に打ち込んできた。できれば高校でも続けたい。

 けれど、校内を歩く男子生徒たちは皆、体格がよく、声も大きく、どこか近寄りがたい。


 部活見学の日。

 意を決し、吹奏楽部の部室の扉を開けた瞬間、その不安は現実になった。

 鉄の重い扉を開けると前室があり、正面にさらに鉄の扉。その扉は開け放されており、いたのは当然ながら全員が男子。しかも工業高校らしく作業着姿のまま、肩幅の広い、いかにも「職人予備軍」といった面々ばかりだった。笑い声も荒く、結月は思わず一歩、後ずさりする。


(場違い、かもしれない……)


 そう思って回れ右をしようとした瞬間、視界の端に、ひとりだけ雰囲気の違う先輩が映った。前室の右側に事務室のような部屋があり、引き戸のガラス窓から見えたその人は、平均的な背で威圧感はなく、どこか柔らかい空気をまとっている。周囲の騒がしさの中で、その先輩だけが静かに譜面を整理していた。


 引き戸を開け、「あの……すみません」


 声が少し震えた。


「部活見学、したいんですけど……」


 一瞬、部室の会話が止まる。

 次の瞬間、その先輩が顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。


「ありがとう。来てくれたんだね」


 その一言で、結月の胸の緊張が少しほどけた。


「見学したいパートはある?」


 自然な問いかけだった。


「中学の時は、サックスパートでした。もし……欠員があれば、続けたいと思っています」


 そう答えると先輩はうなずき、すぐに立ち上がった。


「じゃあ、サックスのパートリーダー紹介するよ」


 迷いのない動きだった。


「こっち、ちょっと来て」


 その背中を追いながら、結月は思った。

 ――この人なら、大丈夫かもしれない。


「怖がらせるなよ」


 先輩がそう釘を刺すと、サックスパートの強面な先輩たちが、一斉に「……おう。任せろ」と、不自然なほど優しい微笑みを浮かべた。

 とはいえ、最初は怖いと思った先輩が、不器用ながらも、自分を「部員」として扱ってくれたことが、何より嬉しかった。


「中学でやってたなら、心強いね。よろしく」


 最後にそう言って、また穏やかに笑う。

 その先輩の名前が、長谷川拓海だと知ったのは、その直後だった。

 この日を境に、結月にとって工業の吹奏楽部は「怖い場所」ではなくなった。

 そして拓海は、ただの二年生の先輩ではなく、

 ——自分がこの高校で音楽を続けるきっかけをくれた人になった。


 --------------------


 部活見学を終え、部室を出る前に振り返った。


「さっきは、ありがとうございました」


 ぺこり、と頭を下げる。

 長谷川先輩は少しだけ驚いたように目を瞬かせてから、軽く笑った。


「いいよ。困ってたでしょ」


 その言い方が、あまりにも自然で、胸の奥が、少しだけ軽くなる。


「また来てね。今度は――部員として」


「はいっ!」


 ほとんど反射みたいに声が出た。


(――もう決めてます。長谷川先輩のおかげで)


「小鳥遊結月って言います」


「じゃあ、結月だね。よろしく」


 心臓が、一拍。

 “名字じゃない”ことに、少しだけ驚いて――

 でも、それ以上に。


「……はい。よろしくお願いします、拓海先輩」


 名前を呼んだ瞬間、

 距離がほんの少しだけ近づいた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ