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残響のプレリュード  作者: erg
第1部

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28/82

第1部 第21項

 支部大会のホールは、音が消えたあとも、しばらくざわめいていた。


 ステージ袖。

 ルナは、自分の息がまだ早いことに気づいて、ゆっくり深呼吸をした。


 ――出し切った。


 それだけは、はっきりわかる。


 結月は楽器ケースを抱えたまま、天井を見上げている。

 クミは目を閉じて、小さくうなずいた。

 サキは唇を噛みしめ、それでもどこか清々しい。

 レイは珍しく、誰とも目を合わせず、でも肩の力は抜けていた。


 やれることは、やった。

 全員、同じ顔をしていた。


 ただ一人――拓海を除いて。


 彼は、ステージから引き揚げたティンパニの横に立ったまま、動かなかった。

 楽譜を見つめ、拳を握りしめている。


 ほんの、ほんの一瞬。


 第3楽章、一番張りつめるところ。

 誰もが、気づかないほどのズレ。

 でも、拓海には分かった。


「……一番肝心な時に……」


 絞り出すような声。頭を垂れた。

 そんな拓海を、誰も見たことがなかった。


 強い。

 冷静。

 いつも一歩引いて、全体を見ている。


 その拓海が、自分を責めている。


 小編成は、ここが頂点だ。大編成みたいに、先はない。


 高校最後の年。金賞で終わらせたかった。


 結果発表。――銀賞。


 ホールに、小さなどよめき。

 拍手はあった。でも、どこか遠い音だった。


 最初に感じた小さな違和感。

 拓海のほんの一瞬が無くても、おそらく銀賞だっただろう。

 でも――


 楽器を片付け、ロビーへ向かう途中。

 拓海は、誰とも目を合わせなかった。


 ルナは、その背中を見ていた。


 ――今だ。


 心のどこかで、そう思った。


 追いかける。

 呼び止める。


 でも、モモの言葉がよぎる。


『追われるの、苦手』


 だから、ルナは走らなかった。


 拓海が立ち止まった場所――

 ホール裏の、人の少ない通路。


 そこに、音だけを置いた。


 ケースから、テナーサックスを出す。


 誰に聞かせるでもない。


 ホルスト

 吹奏楽のための第1組曲

 第3楽章。


 クライマックスの、ほんの、ワンフレーズ。

 本番より、少しだけ、息を深く。


 ――心を込めて。


 音は、壁に反射して、柔らかく戻ってくる。


 拓海は、振り向かなかった。

 でも、立ち止まった。


 ルナは、最後の音を、丁寧に置く。


 音が消えた。


 しばらくして、拓海が、低く言った。


「……ありがとう」


 それだけ。でも、うなだれた声じゃなかった。


「俺、止めちまった」


「うん」


 ルナは、否定しない。


「でも」


 少し、間を置く。


「止まったの、先輩だけじゃなかったよ」


 拓海が、ゆっくり振り向く。


「みんな、先輩の音を待ってた」


「……」


「だから、あれは、一人のミスじゃない」


 拓海は、何も言わなかった。でも、肩が、ほんの少し下がった。


「金じゃなかった」


 拓海が言う。


「でも、音楽は、ちゃんとあった」


 ルナは、うなずいた。


「私は、先輩のティンパニ、好きです」


 それは、告白じゃない。音楽の話として、ちゃんとした言葉。

 拓海は、一瞬だけ、驚いた顔をして。それから、小さく笑った。


「……救われるな、それ」


 遠くで、結月の声がした。


「おーい、拓海せんぱーい! 写真撮りますよー!」


 拓海は、深く息を吸って、顔を上げた。


「行こう」


 その背中は、さっきより、少しだけ、まっすぐだった。

 金賞じゃなかった。

 でも。この音楽は、終わっていない。

 ルナは、そう確信していた。

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