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残響のプレリュード  作者: erg
第1部

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26/82

第1部 第20項

 夜の合宿所は、 昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。

 最後の夜。消灯前。廊下の自販機の前。

 ルナがスポーツドリンクを買おうとしていると、背後から、軽い足音。


「――やっぱり、ここだと思った」


 振り向くと、モモがいた。ジャージ姿。髪は軽くまとめている。

 ステージの上とも、食堂とも違う、少し落ち着いた表情。


「……こんばんは」


「こんばんは」


 一瞬、沈黙。

 それから、モモは唐突に言った。


「あなた、拓海のこと好きでしょ」


 ルナの指が、自販機のボタンの上で止まった。

 否定しようとして――やめた。


「……はい」


 モモは、驚いた様子もなく、ふっと笑った。


「だよね」


 それは、からかう笑いじゃない。

 確信のある、静かな笑い。


「でもね」


 モモは、自販機にもたれかかる。


「拓海は、誰にも振り向かないよ」


 ルナの胸が、きゅっと縮む。


「……少なくとも、今は」


 その一言が、少しだけ、救いでもあった。


「地区のときの、 商業の一年生」


 ――メグ。


「見てたんですね」


「うん。やっぱり。って思った」


 モモは、視線を天井に向ける。


「優しいけど、中途半端な優しさはない。期待させない」


 ルナは、黙って聞いていた。


「……でも」


 思わず、声が出る。


「どうして、なんですか」


 モモは、すぐには答えなかった。

 少しだけ、言葉を選ぶ。


「ねえルナ、拓海ってさ、“音楽を途中で手放した人”に見える?」


「……え?」


「違うよね」


 モモは、はっきり言う。


「拓海は、音楽から逃げてない」


 ルナの中で、何かが繋がり始める。


「でも、拓海は知ってるんだよ」


「……何を?」


「音楽を続けるってことが、どれだけ、人の人生を縛るか」


 ルナは、息を呑んだ。

 モモは、ゆっくり言葉を置く。


「小学校の頃、拓海と一緒にやってた人がいた」


 ――直子。それ以外にも。


「才能があって、でも、途中で壊れた人」


「……壊れた?」


「プレッシャーで。期待で。“好き”だけじゃ、立っていられなくなって」


 モモは、トランペットを吹く人間だ。音楽の“重さ”を、よく知っている。


「拓海はね」


 少しだけ、声を落とす。


「誰かの人生に、無責任に入りたくないんだと思う」


 ルナは、言葉を失った。


「好きって感情が、音楽の邪魔になることもあるって、知ってる」


「……じゃあ」


 ルナは、かすれた声で言う。


「私は、どうしたら……」


 モモは、ルナをまっすぐ見た。


「焦らないこと」


 即答だった。


「拓海は、“追われる”のが苦手。でも、“一緒に音楽をやる人”は、ちゃんと見る」


 ルナの胸が、静かに震える。


「音で伝えな」


 モモは、にっと笑った。


「それしか、拓海の世界に入る方法、ないから」


 自販機が、がちゃん、と音を立ててペットボトルを落とす。

 ルナはそれを取り上げ、強く握った。


「……ありがとうございます」


「どういたしまして」


 モモは、背を向けて歩き出す。


「支部大会、本気でぶつかってきな」


 振り返らずに、それだけ言った。

 廊下に残されたルナは、胸の奥に灯った小さな、確かなものを感じていた。

 拓海は、誰にも振り向かない。

 でも――音楽には、嘘をつかない。


 それなら。

 ――音で、伝える。

 それが今のルナにできる、唯一の答えだった。

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