第1部 第12項
照明が落ちた。
フロアが一瞬、闇に沈む。
次の瞬間
―― ギターの一音が、空気を切り裂いた。
「……っ」
ルナの呼吸が、止まる。
それは、歌じゃなかった。 挨拶でも、前振りでもない。
――音そのものが、前に出てきた。
ヒカリのリードギター。
鋭く、でも雑じゃない。 暴れているようで、芯がぶれない。
「なに、これ……」
指が、勝手に動いているように見える。 フレットを駆け上がり、落ち、跳ねる。
なのに―― 音は、ちゃんと意味を持っている。
横で、しのぶが息を詰めた。
「やば……やばやばやば……」
ミユキが、マイクに顔を寄せる。
歌いながら、ギターを弾く。 笑顔のまま、観客を煽る。
声はまっすぐで、明るい。 でも、軽くない。
歌とギターが、ちゃんと同時に存在している。
「……すご」
ルナは、思わず呟いた。
学校で見る「音楽」とは、全然違う。
リズム隊に、視線が引き寄せられる。
エリカ。
ベースを低く構え、淡々と弾いている。 表情はほとんど動かない。
派手さは、ない。 でも、いなくなったら―― 一瞬で全部、崩れる。
ハルカ。
ドラムが、華やかに鳴る。 スティックは大きく、動きは派手。
でも、音は暴れない。
全体を包み込むように、バンドを安定させるリズム。
――この人が、軸だ。
ルナは、直感的に理解した。
そして。
ヒカリのソロ。
照明が、彼女だけを照らす。
ギターが、泣く。
速い。 高い。 激しい。
でも、ただのテクニックじゃない。
音が、感情を引っ張り出してくる。
「……っ!」
しのぶが、両手で口を押さえた。
「無理……これ……無理……」
目が、きらきらしている。 今にも、倒れそうだ。
「し、しのぶ?」
「今、人生変わる音した……」
ヒカリの指が、最後の音を鳴らす。
一瞬の静寂。
――からの、爆発。
歓声。 拍手。 足音。
フロアが、揺れる。
ルナは、動けなかった。
頭じゃなく、胸の奥を直接叩かれた感じ。
「……これが」
言葉が、遅れて出てくる。
「バンド……」
軽音同好会で見た、昼休みの、静かな音。 あれは、嘘じゃない。 でも―― 全部じゃない。
ステージの上で、ハルシュタは、音で、世界を作っていた。
ルナは、ふと視線をカウンターに向ける。
結月が、忙しそうにドリンクを出している。 拓海は、警備台からフロアを見渡している。
二人とも、ライブを見ていない。
でも―― この場所を、支えている。
「……そういうことか」
ようやく、腑に落ちた。 拓海と結月が、あの距離感を選んだ理由。 学校で、抑えて、昼休みに、我慢して、それでも音をやめなかった理由。 ルナの胸のモヤモヤは、まだ消えない。 でも、形が変わった。 それはもう、ただの嫉妬じゃなかった。 「知らなかった自分」への、悔しさだった。
ステージの上で、最後のコードが鳴る。
ハルシュタのライブは、ルナの中に、確かな爪痕を残した。
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入場が始まってすぐ、分かった。 STAR DROPの入口から流れ込んでくる客の中に、見慣れた顔があった。
――ルナ。
一瞬だけ、視線が止まる。 でも、すぐに手元に戻した。
今日は仕事。 それ以上でも、それ以下でもない。
「いらっしゃいませ」
声はいつも通り。 表情も、いつも通り。
今日は、ヒカリちゃんがステージに立つ日。 だから、カウンターは私ひとり。
接客も、ドリンク作りも、会計も。 全部、私。
忙しくなるのは分かっていた。 氷を入れて、グラスを並べて、注文を聞いて、手早く作る。 頭の中では、常に段取りを組み直す。
――次はビール二つ。
――その次、ソフトドリンク。
――氷、足りる。
視線を上げる余裕ができた時、ふと、フロアの奥を見る。
ルナは、ステージの方を見ていた。
……茫然としている。 口が、少し開いたまま。 瞬きも、少ない。
「……そっか」
心の中で、そう呟いた。
ハルシュタのライブは、知っている人ほど、やられる。 ヒカリちゃんのギターは、正面から来る。 誤魔化しも、逃げ道もない。
「すみませーん」 声に呼ばれて、意識を戻す。
「はい、少々お待ちください」
グラスを差し出す。 お金を受け取る。 釣り銭を渡す。
その合間、ほんの一瞬だけ、またルナを見る。 今度は、身動きすらしていない。 ――あれは、完全に喰らってる。 少しだけ、胸がざわつく。 嬉しいとか、困るとか、 そういう単純な感情じゃない。
「見ちゃったんだな……」
軽音同好会の昼休み。
音量を絞って、時間を気にして、基礎練だけして。
あれしか、見せていなかった。
でも、これが現実。
音が、全力で鳴る場所。
私は、仕事をしながら、 ステージには目を向けない。
ヒカリちゃんのライブだ。
集中を切らしたくない。
でも、耳は勝手に拾ってしまう。
ギターのフレーズ。
歓声。
床を揺らす低音。
そして――
一段落したタイミングで、また、フロアを見る。
ルナは、泣きそうな顔をしていた。
驚きと、理解と、少しの悔しさ。 全部、混ざった顔。
「……仕事、仕事」
私は、小さく息を吐いて、次のドリンクを作る。
ここは、STAR DROP。 私は、スタッフ。
ルナが何を感じたかは、今は関係ない。
それでも。
カウンター越しに見たその表情が、頭から離れなかった。
ライブが進むにつれて、フロアの熱は上がっていく。
私は、淡々と、いつもより少しだけ丁寧に、グラスを磨いた。
ルナがこの場所で、何かを知ってしまったこと。
それが、これからの関係を少しだけ変えてしまう予感を。
まだ言葉にしないまま、胸の奥にしまい込んだまま。 私は、「いらっしゃいませ」を繰り返した。
ハルシュタのライブが終わっても、ルナは誰にも話しかけなかった。
拍手が鳴り止み、フロアがざわめきに戻っても、そのまま出口へ向かった。
結月は、それに気づいていた。 カウンター越しに、人の流れを見ているから。
――帰るんだ。
引き止めなかった。 拓海にも、言わなかった。
仕事場だし、
それ以前に、
―― 今は、声をかける距離じゃない。
ルナの背中は、まっすぐだった。




