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残響のプレリュード  作者: erg
第1部

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15/82

第1部 第11項

 モヤモヤしたまま、数日が過ぎた。


 軽音同好会のことを、考えない日はなかった。


 昼休みの短い練習。拓海先輩と結月先輩の、淡々とした並び方。あの扉の向こうに確かに「正しさ」があって、それを自分は見てしまって、文句が言えなくなってしまった。それ以来、覗きに行くのも、話題にするのも、なんとなく気が引けていた。


 そんなとき、スマホが震えた。


 しのぶからだった。


 《すっごいギタリスト見つけたんだけど! 動画編集の課題でライブ映像漁ってたらさ、完全に沼った!》


 しのぶ。映像の専門学校に通っている従姉。バンドやライブの話になると、いつも止まらない。


「ギタリスト?」


 《そう!ハルトゲシュタインっていうんだけど! 今度ライブあるし、ルナも高校生になったんだからさ、一緒に行かない?生で見てほしい!》


 ハルトゲシュタイン。


 名前を聞いたとき、胸のどこかがざわついた。理由はわからない。ただのバンドだ、軽音同好会とは関係ない。そう思おうとして、それでもざわついていた。


「行く」


 即答だった。自分でも、びっくりするくらい早かった。


 ----------


 当日。


 夜の街に出るのは、あんまり慣れていない。ネオンが雨上がりの路面に滲んで、知らない人たちが笑いながら歩いている。しのぶの案内についていきながら、私はずっと自分の鼓動が少し早いことに気づいていた。


「ここだよ!」


 しのぶが指差した先に、小さなライブハウスがあった。


 看板に手書き風のフォントで書かれた名前を見た瞬間、私の足が止まった。


『STAR DROP』


 見覚えがある。いや、聞き覚えがある。


 拓海先輩と結月先輩が——


「どうしたの? 入ろう!」


 しのぶに促されて、扉を開けた。


 空気が変わった。


 うまく説明できないけど、変わった。音と、熱と、人の匂いが混ざり合ったような、学校とも駅前とも全然違う重さがある。フロアの奥にはステージが見えて、照明がまだ明るいから開演前だとわかる。


 そしてカウンター。


 視線が、そこに吸い寄せられた。


「……え?」


 声が、思ったより小さく出た。


 そこにいたのは、結月先輩だった。制服じゃない。でも、一秒でわかった。落ち着いた動きで、ドリンクを手渡して、視線は常にフロア全体を流している。あの、吹奏楽部で副リーダーをやっていた人と、まったく同じ目をしていた。


 少し先。


 PAブースの横に、拓海先輩が立っていた。


 腕を組んで、フロアを静かに見渡している。ステージ側でも、入口側でも、どちらにもすぐ動けるような立ち方で、客の流れをずっと読んでいる。


(なんで)


 足がうまく動かない。


「知り合い?」


 しのぶが私の顔を見て聞いてくる。


「……学校の先輩」


 それだけ、なんとか答えた。


 二人は私の方を見ていない。当然だと思う。仕事中の顔をしている。それは学校で見るのとは、全然違う顔だった。もっと——馴染んでいる。この場所に、空気に、役割に。まるでずっと前からここにいるみたいに。


「スタッフさんしっかりしてるね、ここ」


 しのぶが感心したように言う。


 私は、答えられなかった。


 胸の中で、何かがゆっくり崩れていくような感覚があった。


 あの昼休み。私が覗いたあの窓の向こうで、二人はドラムとキーボードを音量を絞って、時計を見ながら、基礎練だけをしていた。楽しそうには見えなかった。でも「正しかった」。あの正しさを、私は「文句が言えない」と感じて、悔しかった。


 なのに。


 あの「正しさ」は、この夜のためにあったんだ。


 学校での二人は、これを隠すために存在していた。軽音同好会なんて——私が嫉妬していたあの場所は、この場所の秘密を守るための、ほんの小さな蓋に過ぎなかった。


 蓋の下に、こんな夜があった。


 こんなに重くて、本物の夜が。


(私は何も分かってなかった)


 頭の中に、先輩が私に言った言葉が戻ってくる。


「そろそろ一人でも通えるんじゃないか」


 あれは、冷たかったわけじゃない。


 私をこの夜の中に、軽々しく引き入れたくなかったんだ。学校でバレたら処分になる。バンドも、バイトも、全部。そのリスクを、私がちゃんと理解できると思えるまで、踏み込ませたくなかった。


 それは——配慮だった。


 私は、配慮を拒絶だと思っていた。


 怒ってもいいと思っていた。傷ついてもいいと思っていた。でも、それは全部、私が知らなかっただけだった。


 照明が落ちた。


 開演のアナウンスが流れる。


 ステージに立つのは、ハルトゲシュタイン。


 しのぶが隣で息を呑む。


 私は、まだ自分の胸の中を整理できないまま、ただステージを見つめていた。


 この夜が、自分の中の何かを決定的に変えることを——まだ、わかっていなかった。

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