第八話 異世界での初バトル 前編
「京也から? 一体なんだって?」
私の後ろから、フォルティオスがスマホの画面を覗き込むように見やる。
隠すことでもないし、デッキを持って来いということは、フォルティオスも一緒に、ってことだ。
「このアドレスにアクセスしろって。何かな?」
メッセージ画面を示して見せると、家事と料理で緩んでいたフォルティオスの気配が、一瞬で鋭さを帯びた。
戦士の、戦う者の眼差しだ。
「マスター」
「なあに?」
「今すぐ、僕のカードを持ってきて。できればデッキごと」
「あ、うん。分かった」
フォルティオスに言われるまま、私はリビングのテーブルの上に置きっぱなしになっていたデッキケースを持って来た。
雄太と対戦した時、フォルティオスのカードはデッキに入れてあるから。
「このアドレスはゲートだ」
「ゲート?」
「そう。アナザーワールド。僕達の世界と君達の世界を繋ぐ、文字通りの扉、だね」
「え? 異世界への扉?」
画面に記されているのは、どう見てもよく見かけるネットページへのリンクにしか見えない。
この文字列が? 本当に?
「何を思って京也がこれを繋いだのかは分からないけれど、彼はシエロのパートナーだ。
無駄なことはしない。
課題、という言葉からしても、何か意図があってのことだろう。
行ってみるべきだと、僕は考える」
「分かった。課題、だもんね。雄太に連絡……あ、向こうで合流できるかな?」
雄太に連絡を取ろうと思って画面に滑らせかけた指を、私は止めた。
京也さんは、きっと雄太にも同じものを送っているはずだ。
同じ弟子なんだし。
「僕としては、君を向こうに連れて行くのは少し早いと思っている。
でも、何があろうと、君のことは僕が守るから」
「ありがとう。頼りにしてる」
フォルティオスが私を見つめる。
優しいけれど、刃のような決意を宿した眼差しに、少し背筋が粟立った。
フォルティオスの故郷。
アナザーワールドは、どんな世界なのだろう。
裏の地球。侵略者に狙われた、戦争の只中にある世界。
「行こう。マスター」
「うん」
私はデッキを胸に抱え、アドレスのリンクをタップした。
同時。
世界の色が変わった。
閃く黄金のグリッド。弾けるポリゴン。稲妻のように光る螺旋。
マンガやアニメでよく見た、電脳空間のイメージそのままに溢れるデータの海が、私達に襲い掛かり、呑み込んでいく気がした。
目を閉じた瞬間、後ろからフォルティオスの大きな腕が、私をかき抱いたのを感じる。
そして私は彼の腕を掴み、歩を進める彼に合わせて、一歩前へと踏み出す。
「あっ!」
見えない。でも、確かにそこにあった壁を突き抜けた気がした。
空間が、周囲が歪み、曲がり、見知ったものから知らないものへと変わっていく。
呼吸ができない。
まるで空中に引き出された金魚のよう。
はくはくと口を開け、空気を探す私を、
「大丈夫。僕がついている」
優しい声と力が包み込んでくれた。
フォルティオスと私は繋がっている。
彼の鼓動と呼吸に自分をリンクさせているうちに、身体が呼吸の仕方を思い出したように楽になった。
そして、一瞬のようでいて長いフライトの後。
私の足は、地面を踏んでいた。
確かに家の中にいたはずなのに、足元には乾いた大地。
そして見上げれば、一面の荒野に、
『ようこそ! アナザーワールドへ』
似つかわしくない極彩色のネオンサインが掲げられたゲートが、聳えていた。
「よく来たね、美空ちゃん。初めての転移は辛くなかったかな?」
「店長さんが、これ、立てたんですか?」
「異世界に来て、初めて気になるのがそこか? お前も大物だな、小娘よ」
呆然とする私達に、後ろから、到着を待っていてくれたのであろう店長さんと、実体化したシエロさんが声をかけてきた。
「残念ながら違うよ。これは、このフィールドのデフォルト。僕達には削除も変更もできないからね。そういうものだと受け入れるしかない」
「フィールド、ですか?」
「そう。ここは正確には、シエロやフォルティオスの存在する『アナザーワールド』じゃない。僕達の世界と『アナザーワールド』の中間地点にある、トレーニングフィールドだ」
「なんで、そんなものが……」
店長さんの説明に私より早く驚きの声を上げたのはフォルティオスだ。
「フォルティオスも知らなかったの?」
「知らない。誰も教えてくれなかったから。誰がこんなものを作ったんだ?」
「安心しろ。我々の誰も知らん」
「シエロ……」
腕組みしながら、シエロさんが泰然と言い放つ。
いや、全然安心できませんって。
「『星』か、それとも別の超越者か? とにかく、そういうものだと今は思っておくしかない」
「探求の徒を自称するソルシアらしくもない」
「無論、データ収集と調査は続けている。
だが、ここは大事な『リンカー』達の中継訓練施設だからな。
下手に弄って壊してしまっては、元も子もない。故に、様子を見ているだけだ」
「中継訓練施設、ですか?」
シエロさんの言葉に首を傾げた私に、「ああ」と頷いてくれたのは店長さんだった。
「説明があったわけではないけれど、ここは僕達、地球世界の『リンカー』が、シエロ達のいるアナザーワールドに身体を慣らすための、要は減圧室のようなものだと思っている」
「減圧室?」
「そう。君もここに来るまでに感じただろうけれど、アナザーワールドは、大気に宿る力――彼らが言うところのマナの量が、僕達の世界とは格段に違う」
そう言われて、私はここに来るまでの息苦しさを思い出した。
今は嘘のように消えているけれど、まるで空気の組成が違うような重さを、確かに感じたことを。
「本当かどうかは分からないけれど、『リンカー』が生まれ始めた最初期、直接アナザーワールドに降りて、死に瀕した者もいたとか。
正しい例えかどうか分からないけれど、深海から引き上げられた魚が空気と重力に耐えられないように、何の措置もしないと死んでしまう。
だから、ここが作られた。トレーニングを積んでレベルを高め、アナザーワールドに入れるように。そこで戦えるように」
「戦うって、私達が?」
「我らが伊達や酔狂で貴様らの世界に赴き、遊戯に力を貸していると思うてか?」
「シエロさん……」
向こうでの薄い影とは違い、ここでは実体化しているからか、よりはっきりと彼女の意思が見える気がした。
そして、何故か納得した。
そうか、そうだよね。ゲームのキャラクターが実体化したのではないのなら。
異世界からわざわざやってくるとしたら、そこには目的があるはずだ。
「我々の悲願は、星を狙う外敵の駆逐。
そして、世界の覇権だ。『リンカー』には、いずれこちらの世界で我らの手助けをしてもらわねば困る」
「異世界で私達が……フォルティオスも? それを望んでいるの?」
「できるなら、僕達を助けてほしい、とは思っている」
私が見上げると、彼の柔らかい視線が、静かにシエロさんの言葉を肯定した。
「でも、強制はしないよ。
僕達の世界に来る、ということは、数十年、数百年と続く不毛な戦いに巻き込むことになるから」
「ふん。一番『リンカー』の力を急ぎ必要としているのは、貴様であろうに」
「シエロ!」
「え?」
一瞬、フォルティオスが焦った眼差しを宿したのが見えた。
彼がリンカーの力を、急いで必要としている?
「その辺の話は後にしよう。
どちらにしても今は、まだレベル一以下。
リンカーとしてもマスターとしても、スタート地点に立ってさえいない美空ちゃんは、アナザーワールドには入れない。少しずつ力とレベルを上げていかないとならないからね」
「分かりました」
店長さんが強引に話を逸らしたことは分かったけれど、今は店長さんの言うとおり、私には問い質す権利も、フォルティオスを助けられる力もない。
誰かの助けになりたいと宣うのなら、その為の力をつけないといけないのだ。
「だから、ここからが本題で、課題。
美空ちゃん、デッキを出して。バトルをしよう」
「へ? バトル? 誰とですか?」
「僕と」
と、思っていた所に予想外の提案が振って頭にぶつかった。
「ここは訓練施設だと言っただろう? 僕達『リンカー』はここに定期的に赴いて、『アナザーワールド』のバトルをして、『リンカー』としてのレベルを上げる。
使ったスペルの回数やパワー、アイテムの補充は、ここでしかできないからね」
「そう、なんですか?」
「ああ。だから僕が相手をしてあげるから、ここで訓練して戦い方を覚えるんだ。
バトルは、実際に戦って学ぶ以外に上達の道はない」
「私が? 店長さんと!?」
「相手として不満かい?」
「い、いえ。そんなことはないですけど」
改めて聞いてみると怖い話だ。
試合回数、二回。
初心者中の初心者が、日本チャンプとなんて戦っていいのだろうか?
「心配しなくても、バトルの勝敗が君に悪影響を及ぼすことは一切ない。
勝っても負けても君のレベルは上がるし、負けたからといってフォルティオスを奪ったりもしない。
純粋に、君のレベルアップのための訓練だ」
「本当にいいんですか? 私なんかのために、お時間を取らせて」
「僕は君の師匠だからね。引き受けた以上、これくらいはするよ」
「師匠……。あ、そういえば雄太は? いないんですか?」
一緒に来ていると思ったのに、周囲には姿が見えない。
戸惑う私に、店長さんは、
「雄太君は呼んでないよ。ここは『リンカー』のためのフィールド。パートナーを持たない彼は入れない」
当たり前だ、というようにそう言い放った。
「そんな……私一人で?」
「子猫相手に本気など出さん。昔のように、優しく相手をしてやるさ。なあ? 小僧」
昔のように。
その言葉が、フォルティオスの何かに触れたのが分った。
今まで凪いだ湖のように静かだったフォルティオスの気配が、熱を帯び、燃えていくのが感じられる。
「マスター」
私を見つめるフォルティオスの視線が熱い。
「悪いけど、この挑戦、受けてもらえないか? シエロに僕は、ずっと借りっぱなしだ。
ここで少しでも返しておかないと、侮られるばかりで、対等の存在として立てない気がする」
彼の気持ちは分かる。
「でも、私、本当に初心者だよ。フォルティオスをちゃんと動かして、店長さんの相手をするなんて、できるかな?」
「大丈夫。できるよ。君なら」
フォルティオスの瞳が、星のように瞬いた。
私を見つめ、信じてくれる無限の信頼が、怖いくらいだ。
「負けることは恥じゃない。敗北からでも何かを掴み、得ることができれば、意味と価値はある」
負けてもいい、と彼は言外に言った。
たとえ、加減してくれるといっても、私が店長さんに勝てる要素はまるでない。
でも。
ここで逃げたくない、と思った。
私はフォルティオスの『リンカー』なのだから。
「ついて来てくれる? フォルティオス」
「マスターの御心のままに」
「やってみます! 胸を貸してください」
「いい返事だ。期待しているよ、最新の『リンカー』」
私はデッキを握りしめる。
正真正銘、初めての。
真剣勝負が始まろうとしていた。
――通知。
【極秘チャンネル@アナザーワールド】
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