第七話 一人じゃない夜
私が家に帰り着いたのは、夜の八時を過ぎて、もうすぐ九時になろうかという頃だった。
高校生が遊びに出て帰りが遅くなっても許される、ギリギリの時間だと思う。
「美空。本当に大丈夫か?」
雄太と店長さんはタクシーから降りたあと、まず私を家の前まで送ってくれた。
玄関の前に車が着くと、隣の家の扉が開き、雄太のご両親が出てきて私達を迎えてくれる。
「雄太!」
「美空ちゃん! 電話で話は聞いたわ。大丈夫だった?」
「大丈夫です、おば様。雄太と店長さんが助けてくれたので」
子どもの頃から家族ぐるみでお世話になっているお二人に私は頭が上がらない。
「なら、よかった。貴女に何かあったら、天国の美香さんに申し訳が立たないもの」
「雄太も少しは役に立ったのならよかったが、そもそも、お前が美空ちゃんを連れ出すから!」
「いてえな、親父! 俺は何にもしてねえよ。むしろ、美空を守ったし、これからも守るんだ!」
「子どものくせに、偉そうに!」
「雄太は本当に何も悪くないですから。むしろ、私のせいで迷惑をかけてしまって」
小柄でふくよかなおば様は、私を優しく抱きしめてくださった。
対照的に、背が高く細身のおじ様は、雄太の頭に拳骨を落とす。
私を気遣ってのことだと思うけれど、本当に雄太に責任はないから、申し訳ないくらい。
「その点については、改めて僕からご説明させてください。
二人には、本当に一切の非はないので」
「あ、お客様の前で失礼を。そうですね。細かい事情をお聞かせいただきたい。
何やら、警察沙汰にもなっているようで」
「はい。今の対応と、今後のことについて保護者の方にはご理解頂きたく」
「どうぞ、中へ。美空ちゃん。貴女も今日は、うちに来て泊まっていかない?
一人は不安でしょ?」
一触即発のところを、絶妙のタイミングで店長さんが止めてくださった。
おば様は心配そうに声をかけてくださるけれど、私は首を横に振る。
「大丈夫です。中に入ったら、すぐに鍵をかけますし、セキュリティも入れます。
ちょっと疲れちゃったし」
「そう? 何かあったら、すぐに連絡してね」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあな、美空。明日、また」
「学校が終わったら、店においで。待っているよ」
皆さん、私が家の中に入るのを待ってくれているのだと分かったから、お辞儀をして玄関の鍵を開ける。
これから店長さんは、雄太のご両親と話をするのだろう。
上手く説得してほしい。
店長さんなら大丈夫だと思うけれど、雄太が怒られたり、今後、一緒にゲームができなくなったりするのは嫌だから。
「今日は、ありがとうございました。おやすみなさい。また明日」
内側から鍵をかけると、人感センサーが玄関の灯りをつけてくれた。
そこから、さらにリビングへ。
電気をつけ、テーブルの上に鞄を置いたあと、私は大きなソファに身を預けた。
疲れた。なんだか、今日は本当に疲れた。
『マスター、ちょっといいかい?』
「あ? フォルティオス? いいよ。出てきても」
私が了承すると、小さく空気が揺れて、フォルティオスが現れる。
鞄の中にカードが入っていても、直接持っていなくても、近くにあればパートナーとの意思疎通や会話、実体化はできると店長さんは言っていた。
シエロさんと店長さんのリンクが繋がる範囲は、半径十メートルほどなんだって。
私達は、どのくらいまで大丈夫なのだろうか?
あとで、店長さんじゃないけど、検証した方がいいかも。
「ちょっと、聞きたいことがあるんだ。もしかしたら、君に失礼なことを問うてしまうかもしれない。許してほしい」
「……うん。いいよ。
気にしないで。これから長く一緒にいるんだもんね。疑問があるなら、どうぞ。今のうちに」
私の答えに、フォルティオスは微かに顔を曇らせた。
優しいな、フォルティオス。
……多分、もう察してくれているんだ。
「京也が店で、『雄太のご両親に』話をすると言った時から、気になっていたんだ。
『一人』とも、『天国』とも聞いた。
マスター。君のご家族は?」
「うん。去年。
私が高校一年生になって、すぐの時に事故で亡くなったの。交通事故。
居眠り運転の車に巻き込まれて、ね」
リビングの端にある、小さな祭壇を指差した。仏教徒じゃないから、仏壇はない。
その代わりだ。
一応、花は切らさないようにしてある。
「両親がローンの終わったこの家を残してくれたし、保険金も事故の慰謝料もたくさんもらったから、静かに暮らすなら生活に困ることはないの。
お姉ちゃんとの約束だから、一か月の生活費やお小遣いは決めて、自制しているけどね」
祭壇の横には、私の高校入学の時に最後にみんなで撮った家族写真と、若い夫婦の結婚写真が飾ってある。
お姉ちゃんと、その旦那様。お義兄さんの写真だ。
「高校二年になるまでは、お姉ちゃんと二人暮らしだったの。
でも、今年の春にお姉ちゃんが結婚してね。旦那さんの海外赴任について、アメリカに行ったから。それからは一人暮らし。一応、未成年だから、雄太のお父さんが後見人になってくださっているの」
「一人で、平気なのかい?
寂しくはない?」
「お姉ちゃんは、ちゃんと気遣って、一緒にアメリカで暮らそうって誘ってくれたし、お義兄さんも受け入れるって言ってくれた。でも、私が嫌だって言ったの。
二人の新婚生活を邪魔したくなかったし」
色々ともめたけれど、最終的には、弁護士をしている雄太のお父さんが後見人を引き受けてくれたことが決め手になった。
学校にちゃんと通うこと。セキュリティをしっかりすること。家のことは自分で管理すること。
それらを条件に、今は週に三日、お姉ちゃんがテレビ電話でチェックしてくる。
ただ、自分だけのこととはいえ、毎日家事をこなすのは結構大変だ。
加えて中学卒業と高校入学という時期のドタバタで部活にも入りそびれ、帰宅部。
毎日、家と学校を往復するだけの日々を雄太が心配して、「少しは遊べ」と『アナザーワールド』に誘ったのが、店に行くきっかけだったのだ。
「自分で言うのもなんだけどね。私、割と陽キャで、友達も学校にはたくさんいるよ。いじめられたりもしてないし。ただ……ね」
なるべく明るく告げようと思ったのだ。
自分は間違いなく恵まれているし、愛されてもいる。
……それでも。
「お父さんやお母さんのことを思い出すと、心にぽっかりと穴が開いたようになるの。
自分がこの家を離れたら、家は売られてしまう。
それが嫌だから、お父さんとお母さんの思い出の家を守っている、というか、しがみついているのかも」
いつもだったら、部屋に戻って枕を抱えて泣く。
でも、今日は話を聞いてくれる人がいる。
「……今日は、ちょっと嬉しい」
だから、ちょっとだけ顔を上げ、弱音を零した。
「嬉しい?」
「うん。だって、一人じゃないから。
フォルティオスが側にいてくれるから」
寂しくないか、と問われた時、「大丈夫」とは言えなかったのは、我ながら弱いと思う。
正直に言えば、寂しい。
一人の家に帰るのは嫌だし、誰もいない部屋に一人でいるのも嫌いだ。
でも、それを誰にも言うことはできなかった。
だから。
今日は、本当に嬉しかったのだ。
「ありがとう、フォルティオス。
一人じゃないって、いいね」
「……そうだね。僕も、そう思う」
まるで呼吸をするように自然に返った同意に、私はちょっと驚いた。
それが同情や口先だけの共感ではないと、『分かった』からだ。
「向こうでは、一人じゃなかったんでしょう?」
「仲間はいたよ。大勢。だから、本当の意味で一人でいたことはないと思う。でも」
彼は顔を上げ、何かを仰ぐように上を見た。
視線の先には、家の天井があるだけ。
でも、彼はそれを、眩しいもの――星を見つめるような眼差しで見ている。
「でも、こうして誰かと、普通の家に。
二人で帰る場所にいるのは、今の僕になってから、初めてかもしれない」
「そう、なの?」
「うん。『僕』にとって『家』というのは、ただ訓練と調整のあと、休息のために身体を横たえるだけの場所だったから」
「フォルティオス……」
私は、本当に自分が何も知らないと気付く。
『アナザーワールド』の公式設定も裏話も、ファンなら誰でも知っているかもしれない、彼の物語を何も知らない。
だから、彼の言葉にどれだけの思いや意味が込められているのか、分からない。
でも、胸の奥に熱を感じる。
私とフォルティオスは魂が共鳴し、繋がっているのだと、シエロさんは言っていた。
同じ孤独を知る者。
だから共鳴したのかもしれないと、素直に思えた。
多分、私なんかより、彼の抱える孤独はずっと深く、苦しいものだっただろうけれど。
そう思った時、私は決めた。
「ねえ、フォルティオス。ご飯って、食べられる?」
「え? ご飯?」
「食事のこと。実体がない分割体だから、いらないのかもしれないけど、食べられなかったりする?」
「試したことがないから、分からない。でも、食べられないわけではないと思う。
味も多分、感じる」
「お茶、飲んでたもんね。じゃあ、これから夕ご飯を作るから、一緒に食べよう!」
私は、私だけは、フォルティオスを『勇者』や『救世主』として見るのはやめようって。
彼は仲間で、友達で。
そして、今日から大事な家族だ。
「いいのかい? 僕のような幻影なんかに、食材を使っても無駄になるんじゃ……」
「美味しく食べてくれるなら、無駄になんてならない。それに、誰かと食べた方が、ご飯は絶対に美味しいから」
立ち上がって、キッチンに向かう。
食材、何が残っていただろうか。卵と、鶏肉。ご飯も、冷凍したものがある。
オムライスとか、いいかもしれない。
食材を取り出そうと、私が冷蔵庫を開けて屈むと。
「マスター」
頭上から声が落ちた。
「フォルティオス?」
「何か、手伝えることはあるかな?」
フォルティオスがいた。
何かを窺うような、所在なげな顔で。
「手伝うって、フォルティオス、料理できるの?」
「生きるために必要なことは、一応、教えられている。ただ、アナザーワールドの料理や台所は分からないから、すぐにできるわけじゃないけれど」
思わず、頬が綻んだ。
可愛いし、嬉しい。
ただ、作ってもらうのを受け入れて食べるだけじゃなく、手伝おうとしてくれるなんて。
「じゃあ、卵を割って混ぜてくれる? 私はチキンライスを作るから」
「分かった。全力でやらせてもらうよ!」
「あんまり力を入れなくて大丈夫だから。優しく、でも切るようにね」
結論から言うと、その日。
数か月ぶりに二人分の料理を載せたダイニングテーブルでの食事は、久しぶりに賑やかで、楽しいものになった。
「! 美味しい! こんなに綺麗で、美味しい料理は、生まれて初めてかもしれない」
「大げさだよ。ただのオムライス」
「いや、卵の黄色とライス? の赤が冴えて、それに緑のブロッコリーが鮮やかな美しさを加えている。何より、ライスなんて、ただ白くてお腹の中に溜まるだけだと思っていたけど、こんなに甘くて、ほんのり酸っぱくて美味しいなんて」
スプーンでチキンライスを頬張りながら、フォルティオスはなんだか、熱く語る。
「それは、ケチャップのお手柄かな?」
「ケチャップ? もしかして、最近ソルシアやネクサスの領域で流行ってる、トマトで作った調味料?」
「向こうにもケチャップ、あるんだ。
そうか。シエロさん、言ってたもんね。こっちの知識を向こうに活かしてるって」
「帝国は、ちょっと頭が固い人が多いから、リンカーが他より少ないんだよね。
こちらの知識や技術は、だからあんまり伝わってこない」
「そっか~。欲しいならお代わり作るよ」
「いいのかい? いやいや。流石にそこまでは甘えられないよ」
「じゃあ、ご飯が終わったらデザート食べよ。プリン。食べたことある?」
「プリン? もしかして甘味かい?」
「手作りじゃない三連パックだけど甘いの苦手じゃないかな?」
「苦手じゃない。大好きだ!」
誰かに褒められ、一緒に食べる食事は美味しいと実感した。
安い三連パックのプリンも分け合うと何故かもっと美味しくなる。
これだけでも、フォルティオスと契約してよかった。
なんて思うのは、きっと失礼なことだと思うけれど。
少し遅い夕食を終え、フォルティオスと一緒に洗い物をしていた時。
「マスター。スマホが鳴ってるよ」
着信を、彼が教えてくれた。
「ありがとう。向こうにもスマホってあるの?」
「さすがにない。知識としては知ってるけど。ネクサスでは研究中らしいって」
そんな話をしながら、スマホの着信を確認した。
LNNEのメッセージ。
送信者は――
「店長さん?」
『弟子として、師匠から。
『リンカー』として、最初の課題を与える。
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そう書かれてあった。




