第64話 救世主の誓い
美空に軽く手を振って、僕は部屋の扉を閉める。
そして、大きく息を吐いた。
ドアに背中を預け、そのままずるずるとしゃがみ込む。
「……やってしまった」
思わず口元を押さえた。
戦場では幾千もの敵を前にしても、これほど緊張したことはなかった。
間違いなく。
呆れるくらい大きな音を立てて、心臓が鳴っている。
彼女の頬に触れた唇の感触が、まだ残っていて、目の前がクラクラしていた。
これが酩酊。
俗に言う、酔う、ということなのだろうか?
なんとかベッドまでたどり着き、逃げ込むように腰を落とした。
あの時、彼女はどんな顔をしていたのだろう。
恥ずかしくて、まともに見ることさえできなかったけれど。
「……嫌われていないと、いいなあ」
我ながら情けない。
ヴェネーラ将軍あたりが知ったら、お前には女あしらいなど無理だ、まだ早い、と笑われることだろう。
でも。
あの時、どうしても美空に触れたかった。
自分の思いを彼女に、言葉ではない形で伝えたかったのだ。
胸の奥が熱を帯び、ざわざわと音を立てていた。
まるで、誰かが笑っているかのように。
「笑わないでよ。これでも僕は真剣で必死なんだ」
……いや、まるで、ではないな。
そう思い直し、僕は胸の奥に呼びかける。
ざわつきが、ふっと止まった。
「ごめんよ。気付くのが遅れて。
ずっと忘れていて。
みんな、そこにいて、僕を助けてくれていたのに」
馬鹿な話だ。
ずっと、自分は一人だと拗ねていた。
自分はみんなとは違う兵器なのだと思い込み、自ら壁を作って。
「苦痛と孤独で、心の底まで凍っていたんだと思う。きっと。
それを、美空が溶かして、気付かせてくれたんだ」
シエロに教えられ、一人で公式HPの物語を読んだ時には、何も感じなかった。
ああ、そうだったんだ。
ただ、冷えた心の片隅で、そう納得しただけだった。
「でも、美空が僕の代わりに泣いてくれた。怒ってくれた。
彼女の涙と優しさが僕の心を溶かしてくれた時、気付いたんだ。
僕の中にいる、みんなのことに」
そして、ようやく理解できた。
自分は、最初から一人ではなかったのだと。
「あの小説が事実なら、きっと『星』が与えてくれた『救世主』の称号は、僕一人に与えられたものではなく、『僕達』に与えられたものだったんだと思う。
僕は、みんなの力を集め、纏め、繋ぐのが役割だったんだ」
今の自分には、あの小説の子どもが持っていたような感応力は、ほとんど残っていない。
でも、己の内に問いかければ、当たり前のように感じられた。
自分を生かし、導いてくれた五色の光。
『星』と『兄達』の思いが。
「出来の悪い弟でごめん。多分、たくさん心配をかけたよね。
でも、もう大丈夫だよ」
その思いを、己の中でそっと握りしめる。
確かめるように。
二度と忘れないように。
「僕に与えられた『力』は、みんなが僕にくれたもの。
『星の救世主 フォルティオス』は、僕たちみんなに与えられた名前なんだ」
自分の中で、何かが変わっていくのを感じる。
世界が明るい。
昨日までと何も変わらないはずの世界が、今はこんなにも明るく感じられる。
多分、『星の救世主』として、新しいステージに歩を進めることができたのだ。
必要だったのは、おそらく自分という存在を認め、許すこと。
自己肯定感、と美空は言っただろうか。
この身が、この命が、兄達を始めとする多くの犠牲の上に成り立っているのは事実だ。
それは変わらない。
彼らに行われた非道を、肯定するつもりもない。
だからこそ、立ち止まることも、弱音を吐くことも許されないのだと、ずっと思っていた。
けれど。
もし、みんなが今も僕の中にいるのなら。
僕を責めるためではなく、支えるために力を貸してくれているのなら。
僕は、もう少し自分自身を大切にしてもいいのかもしれない。
美空が、そう願ってくれたように。
自分を責めて落ち込んでいても、何も変わらないし、誰も幸せにはできない。
みんなを、多くの命を犠牲にしてきたという事実を、ただ抱え込むのではなく、背負って前に進む。
そんな当たり前のことを、美空に教えられるまで気付けなかった自分に、思わず笑みがこぼれる。
でも、もう。
「僕はもう大丈夫。
みんなの力と、使命と共に進んでいくよ。
僕は一人じゃないんだから」
鈴音に言われた時には理解できていなかったことが、今は驚くほど自然に、身体と心に染み込んでいく。
みんながいて、オクルスがいて、シエロや加奈子、ディアドラも味方でいてくれる。
何より、美空が側にいる。
ああ、自分は本当に幸せ者だ。
ならば、この幸せをみんなに返さなくてはならない。
星をインベイダーの脅威から救い、人々が笑い合える世界を取り戻す。
まずは、そこから。
「いつまでも、帝国にいいように使われてはいられない。
ディアドラ先生の言うように、独立も視野に入れて準備をしよう」
皇帝が自分を簡単に手放さないであろうことは、分かっている。
『お前が軽はずみな行動をとれば、その対価は咎なき無力な民が背負うことになると知れ』
折に触れて告げられるその言葉は、暗なる脅迫だ。
逆らうなら、故郷の民を始めとする一般人を殺す。
そう言っているに等しい。
本当にそこまでやるとは思いたくないけれど、自分の自由のために無関係な者達を巻き込むわけにはいかない。
帝国や故郷に対する義務も、責任もある。
だから、すぐに離反するつもりはなかった。
いかに皇帝が配下のことなど顧みることのない、美空が言うところのブラック上司であろうとも。
今は。まだ。
「オクルスやみんなに相談して、バレないように慎重に。
そのためには『アナザーワールド』は最適だ。目標は三年後。
成人の時かな?」
立ち上がり、窓を開けた。
秋の夜風が、部屋と自分の心を爽やかに吹き抜けていく。
空を見上げれば、彼女と一緒に見た満天の星空の映像ほどではないけれど、よく見れば、そこには星がある。
インベイダーのいない星空。
この世界の人々は、瞬く星に希望や導きを見たのだという。
自分でも驚くほど、心と身体が軽い。
状況は何も変わっていないというのに。
失ったマナが返ってきたとしても、自分に残された時間はそう多くない。
最大に見積もっても、十年はないだろう。
力を使い続ければ、その時間はもっと短くなる。
そのことは、誰よりも自分がよく知っていた。
「でも、美空がいる。彼女が側にいてくれるなら、僕は多分、もっと戦える」
美空を得てから、自分が変わってきていることを感じる。
最初は、彼女が『リンカー』だからだと思っていた。
けれど、多分違う。
彼女だから、自分はリンクした。
彼女だから、自分は救われたのだ。
「僕は、美空が好きだ」
言葉に出して確認すれば、驚くくらいすんなりと、その思いが自分の中に落ちていく。
これが人の言う恋とか、愛なのかは分からない。
ただ、自分を暗闇から救ってくれた少女が、自分にとっての『導きの星』なのは変わらないだろう。
きっと、これからもずっと
「アイン、デュオ、トライ、カトル」
名前を呼ぶと、目の前の空に四色の光が、星のように浮かび上がった。
「本当は違う名前かもしれないけれど、思い出せないから、そう呼ばせてもらう。
大事な兄さん達。
僕はまだまだ未熟者だ。
多分、たくさん失敗するし、迷うと思う」
目の前に舞う光が現実のものなのか、それとも自分の中で視えているものなのかは分からない。
でも、確かにそこに在るのだと確信できた。
「君達のことを忘れていた不出来な弟だけど、みんなと『星の救世主』の名に懸けて誓うよ。
みんなとの約束と『星』と、彼女を守るために全力を尽くす。
だから、どうか、これからも力を貸してほしい」
耳の奥で、何かが弾けるような気がした。
炭酸の泡が弾けるような、軽やかな快感。
それと共に伝わってきたのは、限りなく優しい思いだった。
『当たり前だろ』
『気にすんな』
そんな懐かしい声が、笑い声と、笑顔と一緒に聞こえた気がした。
彼らの顔も声も、もう覚えていないというのに。
『星の救世主』
その名と力にはまだ秘密が多い。
まだまだ自分でも解らないことだらけで立場にも、力にも振り回されているのが現状だ。
胸を張ってその名を名乗るにはもう少し、時間が必要だ。
空に、星に手を伸ばす。
インベイダーにも、星の秘密にも。
今はまだ、手が届かないけれど。
いつか必ず掴んで見せる。
明日から、また新しい一日が始まる。
いつもと変わらない、でも、かけがえのない日々が。
前を向いて進んでいこう。
みんなと。
そして、彼女と一緒に。
窓を閉め、寝台に潜り込む。
向こうでは皇帝さえも使えない羽毛の布団は、軽く、柔らかい。
……彼女のように。
「とりあえずは、明日。いつも通りの顔で彼女と話すこと。
できるかな。
あの頬の感触を思い出しただけで、また酔ってしまいそうだ。
……もう、だから笑わないでくれってば」
孤独な夢は、もう見ない。
自分は、一人ではないのだから。
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少年の決意を知ってか知らずか、この日、この時。
ある決定が下される。
場面は『アース』。
王都、皇帝の謁見の間にて。
人払いされた部屋で、皇帝は腹心たる女騎士に告げた。
「オクルスは行ったのか?」
「はい。僅か十日でこちらが提示した課題を片付け、術を会得してしまっては、止めることはできません」
「かまわん。奴はフォルティオスを繋ぎ止める鎖だ。
好きにさせておけ。奴もフォルティオスも制御はできる。
だが、異界でフォルティオスに我が物顔で甘える猫は捨て置けぬ」
「猫、ですか?」
「犬ほどの理解力もなかろう。しっかりと首輪をつけておかねばな。
野良には、いつ手を引っかかれるやもしれん」
「フォルティオスの『リンカー』ですか?」
「そうだ。早々に調べ、手を打て。
あれが自分の立場を忘れる前にな。
そのために異界へと赴く必要があるならば、許そう」
「御意。なれば、私が直々に参ります。他の連中では御しきれぬでしょうから」
「任せる。
我らには大義があり、理想がある。そのために『フォルティオス』は絶対に必要だ。
決して逃がさぬ。何があろうとも、な」
少年は、己の未来を選ぶことを誓った。
皇帝は、その未来を決して許さぬと決めていた。
二つの決意が交わる日は、遠い。
今は、まだ。




