第63話 新しい一歩
気が付いた時、私は泣いていた。
傍らで一緒に画面を見ていたフォルティオスが、困った顔をしているのは見なくても分かっている。
画面をスクロールする指が、ページを繰るごとに震え、動きが遅くなっていく。
最後の方には、呼吸さえも苦しくなっていた。
ネコちゃんが、
「フォルティオスはディアドラ・ディクティムを恨んでいると思っていた」
そう言っていた理由が、今ならよく分かる。
『自分はフォルティオスの製作管理責任者』
『親代わりと思いたいが、その資格はない』
ディアドラさんが言っていた言葉の意味も理解できた。
今は、怒りの方が先に立って、生ぬるい、甘えた言い草だと思ってしまうけれど。
「どうして! どうしてこんな非道が許されるの! 子どもをなんだと思ってるの!」
「……向こうでは、そこまで珍しい話でもないんだよ。戦時下だし、国や勢力の意思は絶対だし。何より、子どもの人権なんて概念はほぼ無いから」
私の嗚咽交じりの叫びに、フォルティオスが弁護にもならない言葉を返す。
「生活に困った親が子どもを売ることも普通にあるし、そういった子がネクサスならサイボーグ戦士、ソルシアならホムンクルス改造の素体に使われるなんて話も聞く。
そもそも『能力者』が圧倒的な支配階級で、一般人には政治や社会情勢に関わる権利は無い。人権も本当に最低限で、『能力者』は一般人を死に至らしめても、ほとんど罪には問われないからね」
「そんな……」
「この件は、貴重な能力者の子どもを多数使い潰したことと、五勢力が総力を挙げた研究だった割に、目立った成果が僕しか出なかったことで少し問題になったけれど、関係者の誰も検体の死や計画失敗の責任を取らされることは無かったはずだよ。
失敗作として失われた実験体の多くは、遺体を葬られることもなく『無かったもの』として処理された。
まあ、まったく成果の出ない完全な失敗事案となる可能性もあったわけだから、まだマシだった方なんじゃないかな!」
「やめて!」
フォルティオスは、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
それが、どうしようもなく悲しい。
犠牲を当たり前のものとして受け止めることに慣れてしまっているのだろう。
怖い世界。
『アナザーワールド』『アース』をそう評したマヤヤさんの言葉が良く解る。
私はキーボードに両手を叩きつけると、勢いよく立ち上がり、フォルティオスの胸倉を掴んだ。
「フォルティオスがそれを言っちゃダメだよ!」
怒りが、涙が、あふれ出してくる。
止まらない。止められない。
彼が一番の被害者なのに。
彼に叩きつけていい怒りではないのに。
「フォルティオスが怒ってあげなきゃ! 泣いてあげなきゃ!」
彼は、私の理不尽な苛立ちを叩きつけられても何も抵抗せず、なすがままにされている。
「他に、誰も……彼らのことを悲しんであげられないのに……」
「ありがとう。美空」
彼の胸にすがって泣きじゃくる私の髪を、フォルティオスはそっと撫でながら。
「でも、僕にもその権利は多分ないんだ」
「権利……って」
「研究所での非道を怒り、嘆く権利」
「え? どうして?」
「だって、僕は『成功例』だから。
研究所での記憶はほとんど残っていないし。何より、生きている時点で僕には怒る権利は無い」
「フォルティオス……」
「実験の苦悩や、能力検証での痛みの記憶はある。
でも、それは『成功例』として当然の支払いだ。
ディアドラ先生だって、僕にとっては気遣って守ってくれた優しい先生の記憶しかないから、真実を知っても恨むことなんてできはしない」
自分は何も奪われていない。
逆に『星の救世主』としての力と地位を与えられた。
子ども達から奪ってきた立場だ。
だから、怒る権利は無いのだとフォルティオスは言う。
怒る権利があるのは、あの実験で命を、尊厳と共に奪われた子ども達だけだ、と。
どうして。
どうして、生き残ったことさえ、そんなふうに考えてしまうのだろう?
「嘘! そんなの嘘だよ!」
だって、フォルティオスは一番多くのものを奪われている。
生まれたままの自分。故郷。両親。幸せな子ども時代。
手を差し伸べてくれた大切な兄弟の記憶も、当たり前の子どもとしての自由や喜びも。
一人の人間としての人格や権利さえ。
失ったことに気付かないまま、最初から全てを剥奪されているのだ。
私には『星の救世主』という肩書さえ、呪いにしか思えなかった。
「フォルティオスばっかりが、全てを背負わされるのは酷い!
幸せになる権利は、フォルティオスにだってあるはずでしょう!」
「それは、違うよ。美空」
泣きじゃくる私を抱きしめて、彼は首を横に振る。
「違う……って」
「僕は、幸せだ。もしかしたら『アース』で一番」
「どうして?」
「だって、この世界に来られたから。そして、君に会えたから」
「!」
彼の腕の中が、温かい。
その言葉に込められた思いが、胸の奥まで染み込んでくる。
飛び出しそうなほどに心臓が音を立てて、高鳴っていた。
「僕は、あの研究所でのことを……もう覚えていないからかもしれないけれど。
もし、やり直しが許されて、平凡に生きるか、今の運命を歩むか、選べと言われたら、きっと今の運命を迷わず選ぶ。
その先に、君との出会いが待っていると、もう知っているから」
「フォルティオス……」
「それに、僕はずっと一人で戦っている気になっていたけれど、そうじゃないと知ることができた。
僕の中には、同じ志を持つ兄弟達、仲間の力と思いがある。
彼らの思いがあるからこそ、生き延びることができた。戦うことができた。
僕は、最初から、一人なんかじゃなかったんだ」
フォルティオスは静かに胸に手を当てる。
彼の内側から、虹色の光が煌めくのが見えた。
「『アナザーワールド』に来て、君に出会えて。
そして、僕はもう記憶にもない。
でも、確かにそこにいて、僕に力を与えてくれた皆のことを知ることができた。
それだけで、僕はこれからも戦っていける。
皆との約束を、君を守るために。
ああ。僕は、本当に幸せ者だ」
小説が本当か、あるいは真実に近い何かを描いているのなら。
失われたフォルティオスの兄弟達が、今も彼の中に宿り、力を貸しているのかもしれない。
「だから、もう僕は迷わない。
躊躇わずに前に進んでいくよ。
僕は、一人ではないのだから」
フォルティオスの苦しみや辛さは、きっと真実を知ったからといって変わらない。
逆に、もっと大きくなるのかもしれない。
でも。
研究所での非道を含む、今までの苦難の全てが、今の彼を――『星の救世主 フォルティオス』を形作ってきたというのなら。
私がするべきことは、彼のために泣くことだけではなく。
きっと、彼と共に歩いていくことなのだろう。
「フォルティオス。
私は、ずっと側にいるからね!」
そのために、私達は出会ったのだ。
彼を一人にしないために。
共に、歩んでいくために。
私は、何の力もないただの女子高生にすぎないけれど。
「美空……」
「もう、一人で戦うなんて思わないで!
向こうの世界のことを隠したりしなくてもいい。ちゃんと教えて。
私は、貴方の『リンカー』なんだから」
涙を拭い、彼の手を強く握りしめる。
この思いが彼に伝わればいいと、強く、強く願った。
「……ありがとう」
彼は静かに、でも確かにそう応えてくれた。
その後、食事休憩やお風呂を挟みながら、二人で公式HPの小説を読み漁った。
幸い、と言っていいのか、『救世主の誕生』以上にハードな話はほとんどなくて、フォルティオスに解説してもらいながら読むキャラクター達の裏話は楽しかった。
「ただいま~。あれ? みっちゃん、まだ起きてたの?
もう十二時だよ」
「おかえりなさい。マヤヤさん。
うわっ! すぐ寝ます!」
「お前もだ。ちゃんと休息は取れ、フォルティオス」
「分かった」
時間を忘れて話し込んでしまった自覚はあったので、その後は二人して追い立てられるように寝室へと向かった。
部屋の扉の前。
ほんの数歩の距離なのに、エスコートするようにフォルティオスは私を送ってくれる。
「なんだか、今日は大変な日だったね」
「ああ。でも、いい日だった。そう思えるよ」
「うん。オクルスさんが来て、ネコちゃんって仲間ができて。
そして……フォルティオスを知ることができたから」
「僕も、嬉しかったよ。オクルスが来たこともそうだけれど、君が『僕』を知っても責めずに受け入れてくれたことが」
「誰も、フォルティオスを責めたりしないよ。ネコちゃんも言ってたじゃない。
知ったことで、多分、もっともっと好きになれた気がする」
「ありがとう、美空。僕も君が大好きだよ」
「!」
そう言って、彼がほんの少し顔を近づけた。
え?
そう思った時には、もう遅かった。
今、頬に触れたのはなんだろう?
風のように一瞬のことだったけれど、確かに彼の唇が触れていったような……。
まるでいたずらっ子のような笑みと熱を私に残して、フォルティオスは去っていく。
「おやすみ。美空。いい夢を」
「お・おやすみ。また、あし……た」
彼が最後に残していった、初めての彼自身からの接触。
優しいほっぺへのキスに、私は完全に茹で上がった。
そのおかげか、小説を読んで受けた衝撃を引きずることなく、眠りにつくことはできたのだけれど。
熱の灯った体と心は、その後、布団に入っても長く鎮まってはくれなかった。




