第62話 『星の救世主』
幼子は、突然変わった光景に戸惑い、周囲を見回していた。
ここは一体、どこだろう。
純白の空間と光が、自分を取り巻いている。
ほんの今さっきまで、自分は最終実験の場で拘束され、苦痛に耐えていたはずだったのに。
全身をすり潰され、粉々にされ、新しく一から組み替えられるような苦痛は、何度経験しても絶望的で。自分が削られ変わっていく恐怖そのもの。
でも、今は跡形もなくそれが消えていた。
温かく、安らかで、心地よささえ感じる。
これほど穏やかな感覚に包まれたのは、いつ以来か。思い出すことさえできない。
『ごめんなさい』
「え?」
伝わってきた謝罪の意思に、幼子は振り返り、目を見開いた。
そこに立っていたのは、目に見えない何か、だった。
輪郭は朧気で、男性にも女性にも思えるし、そのどちらでもないようにも感じられる。
ただ、遠い昔、同じ力を感じたことがある気がした。
それは当たり前のように自分の側にあり、いつも自分を助けてくれていた。
いつどこで? そんなことは思い出せないけれど。
『貴方を、こんな形で苦しめるつもりはなかったのです。
ただ、私の無力と迷いと過ちが、人々を苦しめ、貴方を作り出してしまった。
人の力と思いは、私達の想像を、時として容易く超えてしまうのですね』
存在は幼子に手を伸ばし、優しく抱き留めた。
その腕に抱かれた瞬間、幼子は泣きたくなった。
どうしてなのか、自分でも分からない。
悲しいわけではない。怖いわけでもない。
ただ、この腕の中ではもう何も我慢しなくてもいいのだと、そんな気がした。
けれど、涙は流れない。
泣き方さえも、忘れて頭の中には残っていないのかもしれない。
『もう、二度と一人に全てを背負わせたくなかった。
問題を解決するなら皆の力で、と願った『私達』の判断が過ちだったとは思いたくはないけれど、貴方には、きっと苦労をかけます。
本当にごめんなさい。
でも、貴方は一人ではないから……』
そうして、幼子の瞼の上に口づけを落とす。
唇があったわけではない。
顔も見えない。
けれど、彼は確かにそう感じた。
見えない力が注がれてくる。
それは彼の生来の力と、体内に溶け込んだ四つの力と手をつなぎ、まるでダンスを踊るように、身体の奥深くへと溶けていった。
『フォルティオス』
不思議な光。
謎の『存在』は、幼子をそう呼んだ。
『星の救世主『フォルティオス』。
貴方に名と力を授けます。
全ての勢力のマナを抱く『星』の戦士に祝福を。
この大地の命運を、貴方達に預けましょう』
『フォルティオス』というのは『強き者』。
遠い昔、『星』が人々を導くために与えた勇者の名であると、まだかろうじて残っている記憶の中の知識が告げていた。
自分の中で、何かがはっきりと切り替わったことを、幼子は感じる。
ああ、自分は『フォルティオス』に成ったのだ。
不思議と、そう腑に落ちた。
であるのなら、この存在は『アース』を導くという意思。
『星』なのだろうか?
問いかけることはできない。
身体が動かないのだ。
たとえ動いたとしても、答えは返ってこないだろう。
なぜか、そんなことも分かっていた。
『目が覚めたら、貴方はここでのことも、会話も覚えていないかもしれない。
でも、どうか忘れないで。
『私達』は、いつも貴方達を愛していることを。
側にいる事を。
そして貴方が一人ではない事を……。
どうか、信じて。
忘れないでいて』
意思は消え、不思議な空間は閉じられた。
そして、彼は目覚める。
その瞬間から、彼は理解していた。
自分には使命がある。
そして、約束がある。
誰と交わしたものなのかは、もう忘れてしまったけれど。
魂の奥底に、それだけは刻まれていた。
『俺たち、みんなでこの星を守ろう!』
使命と、約束を果たす為に、自分は全てを捧げよう。そうしなければならないと、心に決めている。
解っている。
自分はその為に作られたのだから。
そうして幼子は消え、『星の救世主 フォルティオス』は誕生した。
星の腕からではなく、人の手によって。
『フォルティオス』の誕生は、人々を歓喜させた。
この時、ファーストロットと呼ばれる研究施設は五つあり、各勢力がそれぞれ研究者を派遣し、異なる視点から『救世主』の誕生に挑んでいた。
『救世主』の定義は、『複数勢力のマナを宿す者』
二千年の昔、五勢力がまだ四勢力だった頃。
ソルシアがファンタズマの妖鬼を元に作り出し、制御不能となって『星』を滅ぼしかけた怪物がいた。
それを退治したのが『星』が派遣したとされる『救世主 フォルティオス』。
彼に由来する、『単独で星を守り切る戦士』が求められていた。
けれど、第四研究所――帝国のディアドラ・ディクティムが指揮する施設以外では、既に失敗が確定しており、実験体も計画もほぼ廃棄されていた。
そこに、完璧な成功事例が現れたのだ。
唯一の成功体である『星の救世主 フォルティオス』には、その後様々な実験とデータの採集が行われ、多くの特性が確認された。
多種のマナによる能力の相乗効果と、複数勢力の特性の保持。
肉体の不滅。
傷を負わないわけではないが、再生能力が高く身体の一部が欠損するような状況下でも完全な復元が可能であると確認された。
そして何より、敵と味方の数を参照し、それらを倒し、あるいは守り切るために能力を向上させる力は絶大で、各勢力を悩ませていたインベイダーの大量降下攻撃を一人で幾度も殲滅せしめた。
発現した各種の能力は、まさしく『星の救世主』にふさわしいものと言える。
一方で絶大な力は、いかに強化されたとはいえ未熟な子どもの肉体では支え切れない可能性も、早期から指摘されていた。特に再生能力を始めとする特殊能力を使うことで、生命種としての寿命や力をすり減らすであろうことも予測されている。
修復や治療は人の手では不可能。
その為、無理の少ない範囲で成長を促進する措置が取られた。
それでも長期間の生存は難しいとされ、早期の実戦投入が求められることになる。
『上位存在』の認知を受けた『星の救世主』の誕生は……人々を、満足と感謝ではなく、さらなる狂気へと走らせた。
今世の『星の救世主』は、人の手によって研究所から生まれた。
ならば、同じ過程をたどれば、第二、第三の『救世主』を生み出すこともできるだろう、と。
常人を遥かに超える力を持つ、インベイダー殲滅兵器。
それを複数作ることが可能なら、天空からの脅威にも対抗でき、いずれは完全に追い払うこともできるだろう。
今の『フォルティオス』が滅びても、予備がいれば不安はない。と。
そう考えたのだ。
しかし、『成功』の裏にあるものを知ろうともせず、実行者本人が悪鬼の所業と認識した手法をなぞり、繰り返そうとした者達は、やがて焦燥と、自分達の過ちを知ることになる。
「何故だ! ファーストロットと同じ手順を踏んでいるのに、どうして成功しないんだ!」
実験の手順と手法は、全て公開、共有されていた。
それを元に、ファーストロットの他の研究施設でも、後に増設されたセカンドロットの施設でも、同じ手順での『救世主作成』が試みられた。
だが、そのことごとくが失敗に終わる。
「マナの移植段階でならともかく、高純度マナ結晶の精製さえ実現できないのは何故だ!」
「確かにファーストロットには、各勢力が『いなくなっても構わない』と判断した子ども達の中でも、優秀な素体が多かった。だが、それにしたって一人も成功しないなんて」
「完全に投薬量も、投与するマナの分量も再現していたのに」
「いや、逆か? 素体が人間である以上、ただ同じ手順をなぞるだけではいけないのでは?」
「個々人に合わせた調整が必要なのか?」
数多の子ども達の屍を積み重ね、ようやくマナ結晶の精製に成功したとしても、肝心の移植は、一度も、一人も成功しなかった。
「能力者の個性と適性は、無数と言っていい。成功事例である個体と、まったく同じ素体を探し出し、用意することは不可能だ」
「これ以上、将来の戦力となり得る子どもを『消費』し続けるなら、研究への出資を打ち切ると京極財団が言ってきた」
ここに至り、研究者の多くはようやく『星の救世主』の誕生について、
『再現性なし』『科学ではなく『星』がもたらした奇跡』
と結論づけ、量産計画を放棄した。
唯一の成功事例である『フォルティオス』を、全勢力の共通財産とする。
彼の教育と維持に協力を惜しまない。
そのような協定が五勢力の間で結ばれ、教導が開始されたのは、『フォルティオス』誕生から約一年後のこと。
研究所は、その翌年までに、全施設が完全に閉鎖された。
報告が届いた時、ネクサスの総監であった女性は、一枚の写真を見つめて呟いたという。
「すまなかったな、颯。お前を犠牲にするつもりはなかったのだが」
彼女の涙と思いは、誰にも届かぬまま、空に溶け、消えていった。




