第33話 楽しいデート(?) 後編
プラネタリウムは、駅横のビルの最上階にある。
五階くらいまではショッピングモールで、そこから上はオフィスフロア。そして上層階が、展望台とプラネタリウムという造りだ。
一階から一気に上へ行くこともできるのだけれど、
「どうせなら、いろいろな店を見てみたいな」
というフォルティオスの要望で、私達は一階から順にお店を見て回ることにした。
今はネットで上映時間も確認できるしね。最終回の一つ前を予約して、それまではゆっくり手を繋いで歩く。
「まるで祭りの日のような賑わいだけれど、今日が特別な日というわけではないのだよね?」
「うん。仕事や学校が休みだから、平日より人は多いと思うけど」
「学校、か。君や雄太の学び舎の授業を聞いているけれど、かなり……というか、とても高度な勉強をしているよね。
あれは、君達が特別な立場だから勉学を許されているわけではないのかい?」
「ううん。ぜーんぜん、普通だよ。こっちの世界では子どもの教育が重要だと考えられていて、生まれた子は全員、六歳から十五歳までは学校で勉強するように決められているの」
「六歳から、全員?」
「うん。義務教育っていってね。あ、そこ、本屋さん。こっちの世界の本がたくさんあるから、ちょっと面白いかも」
このビルの三階には、大きな本屋さんがあった。
フォルティオスは意外なほど驚き、足を止めて店内に魅入っている。
「これが、全て本なのかい? 王城の書庫よりもたくさんあるよ」
「ここはビルのワンフロアだから、そんなに多くないけどね。
すごい所だと、ビル一棟丸ごと本屋さんだったりするし。本屋さんじゃなくて図書館なら、蔵書が数万冊なんてところも普通にあるよ」
「数万冊の本!?」
「ここは本のお店で、好きな本を誰でも自由に買えるの。ちょっと見てみる?」
私は、まだどこか呆然としているフォルティオスを連れて店に入った。
入り口付近には雑誌や週刊誌。奥には小説や専門書、マンガが並んでいる、ごく一般的なお店だ。
「この辺は、娯楽系の週刊誌。毎週発売されて、いろいろな小説や続き物のお話を楽しめるの。
奥には物語や、いろいろな情報を集めた本が多いみたい。これなんかは風景の写真集。こっちは旅行のガイドブックかな? 料理のレシピ本もあるよ」
「これは?」
「子ども向けの図鑑だね。昆虫や動物、植物などの種類が紹介されているの。
こっちは分解図鑑、だって。いろいろな物の性質や特徴を、内部構造と一緒に紹介しているみたい。フォルティオス、日本語は読める?」
「天華の文字と共通点が多いから、大体は理解できると思う。でも、すごい……な」
本のページをめくるフォルティオスの表情が、次第に真剣さを帯びていくのが分かった。
「すごいって、何が?」
「これだけの情報が詰め込まれた本を、誰もが自由に手に取り、買い求められるということが、すごい」
「向こうって、識字率が低かったりする?」
中世異世界ものでは、知識チートが鉄板だけれど、それはその世界の知識水準が低いことが前提だ。
こちらの世界とは違う魔術や超能力が一般的な世界だから、そうでもないのかなと思っていたのだけれど。
「ああ。学問を学べるのは、そもそも上流階級の者か、選ばれた『能力者』だけだ」
本を見るフォルティオスの視線は、真剣なままだ。
「大きな町には私学や私塾もあるけれど、学校や訓練所は、入るにも学ぶにも大金がいる。
大半の親には、子どもに知識を与える余裕がない。子どもは親の仕事を手伝い、やがて同じ仕事に就き、故郷からほとんど出ることなく生涯を終える。
帝国は特にその傾向が強い。娯楽や、まして子どもの教育に余分な資源は使わない」
「え? でも……」
「鈴音がよく言っていた。『知識は力です。そして、力を持つということは苦労も多いですが、幸運なことでもあるのですよ』って。
だから僕は……」
そこから、フォルティオスは完全に口を閉ざしてしまった。
図鑑は手放したくなさそうだったので購入したけれど、彼の表情は変わらないままだ。
何か、彼の地雷を踏んでしまったのだろうか?
デートはここまでにして帰った方がいいかな、とも思ったけれど、プラネタリウムのチケットはもう買ってある。迷った末、予定どおり行くことにした。
その頃には、フォルティオスの表情と態度も少し元に戻っていた。
「すまない、美空」
プラネタリウムの席に二人で並んで座ったあと。
彼はいつもの笑顔で、謝ってくれる。
「謝る必要はないけど、どうかしたの? 私、何か嫌な思いをさせちゃった?」
「違う。君は何も悪くない。悪いのは僕……いや、きっと僕達の世界なんだ」
「え?」
どこか泣き出しそうな、それでいて何かを噛み締めているような顔で告げる彼に、言葉の意味を問おうとした。
けれど、ちょうど上映が始まったので、私達は一旦話を打ち切り、天を仰ぐ。
気がつけば、頭上は満天の星で埋め尽くされていた。
「こ、これは?」
「夜の星空。向こうとは違うの?」
「空……? 夜の空には本来、こんな景色が広がっているのか……」
「本来?」
「僕達の空は、奪われているから。宇宙からの侵略者――インベイダーに」
「え?」
『私たちが暮らす地球。
その夜空に瞬く星々は、すぐ近くに並んでいるように見えます』
問い返す間もなく、番組が始まった。
私語は周りの人達の迷惑になる。私達は顔を満天の星へ向けた。
『けれど星と星との間には、光でさえ何年、何十年、時には何万年もかけなければ越えられないほどの距離があります。
一九七七年、二機の無人探査機ボイジャーが地球を旅立ちました。
その船体には、地球の風景や生き物の姿、人々の言葉や音楽を収めた金色のレコードが載せられています。
今夜は彼らの後を追い、この小さな星を出発し、広大な宇宙を巡る旅へ出かけましょう』
地球を飛び立った無人探査機ボイジャーの航路を辿るという流れで、番組は進んでいった。
太陽から順に、太陽系に浮かぶさまざまな天体を巡り、やがてボイジャーは星間空間へと進んでいく。
『私たちの太陽も、宇宙に無数に存在する星の一つです。
そして、その太陽を含む銀河系には、数千億もの星があると考えられています。
その中には、地球とよく似た環境を持つ惑星もあるかもしれません。
海があり、空があり、私たちと同じように夜空を見上げる何者かがいる可能性を、今の私たちは否定できないのです』
隣の席で、フォルティオスの肩がピクリと揺れたのが分かった。
彼は知っている。
外宇宙からやってきた、侵略者の存在を。
私は手を伸ばし、椅子の肘掛けに置かれていたフォルティオスの手を捕まえた。
少し迷うように指先が動いたあと、彼の手は静かになった。
私と彼は暗い星の海の中、お互いの存在を感じながら、ただ黙って一緒に空を見上げる。
作り物の空だけれど。
『地球からのメッセージを携えた二機のボイジャーは、太陽圏を越え、今も星間空間を進み続けています。
ボイジャー一号は、間もなく地球から一光日の距離に達するとされています。
人類が半世紀をかけて辿り着いた距離も、宇宙の広さから見れば、刹那としか言えないほど短いものです。
ボイジャーのゴールデンレコード。
いつか遠い宇宙のどこかで、まだ見ぬ誰かがそれを手にするかもしれない。
その可能性は、限りなく小さいものです。
それでも人類は、自分たちがここにいるという証しと、見知らぬ誰かへ向けた挨拶を、星々の海へ送り出しました。
宇宙は、あまりにも広大です。
けれど、その広さは、私たちが永遠に孤独であることを意味するものではありません。
遥かな星の光が長い時を越え、今、私たちのもとへ届いているように。
いつの日か、この同じ銀河に暮らす、まだ見ぬ同胞が見つかるかもしれません』
番組が終わると、私達は展望台へ足を進めた。
彼は何も言わなかったけれど、私と繋いだ手を離さないでいてくれた。
市内一のランドマークタワーからは、夕闇に染まる街並みが一望できた。
紫に染まりかけた空にも、地上にも、星が溢れている。
「美空、今日はありがとう」
「え?」
窓ガラスに手を触れ、眼下を見つめていたフォルティオス。
一瞬、呼吸が止まったように感じた。
晴天の空を切り取ったような双眸が、今は私を見つめている。
「今日は楽しかった。
そして、いろいろなことを考えたよ。僕は今まで、本当に何も知らなかったのだと、思い知らされた気分だ」
「フォルティオス……」
「僕は『星の救世主』。でも、その称号と役目に込められた意味に、僕は気づいていなかったんだ」
「それは、どういうこと?」
「僕は今まで、インベイダーを倒すことが星を救うことだと思っていた。敵を倒し、帝国を守る。それが僕の使命なのだと」
そこで彼は一度言葉を切り、窓の向こうへ目を向けた。
「でも、敵を倒すだけで、本当に星を救ったことになるのかな。
生まれた場所や身分によって、学ぶことも、自分の人生を選ぶこともできない人達をそのままにして。それで守ったと、救ったと言えるのだろうか」
「それは……」
「インベイダーは僕達の空を奪った。僕達を苦しめている敵だ。それは変わらない。
だけど僕は、彼らを倒すことだけを教えられてきた。
彼らがどこから来たのか、何を考え、何のために戦っているのか。
僕は何一つ知らないまま、全て分かっているつもりになっていたのかもしれない」
彼の身体に、インベイダーを含む六勢力全ての因子が組み込まれていることを、私はまだ知らない。
だから彼が、なぜそこまで苦しそうな顔をしているのかも、この時の私には分からなかった。
「僕自身のことも同じだ。
僕は、自分が何者なのかさえ、まだ何も知らない」
「それは、どういうこと?」
「今はまだ、知らなくていい。
もしかしたら、いつか君を巻き込んでしまう時が来るかもしれない。
それでも僕は、必ず君と、君のいるこの星の空を守ってみせるから」
チクリと、胸が痛んだ。
私は、ただ彼を楽しませたかっただけなのに。
彼の使命や立場が――何より彼自身が、それを許さないのだろうか?
でも、それを私が口にして問い詰めれば、きっと彼を困らせてしまう。
それだけは感じたから、私は、
「ありがとう。頼りにしてるね」
素直な感謝の言葉だけを口にした。
「それで、今日はどうする? レイトショーの映画も見ていく?」
「……いや。明日のこともあるから、今日はもう帰ろう」
「そうだね。映画は、また次の機会に」
私がそう言うと、彼の目が不思議に揺れた。
「次を、約束してもいいのかな?」
「当たり前でしょ? 今日はまだ序の口。映画もだけど、遊園地とか、海とか、カラオケとか。
フォルティオスと一緒に行きたい所、やりたいことは、いっぱいあるんだから」
「ありがとう。こちらの世界は、本当にステキだね」
「もっとステキな所を教えてあげる。
私も今日は楽しかったし、次もまた一緒に、ね」
「楽しみにしているよ」
私は知らない。
彼の背負っている使命の重さも、素性も、何一つ。
でも、それはいつか彼が教えてくれるまで、知らなくてもいいと思う。
私にとってフォルティオスが大切で、できるならこれからも一緒にいたいと思う人であることに、変わりはないから。
展望台から降り、二人で並んで歩く帰り道。
「夕ご飯は何がいい? ラーメンとか食べていこうか?」
「ラーメン? それは知らない料理だ。食べてみたいな」
「おいしいよ。味噌とか醤油とか、いろんな味があってね」
「味噌と醤油は知っている。鈴音がよく使っていた。僕も結構好きだよ」
「じゃあ、近くのおいしいお店に……どうしたの?」
「……いや、何でもないよ。
あまり遅くならないうちに帰ろう。ラーメンは、また今度」
「え? 本当にどうしたの?」
私はフォルティオスに背中を押され、くるりと道路側へ回された。
その時は首を傾げただけだったけれど、もしかしたらフォルティオスは、誰かの気配を感じたのかもしれないと、あとになって気づいた。
車の危険があるから、女性は建物側を歩くのが一般的だ。
でも、通路側から襲われる危険がある時は、道路側の方が安全な場合もあると、マンガで見たことがあるから。
「あらあら。あの子ったら、私達に気づいたのかしら?
随分と腕も力も上げたものね」
「まあ、いいじゃないか。どうせ明日には会うんだから」
「ええ。そうですね。楽しみです。
小さかったあの子が何を見いだし、どう成長したのかを知るのが、とても」
その勘は、正しかった。
翌日、私達は三組目となる『リンカー』とパートナーに出会うことになる。
秋トーナメントの予選会場で。




