↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
91/111

外伝 第18話 もう一つの鳴き声

 牛の頭をした巨人が、泣いていた。


 最深部の円形空間に、体長二メートルのミノタウロスがうずくまっていた。通路で捉えた大きな気配は、この個体だった。


 鎖が三本、壁面に身体を繋ぎ止めている。胸元から漏れる淡い光に、顔の輪郭が浮かぶ。赤い目は光を失いかけ、濁った灰色に変わりつつある。


 輪島が手を叩いた。反響音が返る。


「体長二メートル。……心臓音が聞こえる。弱い。不規則。……泣いてる。こいつ、泣いてる」


 伊禮の【共鳴】が、ミノタウロスの感情を読み取った。

「怒り」ではなかった。

「殺意」でもなかった。

「悲しみ」と「寂しさ」

 そして、「困惑」


 なぜここにいるのか。なぜ繋がれているのか。


 伊禮が言葉を当てるなら、そういう困惑だった。


 誰にも呼ばれずにいるような寂しさが重なる。過去に何があったかまで、聞こえたわけではない。


 伊禮は立ち尽くした。


 これまで戦ったモンスターは「飢え」や「恐怖」で攻撃してきた。


 だがこのミノタウロスは──攻撃の意思がない。ただ、うずくまって、泣いている。


「輪島。こいつを倒さないと、ダンジョンは崩壊しないんだよな」


「たぶん。案内放送は『最深部のコアを破壊せよ』と言ってた」


「あの胸の光が、コアなら……」


 伊禮は持っていた棒を見た。


 水の中で何度も振り、先端の木目が裂けている。それを足元へ横たえた。


「置くのか」


 輪島が低く訊いた。


 伊禮は頷いた。


「近づいてみる。……急に動いたら、教えてくれ」


 輪島は棒を構えたまま、数歩後ろへ残った。


 伊禮は一歩進み、止まり、また進む。


 ミノタウロスが顔を上げた。濁った目が伊禮を見た。


 その瞬間、【共鳴】に新しい感情が流れ込んできた。

「怯え」

 近づくほどに怯えが強くなる。


 伊禮は歩みを緩めた。自分たちを警戒しているのだろう。それでも、逃げようとはしなかった。


 伊禮は手を伸ばした。ミノタウロスの額に、ゆっくりと手を置いた。


 ミノタウロスの身体が震えた。怯えの感情が揺れ、その奥に、細い安堵が混じった。


 伊禮の【共鳴】が、ミノタウロスの感情を全身で受け止めた。

 寂しさの深さ。

 暗闇の中に取り残されたような孤独。

 伊禮自身が胸の奥へしまっていた寂しさまで、引き出されるようだった。


 涙が、伊禮の頬を伝った。


「……ごめんな」


 輪島の声が、静かな洞窟に響いた。


「伊禮。心臓音が変わった。安定してきてる。お前が触れたから、こいつの心臓が落ち着いたんだ」


「反響は?」


「温かい。……俺たちの時と、同じ温度だ」


 伊禮はミノタウロスの額に手を置いたまま、胸の中央を見た。


 そこに淡い光を放つ小さな結晶体が露出している。


 コアだった。


「ごめん。……でも、壊さないと帰れない」


【共鳴】に返ったのは、怯えが薄れる気配だった。

 これから何が起こるかまで、伊禮に分かったわけではない。

「いい」と言われたわけではない。


 伊禮が額から手を離さないうちに、輪島は棒を床へ置いた。


 道中で使い残した石をポケットから取り出し、伊禮の空いている手へそっと渡した。


 伊禮は石片を結晶体へ打ち下ろした。


 コアが砕けた。


 ミノタウロスが、光の粒子に還っていく。


 最後の瞬間、


 伊禮の手の中に残った感情は──「ありがとう」ではなかった。


 もっと原始的な、言葉以前の感情。


 温かいものに触れた、ただそれだけの安堵。


 光が消えた後、伊禮はしばらく動けなかった。


 輪島が隣に座った。何も言わなかった。


 ただ、反響を飛ばすのをやめて、静寂の中で伊禮の隣にいた。


 長い沈黙の後、伊禮は呟いた。


「この寂しさ、ここだけのものじゃなかったのかもしれない」


「ここだけじゃない?」


「もっと遠くから、同じ声が重なってた気がする。……うまく言えないけど」


 輪島は頷いた。


 床に置いた棒を拾い、伊禮の分も引き寄せた。


 二本を手の届くところへ揃えたまま、隣に座り直す。


 帰還の光が降り始めても、伊禮が立つまでは急がせなかった。


* * *


 与論島の空の下に帰ってきた二人は、赤崎鍾乳洞の出口で並んで立っていた。


 輪島は入口の係の人に事情を話し、持ち帰った二本の棒を渡した。


 伊禮は空になった右手を、しばらく開いたまま見ていた。


 珊瑚の島の空が、夕焼けに染まっている。


 海の音が聞こえる。


 波の反響。


 風の共鳴。


 島の音が全身を包む。


 輪島が夕焼けの海へ目を向けた。


「反響がなくても、お前の声は聴こえるよ」


 伊禮は答えた。


「共鳴がなくても、お前の気持ちは分かるよ」


 波の音だけが響いていた。


 温かい反響だった。


外伝 第三章 後篇 赤崎鍾乳洞ダンジョン 了

輪島「最後まで読んでくれて、ありがとう」

伊禮「ありがとう。明るいところで言えて、よかったな」

輪島「ああ。今日は、もう手を叩かなくていいんだな」

伊禮「帰り道ぐらい、知ってるだろ」

輪島「知ってるけどさ。黙ってると、つい」

伊禮「じゃあ、喋れよ」

輪島「何を」

伊禮「なんでも。今日、風が強いとか」

輪島「……風、強いな」

伊禮「そのまんま言うのか」

輪島「お前が言ったんだろ」

伊禮「そうだけど」

輪島「海の方、少し歩くか」

伊禮「ああ」

輪島「読んでくれたみんなも、ここまでありがとう」

伊禮「おれたちの声を、最後まで聞いてくれてありがとう」

輪島「またな」

伊禮「また」


──────────


『赤崎鍾乳洞』そして『鍾乳洞ダンジョン前篇・後篇』を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 何かが聞こえることと、何をすればいいか分かることは、同じではありません。たぶん。伊禮の隣に輪島が座ったところは、すぐに言葉を足さずに残したい場面でした。

 二人が洞窟を出た後も、あの時間を覚えていていただけたらうれしいです。 鍾乳洞組の静かな二組の話に付き合ってくださって、ありがとうございました。


 次は『迷宮設計者の告白』

 迷宮を造った男の視点で、物語の始まりを辿ります。

 彼が何を思い、何を選んだのか。

 その話にも、お付き合いいただけたらうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。