↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
85/111

外伝 第12話 お願いがある

 ミノタウロスは、巨大だった。


 天井に頭がつきそうなほどの体躯。牛の頭に人間の身体。灰色がかった筋肉の表面に、赤紫色の光が脈打っている。


 太い鎖が四肢と首に巻きついているが、鎖は床にも壁にも繋がっていない。振り上げた腕と一緒に揺れている。


 赤い目が、ダイたち三人を捉えた。


 ダイは棒を持つ手を止めた。


 タロスよりも大きな腕が、鎖を鳴らして上がった。


 その長さを測り、手元の棒を見下ろした。


 正面に立ち、二人を左右へ回す号令をかけようとした。慣れた配置を思い浮かべ、口を開きかけた。


 だが、その前にテツとマーサへ目を向けた。


「テツ。マーサ。頼む。俺が間合いを見る。触れられそうなところを、一緒に探してくれ。……お願いだ」


 テツが巨人の脚と、壁際の空きを見比べた。


「拳が床に落ちたら、脚へ行く。お前は殴られに行くな。オレが戻る場所を空けとけ」


「わたしが腕の流れを見る。二発目が来る前に、二人とも離れて」


 ダイは頷いた。


 攻撃を受けて足止めするつもりで組んだ配置を、頭の中で崩した。


 テツは小さく笑った。


 今度はダイにも、口角が上がったのがはっきり見えた。その笑顔に、棒を握る手がわずかに緩んだ。


 マーサが泣きながら叫んだ。


「おっけー! 任せとき!」


 ミノタウロスが咆哮すると、地面が震え、壁に亀裂が走った。


 三人は棒を構えた。


 テツの一本は曲がり、先端が潰れていた。

 マーサは震える手で、短い棒を握り直した。

 ダイは正面へ出た。【測距】が告げる拳までの距離から、腕の届く外へ退こうとした。


 その瞬間、巨人が半歩踏み込み、数値が一気に縮まった。ダイは床へ飛び、拳の下を転がった。背中へ石片が降った。


「テツ、待て! まだ来る!」


 マーサの声で、走り出しかけたテツが止まる。


 空いた方の拳が壁を薙いだ。


 さっきまでテツが見ていた道が、瓦礫で塞がれた。


 ダイは起き上がり、巨人の腕と脚を測り直した。踏み込みによって、退こうとした場所まで拳が届いていた。


 最初に測った間合いだけでは避けられないと分かり、戻る道も確かめた。


「右の壁際、通れるか」


「一人ずつなら。……先に、こっちへ腕を振らせてくれ」テツが言った。


 ダイは頷き、棒で床を叩いた。


 拳が来る。


 さっきより一歩早く退き、巨人を壁際まで引いた。拳が床へ落ちた轟音の中で、テツが反対側へ走る。


 ふくらはぎへ一度触れ、テツはすぐに離れた。【測質】


 追ってきた踵を棒でそらそうとし、腕ごと弾かれる。片膝をついたテツの肩を、マーサが引いた。


「表皮は鉄鋼並み。膝の裏だけ、薄い。だが棒を振る隙間がない」


 テツが肩で息をした。


 ダイは棒を握り直し、先ほど見た膝裏へ足を向けかけた。だが、二人の息はまだ整っていなかった。


 ダイは足を戻し、テツが顔を上げるのを待った。


「待つ。……次にどう崩すか、一緒に考えてくれ」


 マーサが巨人の足元を見た。倒れた石柱の根元が、通路側へ低く突き出している。


「右へ向き直る時、足が一回止まる。あの石の向こうへ、左足を出させられん?」


「オレが膝裏へ棒を入れる。ダイは押し込むな。体重がかかるまで待て」


 ダイは床の突起と、左足が着く位置を測った。


 半歩ずつ退き、拳の届く線を二度外した。足元を確かめるたびに顔を上げ、巨人の腕の動きも追った。


 一度目は、巨人が石の手前で止まった。


 テツも出なかった。


 ダイは急かす言葉を飲み込み、もう一度、壁沿いへ動いた。


「そっち! 今、左が浮く!」


 マーサの声とともに、巨人が石を跨いだ。


 テツが膝裏へ棒を差し込む。まだ動いている足へ手を近づけ、外殻に引っかかった先端の位置を直した。


 ダイはテツの隣へ回った。


「押してくれ!」


 二人で棒を下げた。左足へ体重が乗り、曲がった棒が低い突起に当たる。


 手の力では動かなかった膝裏の薄い外殻が、巨人自身の重さで裂けた。棒もさらに曲がり、抜けなくなる。


「放せ!」


 ダイとテツは棒から手を離した。左膝が折れ、巨人が床へ片手をつく。


 だが、もう片方の腕が戻ってくる。


 マーサがその腕を指し、三人は膝の外へ退いた。


 テツが膝の割れ目へ触れた。すぐに手を引く。


「奥に核。外から十五センチ。外殻が動くから、今は棒が入らない」


 ダイは残った自分の棒の端を、割れ目へ向けた。届く長さはある。


 だが差し込む前に、核を覆う欠片が閉じる。金属が噛まれ、手首を捻られた。棒を引き抜いた。


「三拍目だけ開く。中の流れが、そこで押し返しとる」


 マーサが片膝をついた。


 片手を棒から離し、胸の前で小さく拍子を取る。テツは曲がった自分の棒を引き、噛み込んだ外殻の向きを少しだけずらした。


 巨人の拳が再び上がる。


 ダイはまだ差し込まなかった。マーサの指を見た。


「二、三──今!」


 ダイは開いた隙間へ、棒の端を突き入れた。


 先端は届いたが、核は砕けなかった。


 テツが横から棒を支え、ダイは床を蹴って押した。


 赤い結晶に、細いひびが走った。


「抜かんで!」


 マーサが自分の短い棒で、二人が支える棒の後端を打った。


 衝撃が腕を通り、奥へ抜けた。


 結晶体が割れる音。


 頭上の拳がほどけ、光の粒子が三人の背中へ降ってきた。


 ダイは棒を離して、床へ両手をついた。


 二人の息が、すぐ隣で聞こえた。


 静寂。


 三人は肩で息をしながら、


 最後の光が消えていくのを見つめていた。


 マーサが、地面にへたり込んだ。


「ダイくん。テツくん。……声、出る?」


「出る。お前の声も、聞こえてる」


 テツが壁に寄りかかった。無表情が──ほんの少しだけ、ほぐれていた。


 ダイは見上げた。天井から赤紫の光が消え、代わりに白い光が降り注いでいた。


 照らされた二人の顔へ、視線を戻した。


「テツ。マーサ」


「ん」


「なに?」


「ありがとう」


 マーサが大声で泣き始めた。

 テツは何も言わず、紙ナプキンを一枚差し出した。

 マーサが受け取って鼻をかんだ。


「きったなっ」とテツが声を上げ、マーサが泣き笑いになった。


 立ち上がる時、テツが床に残った曲がった棒を拾った。


 ダイも自分の一本を取り、マーサは短い棒を抱えた。


 白い光が足元へ広がっても、ダイは棒を握り続けていた。


 マーサの短い棒が、ダイの手首に触れた。


 その感触を残したまま、足元の石床が白くほどけた。


* * *


 名古屋駅の改札口に、三人は立っていた。


 帰還したダイが最初に見たのは、救急隊員に担架で運ばれる柳だった。


 胸が上下しているのを確かめ、ダイは棒を握ったまま駆け寄ろうとした。


「白石さんは。中島さんは。相馬は」


 駅員に肩を止められ、ダイはそこで初めて、自分がまだ棒を握っていることに気づいた。


「十一人とも、呼吸はあります。今、救急隊が診ています。ここで待っていてください」


 ダイは名前を呼ぶのをやめた。


 救急隊員が運ぶ先へ目を向けたまま、頷いた。


 ダイたちは持ち帰った棒を床へ並べた。曲がったもの、先端の潰れたもの。手を放すと、指がすぐには開かなかった。


 テツがダイの掌を見てから、駅員へ事情を話した。


「ダイくん」


 マーサが、目を腫らしたままダイの横に並んだ。


 泣きすぎた顔を袖で拭い、ダイを見上げた。


「なに」


「名前、呼んでくれてありがとう」


 ダイは頷いた。うまく言葉にできなかった。


 テツが近くの自販機でコーヒーを三つ買ってきた。


 ブラックが二つと、カフェオレが一つ。


 カフェオレをマーサに渡す。


「ブラック飲めんの、バレとるやん」


「バレてるだろうな」


 ダイはブラックコーヒーを受け取り、一口飲んだ。


 いつもの苦さを舌に感じ、少しずつ缶を傾けた。


 缶コーヒーを飲みながら、ダイは静かに名前を呟き始めた。


「白石さん。中島さん。柳。相馬。藤原さん。田辺さん。根岸。鶴見さん。堺。岩田さん。宮本さん」


 十一人の名前。


 一人ずつ。


 テツが隣で、黙って聞いていた。


 マーサはカフェオレを両手で包みながら、一人ずつの名前に小さく頷いていた。


「十一人。全員、俺の命令で動いてくれた。俺の判断を信じてくれた。名前を呼ばなくなった後も」


 ダイの声が震えた。号令をかけていた時のようには続かず、十一人の顔を思い浮かべるたびに途切れた。


 マーサがポケットから、ピンク色の小さなメモ帳を取り出した。開かれたページをダイが覗くと、十一人の名前が丁寧な字で並んでいた。


 一人ずつ、名前の横に花の絵が描かれていた。


「いつの間に」


「休憩の時に、こっそり。……忘れんように」


 マーサは笑った。泣きながら。


 名古屋の空は、オレンジ色に染まっていた。


 頭上に天井がないことを確かめるように、ダイはしばらくその色を見ていた。


 ダイは十一人の名前をもう一度、心の中で呼んだ。


 缶の縁に口をつけたが、もう中身は残っていなかった。


 十一人はそのまま各地の病院へ搬送された。


 後日、全員が目を覚ましたと連絡が来た。光になって消えた者は、迷宮の外へ退避させられていたのだ。


 だが、ダンジョン化に巻き込まれてから退避するまでの記憶は、誰にも残っていなかった。


 中で起きたことを覚えていたのは、ダイたち三人だけだった。


* * *


 翌々月、四月。


 ダイとテツは高校二年、マーサは中学三年になっていた。


 修学旅行で東京へ向かう新幹線の中で、ダイはイヤホンをつけ、窓の外を眺めていた。周りではクラスメートが騒ぎ、隣ではテツが文庫本を読んでいた。


 別の中学校の修学旅行に来たマーサも、偶然同じ列車に乗っていた。翌朝は、どちらの学校も東京駅に集合してから移動する予定で、三人は集合前に少しだけ会う約束をしていた。


 ダイのスマホに『東京楽しみー!!!!』というメッセージが届いた。


 絵文字が五個も続き、ダイは画面をテツに見せて、イヤホンを片方だけ外した。


 新幹線が東京駅に滑り込んだ。午後のホームに降り立った時、足元が微かに揺れた。ダイとテツは立ち止まったが、すぐに揺れは収まった。


 その日は、教師に呼ばれて駅を出た。


 マーサとはメッセージを交わすだけだった。


 翌朝、集合までの短い自由時間に、約束どおり合流した。土産を見ながら、それぞれの学校の集合場所へ向かって東京駅の地下を歩いていた。


 ダイの右手が、チリッと痺れた。


「テツ」


「ああ。オレも」


 テツも右手を見下ろしていた。


 二人が顔を見合わせると、消えたはずのステータス画面が、手の甲の上で淡く明滅した。


 ダイは足を止めた。


 二月、名古屋駅の地下街で足元が揺れた時と、同じ感覚だった。


 ──三千二百メートル先の出口を目指した旅は終わり、季節がひとつ進んだ。


 次の試験が、


 始まろうとしていた。


外伝 第二章 名駅ダンジョン 了

ダイ「最後まで読んでくれて、ありがとう。……で、あとがきって何を話すんだ」

マーサ「今それ聞くん?」

テツ「決めずに聞けたなら、進歩だろ」

ダイ「お前な」

マーサ「わたし、お礼言いたい。ここまで一緒に来てくれて、ありがとう」

ダイ「……そうだな」

テツ「それで十分じゃないか」

ダイ「いや、俺からも。あの中じゃ、前ばっかり見てたからさ。読んでる人には、隣の二人も見えてたんだろうな」

マーサ「わたし、けっこう喋っとったしね」

テツ「オレは、喋ってない時もいた」

ダイ「知ってる。今なら、もう少し聞けると思う」

マーサ「じゃあ、次に三人で寄る店、わたしが決めていい?」

ダイ「いいぞ。どこだ」

マーサ「甘いのあるとこ。ブラックコーヒーはなしで」

テツ「オレの分まで決めるな」

マーサ「わたしの分だけ! テツくんはブラックでええやん」

ダイ「……はは。じゃあ、一緒に行ってくれ」

マーサ「うん。そういうお願いなら、何回でも聞くよ」


──────────


『名駅ダンジョン』を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 ダイは、最初から誰かを傷つけたい人間ではありません。ただ、必死に出口を目指すうちに、名前より役割を呼ぶようになっていました。テツとマーサが、その隣で何を見ていたのかも、一緒に読んでいただけたらうれしいです。

 帰ってきたから、それまでの判断が全部正しかったことになるわけではない。ダイが十一人の名前を呼ぶところまで、見届けてくださってありがとうございました。


 次は『鍾乳洞ダンジョン』

 前篇『千仏鍾乳洞』

 舞台は北九州の洞窟へ。

 記録を残す佐藤と、岩を溶かす汐沢が、二人きりで出口を目指します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。