外伝 第10話 名前を呼べ
六人になったダイたちは、中層の奥をひたすら進んでいた。
ダイとテツ、マーサのほかに残っていたのは、三人だった。
【治癒】を持つ四十代の主婦の岩田。
【感知】を持つ大学生の堺。
【防壁】を持つ六十代の宮本。
一行は六人で歩き続けた。
十四人から、半分以下になっていた。
消えた八人の生死を確かめる術はなく、ダイは光になって消えた場所を思い返すしかなかった。
マーサが、唐突に口を開いた。
「ダイくん」
「なんだ」
「消えた人の名前、言える?」
ダイは足を止めた。
「白石さん。中島さん。柳。相馬。藤原さん。田辺さん。根岸。鶴見さん」
ダイは八人の名前をよどみなく答えた。
名前と一緒に、白石の【発光】や中島の【防壁】が浮かんだ。
柳の「任せろ」も、相馬の「了解!」も、声まで思い出せた。
マーサは頷いたが、問いを終えずにダイを見上げた。
「名前は言えるんやね。じゃあ聞くけど、最後に名前で指示を出したのは、いつ?」
「……」
ダイは答えかけて、声を出せなかった。
柳にも相馬にも、最初は名前で指示を出していた。だが、最後に呼んだのがいつだったかを辿ると、号令の言葉が曖昧になった。
「ダイくん。わたし、ずっと見とったけど、アンタの命令にはだんだん名前がなくなっとった。『前衛、出ろ』『斥候、走れ』『防壁、ここ守れ』。役割だけ。名前じゃなくて、駒の番号みたいに指示しとった」
ダイは足元へ視線を落とした。
否定しようとしたダイは、記憶を辿るうちに口を閉じた。いつからか、名前を役割名に置き換えていた。名前を呼ぶ〇・五秒さえ省こうとしていたことを、マーサの言葉で思い知らされた。
テツが、いつもの無表情で呟いた。
「オレのことは最初から『テツ』って呼んでたけどな」
「マーサのことも『マーサ』って呼んどるよ」
テツとマーサ。ダイは二人の顔を交互に見た。ずっと近くを歩いていたこの二人には、確かに名前で呼びかけ続けていた。
一方で、ほかの十一人を指す時には、「前衛」「斥候」「支援」という言葉が増えていた。
短い休息時間に、ほかの四人が寝静まった。
ダイはしばらく膝を見つめてから、テツに話しかけた。
「テツ」
「ん」
「……俺、間違ってるか?」
号令をかけていた時よりも、ずっと小さな声だった。ダイは膝を抱える腕に力を込め、返事を待った。
テツは長い沈黙のあいだ、壁に刻まれた数字を見ていた。
「間違ってはいない。お前の判断で、こうして六人が残ってる。でも、正しいことと、良いことは、違うかもしれない」
テツの表情が、ダイには少しだけ柔らかく見えた。
ダイは膝を抱えて、壁の数字を見つめた。
「6」
次に刻まれる数字のことを考えると、胃が冷たくなった。
* * *
下層への入り口は、巨大な吹き抜けの空間だった。
天井がなかった。見上げると、遥か上方に赤紫色の光が渦を巻いている。そしてその吹き抜けの壁面を、無数のミルメクス、巨大蟻の群れが、びっしりと覆い尽くしていた。
「数、どんだけおるん……」
マーサは息を呑み、【測流】で群れの動きを探った。しばらく壁面を見渡してから、首を横に振った。
ダイは吹き抜けの反対側を測った。下層への階段までは約八十メートル。その間の壁面は蟻に覆われていた。通り抜けるには、群れの下を走る必要があった。
「突っ切る。全員、最短距離で走り抜ける」
ダイは岩田を、走りながら【治癒】を使える位置に置いた。
堺には【感知】で蟻の密度が薄い場所を探ってもらい、
宮本の【防壁】を全員の頭上から両脇へ展開させた。
「いくぞ。走れ!」
六人が一斉に駆け出した。
ミルメクスが反応し、壁面から雪崩のように落ちてくる。
宮本の【防壁】がそれを弾いた。
堺が「右! 右が薄い!」と叫び、
ダイが「右に寄れ!」と号令をかけた。
四十メートルを走り、中間地点に達した。
ダイは階段までの残りの距離を確かめた。
だがミルメクスの密度が急激に上がった。防壁がきしみ、宮本の顔が蒼白になった。伸ばした腕が震え、走る足も遅れ始めた。
「防壁! 出力を半分に落とせ! 頭上だけ守ればいい!」
「し、しかし、横からも──」
「横は走って避ける! 足を止めるな!」
六十メートルを過ぎ、階段まではあと二十メートルだった。
横から来た蟻をテツが棒で払った。
一匹は落ちたが、次の一匹が棒へ食いついた。引き剥がす間に、宮本の防壁が割れた。
上からミルメクスが降ってきた。
岩田が宮本を庇い、堺が二人の上に覆いかぶさった。
ダイは棒で攻撃したが、外殻を打つ音ばかりが重なった。三人へ救助の腕を伸ばす隙間を作れなかった。
「岩田さん! 堺! 宮本さん!」
三人のHPが同時にゼロになり、身体が光の粒子にほどけて消えた。
残り三人。
ダイ、テツ、マーサ。
消えた場所へ足を止めたダイの腕を、マーサが引いた。
「ダイくん、ここも落ちてくる!」
テツが棒を捻って蟻をいなした。潰れた先端が床をこする。
三人で階段へ駆け込み、ダイとテツが肩で扉を押した。
隙間へ入った蟻の脚をマーサが棒で退け、扉が閉まる。
群れが向こうで壁を叩く音は、しばらく続いて、やがて消えた。
ダイは壁に背を預けて、荒い息を整えた。
テツが、隣に座った。
ダイは座り込んでも、扉の向こうへ耳を澄ませていた。
「……宮本さん」
指示を出した時には呼ばなかった名前を、ダイは口にした。
扉の向こうから、返事は聞こえなかった。
「岩田さん。堺」
マーサが背中に手を置いた。
ダイは三人の名前をもう一度、
声に出した。
壁の数字が刻まれていた。
「3」




