外伝 第6話 また会おな
扉を開ける前に、和田が足を止めた。
直前の戦闘で崩れた壁の下にしゃがみ、瓦礫を一つずつ持ち上げる。角が尖っていても、握ると崩れる石は捨てた。
「手ぶらで行くんは、もうやめとこ」
和田は両手で振れる石塊を選び、大阪は縁の薄い石片と、投げられる小石を拾った。金子には、左手だけで握れる平たい石を渡す。大阪がハンカチで握る側の角を包んだ。
「これで殴ったら勝てる、とは思わんといて。手を届かせるためのもんや」
金子は石を握り直した。
右肩は動かない。右足も、踏ん張ると足首の奥が痛んだ。大阪はその足を見てから、扉に手をかけた。
最深部は、天井の高い円形の空間だった。
中央に、牛の頭をした巨人が立っていた。
灰色の筋肉。身体に巻きついた鎖。赤い目が三人を捉える。
和田はまず扉の脇の石塊を確かめた。両腕で抱えられる重さ。次に、そこから数歩離れた柱の根元にも、同じくらいの石を見つけた。二つの位置を目で辿る。
「金子。逃がす先は、あっことあっこ。動く前に声かけるから」
「知ってる。右肩は使わん。左手と声だけなら、できる」
大阪は金子の横へ立ち、前へ出ようとする足を止めた。
「ほな、ここから。右足で踏ん張らんといて」
金子は頷いた。
石をいったん足元へ置き、左手でスカートの裾を掴む。ぎこちないお辞儀だった。右肩をかばい、声はかすれて、それでも顔を上げた。
「見てみて、うちピエロやで!」
【道化】発動。
金子は左手を大きく振った。ミノタウロスが踏み込み、拳の影が三人の頭上を覆う。
「替えるで!」
和田が金子と扉の脇の石塊を【すり替え】た。
大阪は和田の袖を引き、拳の落ちる線から退いた。石塊が砕けた。さっきまで金子が立っていた場所に、深い窪みが残った。
巨人はすぐに扉の方を向いた。金子が声を張り直すより早く、もう片方の拳が横から迫る。
「次、柱や!」
二度目の交換。
金子は柱の根元で膝をついた。扉の脇へ飛ばされた石塊を、拳が壁ごと押し潰す。二つあった退避先が、両方なくなった。
和田は次の石を探した。小さいものばかりだ。さっきのように人と替えられる重さの石は、巨人の脚の向こうに一つしか見えない。
金子は柱に背を預け、左手を振っていた。声が途中で裏返る。
大阪は拾った小石を巨人の顔へ投げた。命中しても傷はつかない。だが赤い目が一瞬こちらを向き、その間に和田が壁際を走った。
「左膝の内側。継ぎ目の奥に、核の外殻がある!」
大阪の【看破】は弱点を捉えていた。
低い位置だ。届きさえすれば。
和田は新しい石塊のそばまで来ると、巨人の左足が着く床石を、足元の出っ張った石材と入れ替えた。
足首が傾いた。だが、巨人は倒れなかった。右足を大きく開き、左膝を伸ばし直す。その踵が床を削り、突き出した石材を蹴り飛ばした。
和田が身を伏せた。
飛んだ破片が頬を切る。握っていた石塊を取り落としかけ、両腕で抱え直した。今の踏み直しを、大阪は見ていた。
「左だけ崩しても、右で支えよる。……金子、顔だけこっち向けさせて」
金子は息を吸った。声は出なかった。咳が一つ漏れた。大阪の手が、石片を握りしめる。
「無理なら、ウチが──」
「声だけが、取り柄ちゃうもん」
金子は頬を左手で引っ張り、舌を出した。ひどい顔だった。
大阪が息を詰まらせる。
金子はその顔のまま、柱の陰から左へ、ほんの少し身を傾けた。赤い目が追う。
「アホか。泣かすボケがあるかい……!」
大阪は泣きながら、巨人の足を見ていた。右足が金子の方へ踏み出される。床から踵が離れ、左脚一本へ体重が乗った。
「和田、今! 左の外へ!」
和田が床石を替えた。左足の外側だけが持ち上がる。右足を踏み直そうとした巨人の身体が、今度は半歩遅れて傾いた。
和田は自分と膝の脇の石塊を交換し、抱えていた石を膝裏の継ぎ目へ叩き込んだ。
鈍い音。
ひびが一本入った。巨人が膝を引き、振り下ろした手が和田の肩をかすめる。和田は石を抱えたまま横へ転がった。
二撃目は、もう振れなかった。
大阪が巨人の足元へ滑り込み、拾っておいた薄い石片をひびへ差し込んだ。指が継ぎ目に挟まりかける。手を離して退いた直後、膝が伸び、石片を噛み込んだ外殻がきしんだ。
「もう一回、同じ方へ!」
金子が柱を左手で叩いた。声にならない息を吐き、それでも顔を上げる。
巨人がそちらへ踏み込もうとした瞬間、和田がもう一度、左足の下の石を替えた。
外殻に挟まった石片が折れた。左膝が沈み、巨体が床へ片手をつく。継ぎ目の奥に、赤い結晶の端が現れた。
だが、その手はもう床を押し始めていた。
金子は足元の平たい石を拾っていた。
大阪が金子を見た。石を握る左手を見て、膝の脇を指した。
「左手だけ。そこへ届く?」
金子が頷いた。
和田は転がったまま、金子と膝の脇の石塊を【すり替え】た。
金子は動く左膝の外殻に左肘を置き、右足を浮かせたまま、石の縁を赤いひびへ向ける。
「おりゃああああ!」
石を握った左拳を打ち下ろした。
戦闘スキルではない。
和田が割り、大阪がこじ開けた隙間へ、十七歳の女の子の手が届いた。
結晶体が砕けた。
金子が後ろへ倒れかけ、大阪が背中を受け止める。
頭上まで上がっていた巨人の手に、光の亀裂が走った。
低い唸り声とともに、巨大な身体が粒子へほどけていく。
静寂。
金子が、糸が切れたように座り込んだ。
「……勝った?」
「勝ったわ、アホ」
大阪が隣に座った。
和田も反対側に座った。
三人で背中を合わせて、崩れた天井から差し込む白い光を見上げた。
金子が呟いた。
「うちの人生で一番のボケやったかも」
大阪がツッコんだ。
「ボケやない。あれは──全力や」
和田が笑った。
「ツッコミで泣かすのもアリなんやな」
「うるさいわ」
白い光が、三人を包み込んでいった。
* * *
梅田の地下街に、三人は立っていた。
ダンジョンは消えていた。
元の地下街にはサイレンが響き、救急隊員が倒れている人たちを次々と担架へ乗せていた。
和田が抱えていた石を壁際へ置き、大阪も残った小石を下ろした。
金子の左手から石を受け取ると、ハンカチの端が赤く汚れていた。
光になって消えた十一人もいた。
金子は一人ずつ顔を確かめ、名前を呼んだ。だが、誰からも返事はなかった。全員が意識を失っていた。それでも全員の胸が上下している。生きていた。
HPがゼロになると迷宮の外へ転送される仕組みだったと、三人はこの時初めて知った。退避した者は、すぐには動けない。救急隊員が呼びかけても、誰一人目を覚まさなかった。
金子の右肩の痛みは、地上に戻って少し和らいだ。膝の擦り傷も消えたが、最初の転倒で痛めた右足だけは、体重をかけるとまだ痛んだ。
「腹減ったなぁ」
金子は腹を押さえた。
救急隊員に呼ばれても、金子は腹に手を当てたままだ。
大阪は呆れるべきか笑うべきか迷ったが、結局笑った。
「たこ焼き食う?」
「食べる! できれば銀だこ以外で」
「贅沢言うな」
救急隊員に事情を聞かれ、簡単な検査を受け、十一人が病院へ運ばれるのを見届けた。
数時間後、三人は規制区域から離れた商店街のたこ焼き屋に入った。
地下で食べかけだったものと同じ、ソース味を注文する。
和田が追加の皿を数え、大阪が金子の引いた椅子を押さえた。
たこ焼きが来た。
金子が一つ取って、口に入れた。
「あっつ……!」
大阪がツッコんだ。
「学習能力!」
和田が横から呟いた。
「右から三番目がまたデカいな」
「見んでええっちゅうねん」
金子がたこ焼きを咀嚼しながら、スマホを取り出した。
「おかんに電話するわ」
大阪と和田は黙って頷いた。
金子がスマホを耳に当てた。
コール音が三回鳴って、繋がった。
「あ、おかん? うち。……うん、元気やで」
母の声が、電話越しに震えていた。
何を言っているか、大阪には聞こえなかった。だが金子の表情が──いつもの天然とは違う、静かな笑顔に変わったのは見えた。
「うん。うん。ごはんは友達と食べとるから大丈夫。……うん。帰る。今日は早めに帰るから」
電話を切った金子の目が、少し赤くなっていた。
泣いてはいない。泣いてはいないが──【看破】を使うまでもなく、金子の感情は透けて見えた。
大阪がアイスコーヒーを啜った。
和田がたこ焼きを追加注文した。
「和田、食べすぎやろ」
「腹減っとるんやもん。六人兄弟の末っ子は胃袋だけは鍛えられとるんや」
金子が笑った。
たこ焼きを頬張りながら、口の端にソースをつけて笑った。
三人でたこ焼きを食べ終え、地下街を歩き始めた。
「ねえ、大阪ちゃん、和田くん」
「なに」
「うちらって、友達やんな?」
大阪は足を止めた。
振り返って、金子を見た。
「……今さら何言うとるん。友達に決まっとるやろ」
「えへへ。ダンジョンの前から友達やったけど、今はもうちょい友達になった気がする」
「日本語おかしいで」
「ええやん。おかしいのがうちやし」
和田が後ろから歩いてきた。
「もうちょい友達、か。……ええ言い方やな」
三人で梅田の地下街を歩いた。
元通りの迷路。元通りの人混み。
でも三人の距離だけが、元通りではなかった。ほんの少しだけ、近くなっていた。
金子はまだ右足を引きずっていたが、大阪と和田は歩調を合わせた。
金子は整形外科で受診して、右足の骨に小さなひびがあると知った。
痛みが和らいでも、初めの三日ほどは右足を引きずっていた。
後日、病院へ運ばれた十一人は全員、意識を取り戻した。だが、ダンジョン化に巻き込まれてから外へ転送されるまでの記憶は、誰にも残っていなかった。金子が手を振り、「また会おな」と笑ったことも。
それでも金子は、十一人の顔と名前を覚えていた。
また会えた時は、今度こそ最初から友達になればいい。
* * *
一週間後。
三人のスマホが同時に震えた。
ステータス画面が淡く明滅する。消えたはずの画面。消えたはずのスキル。
そして、メッセージ。
『EXAM選別:梅田──合格。次の迷宮への参加資格が付与されました。……新宿ダンジョン』
金子がスマホを見つめて呟いた。
「新宿……東京やん。遠いなぁ」
大阪が隣で呟いた。
「ていうか、『参加資格』て何やねん。強制なん? 任意なん?」
和田が後ろから覗き込んだ。
「たぶん、強制やろな。梅田の時と同じ感覚がする」
三人は顔を見合わせた。
金子が──笑った。
「まあ、ええやん。三人おるし。……また、笑えるやろ」
大阪がツッコんだ。
「笑えんかったら泣くくせに」
和田が締めた。
「泣いたら泣いたで、それもネタやな」
梅田の空を見上げた。
曇り空だった。迷宮の天井と違い、雲の向こうまで空が続いている。三人は見慣れた空の下を歩いた。
その晩、金子がスマホを二人に見せた。迷宮を覚えている人はほかにもいるのかと書いた投稿に、返事が来ていた。
「ヨロン島の伊禮くんって人。同じように洞窟から帰ってきたんやって。生き物の気持ちが聞こえるスキルやったって」
金子は自分が囮になったことと、友達二人に助けてもらったことを返した。
相手からは、友達と二人で出てきたという短い返事が届いた。
ほかの突破者のことまでは、まだ誰も知らなかった。
外伝 第一章 梅田ダンジョン 了
金子「最後まで読んでくれて、ありがとー! うち、ちゃんとお礼言えるで!」
大阪「誰も疑ってへんわ。余計な宣言せんと普通に言い」
和田「今のも普通ではなかったな」
金子「えー。じゃあ、三人でたこ焼き食べながらお礼言おう」
大阪「食べながら喋るな。まず飲み込んで」
和田「自分、右から三番目もろてええ?」
大阪「そこへのこだわり何なん」
金子「でも、こうやってまた三人で喋れるん、嬉しいなぁ」
大阪「……せやな」
和田「返事あると、次のボケも考えられるしな」
金子「和田くん、次はおもろいやつ頼むで」
和田「考えとく。期待はせんといて」
大阪「最初から保険かけんな」
金子「読んでくれた人も、うちらにつき合ってくれてありがとな! また会おな!」
大阪「ほな、ここらで。……金子、それまだ熱いで」
金子「あっつ!」
和田「お礼より先に、注意を聞けるようにならなあかんな」
大阪「ほんまそれや」
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『梅田ダンジョン』を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
三人は、ダンジョンに入る前から友達でした。そこで初めて知ったことがあっても、帰ってすることは、やっぱりたこ焼きを食べること。いつものやり取りが戻ってきた時に、三人の距離が少し近くなっていたらいいなと思います。
笑っている時も、笑えなくなった時も、三人に付き合っていただき、ありがとうございました。
次は『名駅ダンジョン』
リーダーを買って出たダイと、テツ、マーサ。
名古屋の地下街で始まる、もう一組の三人の話です。




