外伝 第4話 三人の夜
下層に入ると、案内放送の予告通り、空気が変わった。
通路は狭く、天井が低く、赤紫の光が暗く沈んでいる。梅田の華やかな地下街の面影は完全に消え、古い石造りの迷路だけが広がっていた。
そして、敵が強くなった。
タロスの上位種が二体同時に出現し、戦闘系スキル持ちのサラリーマンと大学生のHPがゼロになった。二人の身体は光の粒子にほどけ、行き先も生死も分からないまま消えた。
十二人になった。
続く通路でラミア、蛇身の化け物が天井から襲い、視線を合わせた者が石化する攻撃で、さらに二人が光になって消えた。
十人。
金子は全員に声をかけていた。
戦闘の前も、後も。
「松田さん、大丈夫? 足、痛くない?」
「村上くん、水飲んで。無理せんでいいからね」
十三人の名前を、金子は最初に一人ずつ聞いていた。
松田が足をかばえば名前を呼んで水を渡す。
村上が顔を上げると、金子はその名前を間違えずに呼んだ。
仲間が光に包まれて消えるたびに、金子は手を振った。
生きているのかも分からない相手に、満面の笑みで。
「また会おな!」
大阪は何も言えなかった。
「金子。消えた人たち、生きとるかも分からんのに、『また会おな』って意味あるんかな」
休息中、大阪がぽつりと呟いた。独り言のつもりだったが、金子に聞こえていた。
「生きとったら、また会えたら嬉しいやん。もし覚えてもらえてなくても、うちは嬉しい」
金子は即答した。迷いがなかった。
「うち、オヤジの顔覚えてないんよ。物心つく前におらんくなったから。写真もないし。でも、もし道で会ったら、覚えてなくても嬉しいと思う。……たぶん」
大阪は金子を見た。
金子は笑っていた。いつもの笑顔。天然の、明るい、屈託のない笑顔。
──【看破】が、勝手に発動した。
金子の笑顔の判定。「半分、本物。半分──」
大阪は【看破】を途中で意識的に切った。
これ以上、今は見たくなかった。
さらに戦闘が続き、八人になった。
七人になった。
六人になった。
金子は誰かが消えるたびに名前を呼び、手を振り、「また会おな」と言った。声が枯れ始めていた。
顔中が擦り傷で腫れていた。【道化】で囮をやり続けた代償が蓄積している。
それでも金子は笑っていた。
残り六人。
金子、大阪、和田。
そして、スーツのサラリーマンが一人、主婦が一人、大学生が一人。
次の戦闘で、三人が同時に光になって消えた。
残ったのは──金子、大阪、和田。三人だけ。
金子は消えていく三人に手を振った。「また会おな」三回。声はもう、かすれて出なかった。
大阪がそっと金子の肩に手を置いた。
金子の笑顔が──少しだけ、強張った。
三人きりになった通路で、大阪は金子と向き合っていた。
和田は少し離れた壁際で目を閉じている。
二人の声は届く距離だが、会話には入らなかった。
「金子」
「なに?」
金子は笑っていた。
擦り傷だらけの顔で、声が枯れて、それでも笑っていた。
大阪は【看破】を発動した。今度は、途中で切らなかった。
金子の膝の上で、手が強く握られていた。大阪はその手を見てから、顔を上げた。
「……笑っとる時ほど、無理してへん?」
大阪の言葉に、金子の笑顔が止まった。
今度は〇・三秒ではなく、
三秒。
「……うち、無理して笑っとるわけやないで」
「お父さんの話も。覚えてないって言うたけど、ほんまに全部?」
金子の目が揺れた。
大阪はそれ以上決めつけず、金子の返事を待った。
沈黙が降りた。
金子は俯いていた。膝の上に置いた手が、小さく握りしめられている。
「……バレた?」
金子の口元から笑みが消えた。
「手。オヤジの手だけ、覚えてる気がする。頭を撫でられたような、大きくて、ちょっとガサガサした手。ほんまの記憶か、あとから想像したんかも分からへん。顔も声も知らん。でも、手だけは──」
大阪は何も言わず、金子の隣に座った。
肩が触れる距離。それだけで十分だった。
和田が壁際から、目を閉じたまま呟いた。
「金子。……ボケてもええで。泣くより楽なら、ボケたらええ。自分もツッコむから」
金子が、鼻をすすった。
「……和田くん、それ全然面白くない」
「せやな。普段は金子に任せとるし、下手で当然や」
「ボケの担当はうちやし!」
大阪がようやくツッコんだ。
「ツッコんどるやん。復活早いな」
金子が笑った。
さっきより呼吸が深い。
大阪は【看破】を使わずに見ていた。
大阪はその変化に気づいて、アイスコーヒーが欲しくなった。
飲み物がないので、代わりに大きく息を吐いた。
* * *
最深部への扉を前にして、三人は最後の休息をとっていた。
赤紫の光が薄暗く通路を照らす中、金子が壁にもたれ、大阪が向かいに座り、和田が二人の間に転がっている。
「ねえ、和田くんの家ってどんな感じ?」
金子が唐突に訊いた。
和田は天井を見つめたまま答えた。
「六人兄弟の末っ子。兄が三人、姉が二人。全員スポーツか勉強ができる。自分だけ何も取り柄がなくて、食卓では空気みたいなもんやな」
「……空気?」金子が小さく頷いた。
「おかず取る順番が最後で、気づいたら唐揚げが全部なくなっとる。文句言ったら『早よ取ればええやん』って言われる。次から、食卓で変なこと言うてみた。そしたら、みんなこっち見たんや」
大阪は黙って聞いていた。
「大阪ちゃんは?」
大阪は腕を組んだ。
「ウチは一人っ子。両親が共働きで、鍵っ子。小学校から帰ったら家に誰もおらん。テレビつけて、一人でおやつ食べて、宿題して。親が帰ってくるまでの三時間が、毎日めちゃくちゃ長かった」
「寂しかったん?」
「寂しかった。でもそれを言うと、親が申し訳なさそうな顔するやろ。学校では、誰かが喋るのを待って、ツッコんどった」
和田が起き上がり、あぐらをかいた。
「なあ。三人とも、似てるなぁ」
「何が」と大阪が訊いた。
「自分の冗談に、二人とも返事してくれるやろ。それが、嬉しいんや」
金子がわっと泣いた。
「和田くんが真面目なこと言うと泣いてまうからやめてー!」
大阪が「泣くかボケるかどっちかにし」とツッコんで、
金子が「泣きボケはないん?」と訊いて、
和田が「新ジャンルやな」と呟いた。
赤紫の光の下で、
三人は扉の向こうの音を聞きながら、
しばらく笑っていた。




