外伝 第3話 壁の向こうの声
和田は、見た目に反して理論派だった。
ぼんやりした目つき、ゆっくりした話し方、そして全力のボケ。
周囲からは「天然の金子と、もう一人の天然」と思われている。だが大阪は知っている。和田のテスト答案は、数学と物理だけ異常に点が高い。文系科目は壊滅的だが、論理で解ける問題に関しては、クラスでトップクラスの正答率を誇る。
その和田が、ダンジョンの休息時間に黙々と「実験」をしていた。
「大阪、ちょっとそこの小石拾って」
「石? これ?」
「うん。そのまま動かんといて」
和田が右手を前に出した。
集中する。瞬きした瞬間、大阪が持っていた爪ほどの小石が消え、代わりに三メートル先にあったペットボトルのキャップが手の中に収まっていた。
「うわっ!?」
「おっけー。三メートルまでは確実にいけるな」
和田はメモ帳に数字を書き込んだ。
床の敷石を歩幅と比べて距離を見積もり、交換できた物とできなかった物を並べている。まだ測りきれないところには、疑問符がついていた。
「和田、アンタ何しとるん」
「実験。このスキル、思ったより応用が利くわ」
和田はメモ帳を大阪に見せた。びっしりと書き込まれた実験記録。
【すり替え】実験記録
・有効距離:十mほどで成功例あり(近いほど狙いやすい)
・質量差:十倍くらいまでは成功。重さは手で比べた概算
・所要時間:一瞬。正確な時間は未計測
・対象:小石、キャップなどの物体。液体・気体は未検証
・仮説①:位置座標を入れ替えている?
・仮説②:物体そのものではなく「空間」を入れ替えている?
「仕組みはまだ分からんけど、壁の割れ目に挟まっとる石も、こっちの石と入れ替えられるかもしれん」
「壁に穴? どういうこと?」
「割れ目の石を、こっちのもっと小さい石と替える。重さが違いすぎんようにして、少しずつ隙間を広げるんや」
大阪は目を見開いた。
「それ、ショートカットが作れるってこと?」
「理論上は。一度に抜ける石は小さいけど、繰り返せば人が通れる幅になる」
和田は薄い壁に走る割れ目を選び、床から石を拾って【すり替え】を発動した。
割れ目に挟まっていた石が、足元の小石と入れ替わった。拳ほどの隙間が開く。縁の緩んだ石を次々と替え、小石を手で取り除くと、ようやく人が身を屈めて通れる幅になった。
成功。
十四人が歓声を上げた。行き止まりが、目の前で突破口に変わった。
金子がぴょんぴょん跳ねた。
「和田くんすごーい! 天才やん!」
「天才ちゃう。試して、できる方を残しただけや」
和田は照れもせず、淡々と次の壁の厚さを見積もり始めた。この男のボケは普段の会話だけで、能力の運用に関しては一切ふざけない。
大阪は和田を見ながら思った。
金子は天然で前に出る。
和田は天然に見せかけて、裏で論理を回す。
そして自分は、この二人の「嘘」と「本当」を見抜く役。
三人の役割が、ダンジョンの中で少しずつ噛み合い始めていた。
だが、壁の向こうに道を開けたとき、大阪の【看破】が反応した。
新しい通路の奥に、何かがいる。壁に張りついている。壁と同じ色、同じ質感。目を凝らしても、壁にしか見えない。
だが【看破】の判定は明確だった。「壁──偽」
「止まって。壁に化けとるやつがおる」
通路の奥で、壁が動いた。
エムプーサ。壁面擬態型の化け物。
大阪の【看破】がなければ気づかなかった。
壁の色と質感を完璧にコピーし、通りかかった獲物に襲いかかる。大阪が指した場所でも、爪が動くまで輪郭は見えなかった。
三匹のエムプーサが壁面を這い、通路を塞ぐように広がった。
「金子、囮──」
大阪が言いかけた瞬間、金子はもう前に出ていた。
「おーい! こっちこっち! うち美味しいよー!」
金子が両手を振って跳ね回る。
三匹のエムプーサが一斉に金子に注目した。【道化】の効果で、金子だけを狙い始める。
「和田!」
「分かっとる」
和田が【すり替え】を発動。エムプーサが張りつく壁石と、足元の瓦礫を入れ替えた。壁石と一緒に姿を隠していた一匹が、支えを失って床へ落ちる。腹側の薄い皮膚が見えた。
大阪が弱点を【看破】し、攻撃メンバーが畳みかける。
一匹、二匹と光の粒子に散っていく。
三匹目を倒した直後、通路の奥から声が聞こえた。
「紗夜ちゃーん、こっちやでー」
金子の足が止まった。
通路の奥へ、顔を向けた。
「えっ……おかん?」
金子が声のする方に足を踏み出しかけた。
大阪の【看破】が瞬時に発動する。声の判定──「偽」
「金子、止まれ! それは偽物や! 声真似や!」
金子の足が止まった。
通路の奥で、四匹目のエムプーサが壁から剥がれ落ちた。姿だけでなく、声まで真似る。金子の母親の声を借り、おびき寄せようとしていたのだ。
「……偽物、か」
金子の声が、初めて沈んだ。ほんの一瞬。
すぐに「えー、似てたのにー!」と笑ったが、大阪の【看破】は、いつもと同じ「半分、本物」を返した。
金子は通路の奥を、まだ見ていた。おかんに会いたかったんやろか。大阪は、その横顔から目を離せなかった。
四匹目を撃破した後、通路に静寂が戻った。
脳内に案内放送が響いた。二度目。
『お疲れさまでした。中層を突破されました。下層への道が開きます。……次のフロアは、笑えまへんで』
「笑えまへんで」。案内放送が──忠告してきた。
金子が首をかしげた。
「なんで関西弁なん?」
「関西弁っていうか……大阪弁のイントネーションが混じっとるな。なんでやろ」
和田が眉をひそめた。
「この声、人間やと思う。機械じゃなくて」
大阪は和田の言葉に頷いた。【看破】は、この声に「偽」を返さなかった。それでも、話しているのが誰かも、この先で何が起こるのかも分からない。
大阪は暗い階段へ目を向けた。
忠告を笑い飛ばす気にはなれなかった。
金子が拳をぎゅっと握った。
「笑えんくても、笑うもん。うち、ピエロやし」
その言葉を大阪は看破しなかった。
しなかったのではない。
怖くて、できなかった。




