外伝 第2話 道化の代償
梅田ダンジョンの構造は、梅田の地下街を増幅させたものだった。
元の地下街が迷路だったのだから、ダンジョンになればさらに複雑になる。通路が分岐し、交差し、上下に重なり合い、見覚えのあるはずの店舗の看板がランダムに配置されている。東西南北の感覚が完全に狂う。
「……これ、ダンジョンになる前からみんな迷ってたよな」
和田がぼそっと呟いた。
十四人のうち数人が同意の声を漏らした。梅田の地下街は、地元民ですら迷う。それがダンジョン化したのだから、もはや地図の概念が存在しない。
金子が先頭を歩いていた。誰に頼まれたわけでもなく、自然と前に出ている。
「こっちやない? なんか風が通ってる気がするし!」
「それ根拠あるんか」
「勘!」
「勘て」
大阪がツッコむ。だが金子の「勘」は、不思議と外れなかった。三回の分岐で三回とも行き止まりを避けている。
和田が後方から分析した。
「金子の【道化】、ヘイト、敵の注意を引く能力やろ? 敵がいない方向を無意識に避けてるんちゃうか。本能的に」
「へえ、和田くんかしこいなぁ」
「普通に気づくやろ」
「うちは気づかんかった」
「アンタは気づかんでええねん」
最初の敵は、パイア、猪型の化け物が三匹、通路の奥に固まっていた。
十四人に緊張が走る。
スーツのサラリーマンが壁に背を張りつけ、主婦が小さな悲鳴を上げた。
金子が、前に出た。
「うちに任せて!」
何を任せるのか分からないまま、金子は三匹の正面に飛び出し──突然、つまずいて盛大に転んだ。
スカートが翻り、頭から地面に突っ込み、「ぎゃっ」と情けない声を上げた。右足を捻り、足首に鋭い痛みが走る。
「金子──!?」大阪が叫んだ。
だが、パイアたちの目が、全て金子に向いていた。三匹が揃って金子を注視し、他の十三人には見向きもしない。
【道化】
滑稽な行動をとるほど、敵のヘイト、注意と敵意が自分に集中するスキル。転んだことで、金子は三匹のタゲを完全に引きつけた。
大阪の【看破】が自動発動した。
三匹のステータスが視界に浮かぶ。
「弱点、首の後ろ! 硬い皮膚がない! 和田!」
「おっけー」
和田が右手を前に出した。【すり替え】発動。
パイアが前脚を着く床石と、足元の出っ張った石を入れ替えた。
一匹が石に乗り上げ、首を反らす。
「今や!」
十四人の中で戦闘系スキルを持つ者が攻撃を叩き込み、三匹のパイアは光の粒子に散った。
金子が地面から起き上がった。
膝に擦り傷がついている。右足に体重をかけると痛んだが、金子は顔に出さなかった。
「いったー……。でも、うまくいったやん?」
「うまくいった、って……アンタ、わざと転んだんか?」
「ううん、ガチで転んだ。でも転んだら敵がこっち見たから、あ、これや! って思って」
大阪は額を押さえた。天然で転んで、天然で戦術を成立させた。こいつの頭の中はどうなっているのか。
和田が横からにやりと笑った。
「計算通りや」
大阪がツッコんだ。
「嘘つけ。【看破】発動するまでもないわ」
三人の間に、自然と笑いが生まれた。
命がけの戦闘の直後に、笑えている。
それが関西人の生存戦略なのか、それとも三人がおかしいだけなのか。
たぶん、後者だ。
* * *
金子の【道化】の効果が分かるにつれ、金子の役割は明確になっていった。
囮。タンク。ヘイトを集める避雷針。
金子が派手に転んだり、叫んだり、変な顔をしたりすると、敵は金子だけを狙う。
その間に大阪が弱点を【看破】し、
和田が【すり替え】で敵の足場を崩し、
他のメンバーが攻撃する。
完璧な連携。
──完璧すぎた。
中層に入った頃、タロスの亜種が出現した。
青銅の巨人。パイアとは桁違いの強さ。
金子が前に出た。いつものように。
「こっち見てー! おーい! でっかいにーちゃん!」
金子が両手をぶんぶん振り、跳び跳ね、タロスの前で踊るように動き回る。滑稽で、愛嬌があって──見ていられなかった。
タロスの拳が振り下ろされた。
金子は避けたが、衝撃波で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「金子っ!」
大阪が叫んだ。
金子のHPが三割ほど削れている。
だが金子は立ち上がり、笑った。
「大丈夫! 全然平気! ほら、まだ踊れるで!」
また踊る。タロスが再び拳を振るう。
今度は金子が転がって避けたが、床に顔をぶつけて鼻血が出た。
「あいたっ! 鼻血出た! 最悪! でもこっち見てるからオッケー!」
鼻血を垂らしながら笑っている金子を見て、大阪の胸が締めつけられた。
金子のスキルは【道化】
滑稽であるほど強くなる。笑われるほどヘイトを集められる。つまり、傷ついて、痛がって、それでも笑う姿が「滑稽」であるほど、敵の注意を引きつける。
痛みを笑いに変えるスキル。
代償は、自分の身体。
タロスを撃破した後、金子は壁にもたれて座り込んだ。あちこちに擦り傷と打撲。治癒スキル持ちのメンバーが駆け寄って回復を始める。
大阪が金子の隣にしゃがんだ。
「金子。……痛いやろ」
「んー? ちょっとだけ。でもみんなが笑ってくれたら平気やもん」
大阪の【看破】が静かに発動した。
金子の言葉の判定──「半分、本物」
また半分。
みんなが笑ってくれたら平気、というのは半分本当で、半分嘘。
痛いのは本当に痛い。平気じゃない。でも笑ってみせる。笑うことで痛みを薄めようとしている。
「……アンタ、昔からそうやって痛みを笑いに変えてきたんやろ」
大阪の声は、ツッコミの声ではなかった。
もっと低くて、もっと静かな声だった。
金子の笑顔が、一瞬だけ止まった。
ほんの〇・三秒。
大阪の【看破】でなければ見逃すほどの、微かな停止。
「なに言うとるん、大阪ちゃん。うちは生まれつきこんな性格やし」
「生まれつき、か」
大阪はそれ以上追及しなかった。
今はまだ、その扉を開ける時じゃない。でも、【看破】は嘘をつかない。
金子の天然は、天然であると同時に、何かから目を逸らすための鎧でもある。
和田が黙ってたこ焼き味のスナック菓子を差し出した。
金子が「ありがとー!」と受け取って口に放り込む。
「あっつ! ──いや、スナック菓子は熱くないわ。なんでや」
「条件反射やろそれ」
大阪がツッコんで、通路に笑い声が響いた。
金子が笑い、
和田が笑い、
他のメンバーも笑った。
大阪だけが──笑いながら、金子の擦り傷だらけの手を見ていた。




