外伝 第1話 梅田地下はダンジョンより迷う
梅田ダンジョン
梅田の地下街は、ダンジョン化する前から迷宮だった。
ホワイティうめだ、
ディアモール大阪、
阪急三番街、
阪神百貨店の地下。
大阪駅前ビルの地下。
全部繋がっているようで微妙に繋がっていなくて、繋がっていないようで実は繋がっている。
大阪人ですら迷う。むしろ大阪人のほうが「いける」と思い込んで深みにはまる。
金子はその日、ホワイティうめだの地下で、たこ焼きを食べていた。
「あっつ……! あっつあっつあつ!」
焼き立てのたこ焼きに歯を立てて、口の中を盛大にやけどした。当たり前だ。「焼き立て」と書いてあったのだから。だが金子はメニューの注意書きを読まない。
「注意書きって読むもんなん?」と真顔で訊いたことがある。
天然なのか度胸があるのか、あるいはその両方だ。
「金子、アンタほんまに毎回やけどするな。学習能力ないんか」
向かいの席で、大阪がアイスコーヒーのストローを噛みながら呆れた声を出した。
大阪は名前が「大阪」なのであって、大阪出身だから大阪と呼ばれているわけではない。
兵庫県西宮市出身。だが名前が「大阪」なせいで、中学から大阪に来てすんなり馴染んだ。名前のおかげで得をした数少ない人間だろう。
「えー、だって美味しいもんはアツいうちに食べたいやん」
「アツいうちに食べるんと、口の中を破壊するんは違うんよ」
「同じやん」
「同じちゃうわ」
金子と大阪のやりとりは、傍目には漫才だった。金子がボケて大阪がツッコむ。このパターンが崩れたことは、少なくとも高校に入ってから一度もない。
三人目、和田は、少し離れた席でぼんやりとたこ焼きを見つめていた。
「和田、食べへんの?」
「いや、食べるけど。このたこ焼き、右から三番目だけ微妙にデカいなぁと思って」
「見んでええとこ見るなや」
和田は大ボケだが、妙なところで観察力が鋭い。授業中にぼーっとしているくせに、テストではそこそこの点を取る。要領がいいのか、ただ単に脳の使い方が変なのか、大阪にも判別がつかない。
「そうや、暁人くんは朝の担当やし、今は食べんでええんちゃう?」
金子が和田の皿を指した。
「またその話?」大阪はストローを離した。
高校一年の春、自己紹介が終わった教室で、金子は二人の名前を聞き返し、目を輝かせた。
「茜ちゃんは夕焼けの色、うちは紗夜の夜、和田くんは暁人の暁。うちら、夕方から夜明けまで揃っとるやん!」
「茜は色やで。勝手に時間割に入れんといて」大阪が返した。
「自分、朝担当やったら午後の授業は寝ててええ?」和田は真顔だった。
「起きとけ!」
金子が声を上げて笑い、大阪もつられた。
それが三人で交わした最初の長話だった。放課後に一緒に寄り道するようになっても、金子はたまにこの話を持ち出す。
「今は夕方やし、自分の出番はまだ先か」
和田はようやくたこ焼きに箸を伸ばした。
「出番関係ない。冷める前に食べて」
三人は同じ高校の同級生で、同じクラスで、席が近い。幼馴染でもなければ、特別な約束をしたわけでもない。放課後にたこ焼きを食べに行く程度の、ごく普通の友人。
──その「ごく普通」が、あと三分で終わることを、誰も知らなかった。
地面が揺れた。
大阪の感覚では震度二か三。たこ焼きの舟皿がテーブルの上で滑り、大阪は倒れそうなカップを押さえた。
だが──
「……なに、この色」
大阪が天井を見上げた。
地下街の照明が消え、代わりに赤紫色の光が壁の亀裂から漏れ出している。渋谷のニュースで見たのと同じ色。同じ光。
「うわっ、停電? 暗いの怖いんやけど!」
金子が慌ててスマホのライトをつけた。
周囲の客や店員が悲鳴を上げ、出口に殺到し始める。地下街がパニックに包まれていく。
和田は──動かなかった。たこ焼きを一つ、ゆっくりと口に入れ、咀嚼し、飲み込んでから、立ち上がった。
「逃げても無駄やと思うで。たぶんこれ、あのニュースのやつや」
「あのニュースって──ダンジョン化現象!?」
大阪の声が裏返った。
金子は目をぱちくりさせている。
「えっ、ダンジョン? ゲームの? 楽しそう!」
「楽しないわ! 命の危機やっちゅうねん!」
脳内に、案内放送が響いた。
『本日も梅田をご利用いただき、おおきに。ダンジョンが起動いたしました。収容上限は十四名。対象者の選別を──どうか、お気をつけて』
関西弁、ではなかった。
だがイントネーションが微妙に大阪寄りに揺れていた。声は無機質な合成音に聞こえて、最後の「お気をつけて」だけが妙に人間臭かった。
光が収まると、地下街にいた人々の大半は消えていた。
残されたのは十四人。
金子と大阪と和田。
そしてスーツ姿のサラリーマンや買い物客たち十一人が、赤紫色に照らされた地下空間に取り残されていた。
ステータス画面が視界に浮かぶ。
『金子』
『クラス:道化師(Lv.1)』
『スキル:【道化】』
金子はステータス画面を見て、ぱぁっと顔を輝かせた。
「えっ、うちのスキル名『ピエロ』なん? めっちゃ可愛いやん!」
大阪がすかさずツッコんだ。
「可愛くないわ」
和田が横から呟いた。
「自分のスキル【すり替え】やって。なんか地味やなぁ」
大阪は自分のステータスを確認した。【看破】。嘘と真実を見抜く能力。今の状況に必要なスキルだが、使い方がまだ分からない。
十四人の中で、最初に声を上げたのは金子だった。
「えーっと、みんな! 大丈夫? 怪我してない? 大丈夫そうやね! じゃあ、とりあえず自己紹介しよ! うち、金子! 高二! 趣味はたこ焼き食べることと、お笑い見ること!」
誰も頼んでいない。
だが金子の天然の明るさは、パニック寸前の空気を一瞬で緩めた。
怯えていた主婦が、思わず小さく笑った。
大阪は金子の背中を見ながら、【看破】を──無意識に発動していた。
金子の笑顔に、反応。
判定結果:「半分、本物」
──半分? 残りの半分は何だ?
大阪は疑問を飲み込んで、金子の隣に立った。
「大阪。高二。金子の監視係。よろしく」
「監視係ってなんやの!」
十四人の間に、
わずかな笑いが生まれた。
梅田のダンジョンは、
笑いから始まった。




