第7話 雷光の陽動と、限界を告げるアラート
飛び出した莉奈の世界から、時間が消えた。
一秒が引き伸ばされ、タロスの振りかぶる腕が水中のように遅く見える。自分の心臓の鼓動だけが耳の奥で正確に刻まれ、その一拍ごとに身体が次の位置へ跳ぶ。二十体の理不尽を前にして、莉奈の脳は恐怖を遮断する代わりに、知覚の解像度だけを異常に引き上げていた。
「オラァッ!!」
莉奈は、スクランブル交差点のど真ん中に陣取っていた、一番手前のタロスに向かって一直線に突っ込んだ。不思議なことに、身体が嘘みたいに軽かった。ずっと重かった四肢が、この交差点に出た途端、まるで追い風を受けたかのように動く。理由は分からない。でも、今は考えている暇はない。人間の少女が真正面から突撃してきたことに、タロスは無表情な金属の面をわずかに傾け、鈍重な拳を大上段から振り下ろした。
ゴォォォォッ!!
風を切り裂く轟音。アスファルトに直撃すれば、クレーターができるほどの一撃。だが、莉奈はスピードを緩めない。拳が頭蓋骨を砕く直前、スライディングするように姿勢を極限まで低くして、その恐るべき一撃をくぐり抜けた。
「デカい図体して、隙だらけなんだよ!」
すれ違いざま、雷を限界まで纏わせた鉄パイプを、タロスの太々しい右膝の関節に向かってフルスイングする。
ドグシャァッ!!
金属と骨が激突する鈍い音と共に、強烈な電撃がタロスの神経を焼き焦がした。
「ブゴァァァァッ!?」
悲鳴を上げて、二メートル半の巨体が崩れ落ちる。関節を破壊されたタロスは自重を支えきれず、横転していた路線バスに激突して盛大に転がった。
「健一、今ッ!」
莉奈が叫んだ瞬間、物陰から健一が飛び出した。運動神経ゼロの、ガタガタのフォームでの全力疾走。だが、ためらいは一切なかった。崩れ落ちた一体目のタロスが障害物となり、他のタロスたちの視線が一瞬、そちらに釘付けになった。そのわずかな死角を縫うようにして、健一は地下鉄の入り口へと向かって駆け抜ける。
(頼んだわよ、バカ!)
莉奈は即座に踵を返し、今度は自分に敵意を向けさせるために、周囲のタロスたちに向かって武器を打ち鳴らした。
「ほら、こっちよデカブツども! 相手してやんよ!」
その挑発に、三体のタロスが関節部の赤い光を脈動させ、青銅の拳を振り上げながら突進してきた。
(二、三……!)
莉奈は地を蹴り、空中で身体を捻ってタロスの拳を躱す。そのまま二体目の膝裏に蹴りを叩き込み、体勢が崩れたところを三体目の脛骨めがけてパイプを叩きつける。流れるような連続攻撃。だが、パイアを相手にしたときのような「一撃必殺の無双」とはいかなかった。
「っ、重っ、!」
パイプ越しに伝わってくる反動が、莉奈の手首を容赦なく破壊しにかかってくる。直撃を避けて風圧を食らっただけでも、内臓が揺さぶられるような衝撃。何より、相手がタフすぎる。膝を砕いても、消し飛んでくれないのだ。
そして、最大の懸念が現実のものとなり始める。
──バチッ、バチチチッ……。
「嘘」
パイプを包んでいた黄金の雷光が、不規則に明滅し始めた。まるで接触不良の蛍光灯のように、力が安定しない。それと同時に、莉奈の身体に鉛のような疲労感がのしかかってきた。息が上手く吸えない。肺が焼けるように熱い。指先から感覚が抜け落ちていく。
視界の端で、ステータス画面の『MPバー』が赤く激しく点滅していた。
『MP:3/30』
ゲージが赤く点滅している。限界が近い。
莉奈は乱れた呼吸で悪態をつきながら、背後に迫っていた四体目のタロスの丸太のような腕を、間一髪でローリングして回避した。だが、着地の際、力が入りきらずにアスファルトに膝をついてしまう。
「ガ、アァァァッ!!」
タロスたちが、獲物の限界を悟ったかのように、じりじりと莉奈を包囲し始める。逃げ場はない。パイプから漏れる雷光は、今にも消え入りそうなほどに弱々しかった。
(……アタシ、ここまでかな)
恐怖で視界が歪む。そんな時だった。
「莉奈!! こっちだ!!」
振り返ると、地下鉄の入り口の防火シャッターの前で、健一が叫んでいた。彼の視界には、【解析】スキルによって展開された緑色の電子コードが滝のように流れている。パスコードの強制解除。シャッターの制御盤に手を当てた健一の操作によって、重々しい鉄の壁が、けたたましい警告音と共にゆっくりと上がり始めていた。
「開いた……っ!」
莉奈の死に体だった身体に、最後の火が点いた。残された魔力の全てを、攻撃ではなく『脚力』に回す。ふくらはぎの筋繊維が焼き切れるような熱さと共に、莉奈の身体は地面から浮いた。囲みを突破し、シャッターへと向かって文字通り飛ぶように走った。
「このチャンス逃がすか、っての……!!」
背後から、タロスの太い腕が莉奈の背中を掴もうと迫る。
その殺気を背中に感じながら、莉奈はシャッターのわずかな隙間めがけて、ヘッドスライディングで飛び込んだ。




