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第66話 話の途中

 莉奈がミノス王の前に戻った。


 ポールは壁際に置いたまま。


「さっきの話の続き」


 ミノス王は身動きせず、莉奈の空いた両手を見ている。


「あの子が何を望むのか、アタシには決められない。伊禮が拾った、誰かが来て嬉しかった気持ちや、また鎖に繋がれる恐怖だって、言葉の全部じゃない。アンタが会いに行って聞くしかない」


「あれは誰かが来るのを、待っていたのか」


「分からない。アンタは、それを聞きに行かなかった」


 莉奈は右手を見た。シンプルなピンクのネイル。


「アタシも親父を待ってた。出ていってから、三年。毎日は思い出さないけど、たまに──玄関の音がすると、一瞬だけ振り返った。帰ってきたんじゃないかって」


 ミノス王は唇を結んだ。足は引かない。


「アタシが待ってたからって、あの子も同じだとは言わない。聞きに行くなら、アンタ自身の足で行って」


「あれが外へ出れば、誰があれを受け入れる。あの姿を見れば、人は逃げる。迷宮に置くほかなかった」


 王は莉奈を通り越し、ダイダロスへ目を向けた。


「お前には分かるはずだ。閉じ込めなければ、あれを守れなかった」


 ダイダロスは王を見たまま首を横に振った。


「私は鎖を造って縛った。守ったと言い換えるつもりはない」


「ほかにどうすればよかったのだ!」


「知らないわよ。アタシに、アンタが正しかったってなんて言わせないで!」


 莉奈はミノタウロスへ目をやった。


 大きな手の指が、開いては閉じている。


「地下へ降りて、あの子に聞こうとはしなかったの?」


 天井が落ちた。


 広間の北側、十メートルほどの範囲が、支えを失って崩れた。


 光弾でひびの入った石壁も崩れ、石塊が床を叩く。


 粉塵が一斉に噴き上がった。


「南!」汐沢の声。


 壁画を避けて溶かした南壁の穴を指している。


 肩が触れ合えば、二人が並んで抜けられる幅まで開いていた。


 粉塵で穴が見えなくなるより先に、輪島が短く声を飛ばした。返ってきた音を聞き、床を指す。


「右に三歩。そこから真っ直ぐ。上が崩れる。急いで」


 山岸が小保内を抱えて飛び込み、

 金子が左腕で大阪を支えて続いた。

 和田は【すり替え】で、落ち始めた石板の軌道を無人の北側へずらす。

 空いた所を、残る者も穴へ駆け込んだ。


 輪島は最後尾で足音を数えた。


 ダイダロスを含めた十三人分の足音が穴へ向かう。


 莉奈の足音だけが、来ない。


 ミノタウロスは穴を通れない。


 輪島が示した南の石柱の下へ、自分で身を寄せていた。梁を支えるその柱には、北側のような空洞の音はない。


 輪島は穴の口で振り返り、声を張った。


「莉奈、右に三歩!」


 莉奈は言いかけた言葉を飲み込んだ。話の途中でもやめると言ったのは、自分だ。


 輪島の声のとおりに右へ三歩、そこから南へ真っ直ぐ下がる。


 穴の縁で、莉奈は足を止めた。


 粉塵の向こうで、王も東の隅から数歩退いている。


「莉奈!」


 南壁の穴から、健一が傷のない手を伸ばした。


「手、つかんでて。話は、そこからでもできる」


 莉奈は穴のすぐ横で健一の手を取った。


 さっきまで立っていた床を、石塊が叩く。


 輪島はそれを見届けてから、穴の奥へ退いた。


「……まだ話すのか」


 王が訊いた。


「話の途中でしょ」


 莉奈は健一の手を握り返した。ここなら、すぐ穴へ退ける。


「もう一度だけ聞く。あの子に会いに行こうとしたことはあった?」


 ミノス王の口が動いた。


 何かを言いかけて、止まった。


 しばらくして、ようやく声になった。


「会えば──名前をつけなければならなかった」


「名前をつければ──あれは、私の息子になる。妻に産ませたのは私だと、認めることになる。認めれば──全てが崩れる。私が王であることも、私が正しかったという言い訳も──」


「正しくなかった。アンタがしたことはアンタが引き受けるしかない。アタシは父が出ていったのを、自分のせいだって三年間ずっと考えた。でも、それは違うって今は言える」


「……父に、それを言えたのか」


「まだ。でも三年前電話には出なかった頃より、一歩は進んだ。壁の中に入ってくるバカがいたから。メガネかけた泣き虫の幼馴染」


 莉奈は口角を上げた。


「アタシの親父は、さっき電話してきた。三年ぶりに。──たった一言だった。『莉奈。元気か』。それだけ。その一言のために、三年かかった」


 莉奈の声が震えた。


 でも、止まらなかった。


「遅すぎだよ」


 莉奈は一度息をつき、ミノス王を見据えた。


「でも、アンタの息子は今ここにいる。自分の足でそばへ行って、あの子がどうしたいのか訊けるでしょ」


 ミノス王は額を押さえた。


 指の隙間から、紫の光が滲んだ。


 涙の形で落ちた光に、


 莉奈は新宿の最深部で見た赤い目を思い出した。


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