第65話 二度目の電話
莉奈は王と距離を保ったまま、壁際の瓦礫に腰を下ろした。
王から目を離さずに、まだ震えているスマホを取り出す。
画面を見るうちに着信が切れ、留守電の通知が残った。
マーサが天井を見上げて、それから首を傾げた。
「……間隔、伸びとる。二分半に戻った」
大阪が王の手元を見た。
「いまは何も使うてへん。次に動くまで、この間に退路を開けな」
健一は地図の歪みを確かめた。
間隔が少し延びても、失われた壁や天井の厚みは戻っていない。
また天井がきしみ、莉奈は王から目を離さないまま床の石板の動きを待った。
ダイが出口までの足場を見張り、汐沢は南壁の継ぎ目に手を添えて壁を溶かし続けている。
石の音が止むと、莉奈はスマホの画面へ目を落とした。留守電の通知は残っている。
スマホの時計は、午後五時を過ぎていた。四時に十四人が揃ってから、守る場所が増えるたび、時間だけが削られていた。
ポールを手の届く壁際に立てかけ、火傷した右手を見る。
ピンクのネイルの端が欠けていた。渋谷の時はスカル柄だった。今この色を選んだのは、自分だ。
健一も、盾で裂けた掌を見ていた。
ハンカチを片手で巻こうとして、結び目が滑る。
金子が「貸して」と布の端を取った。腫れた肩をかばいながら、健一の手に巻いていく。
莉奈は二人の手から目を逸らしかけ、胸の奥がちくりとしたが、すぐに金子の肩の方が気になった。
「外に出たら二人とも診てもらって。肩も、手も」
「莉奈ちゃんも。さっき、右手焼けとったやろ」
健一は二人の怪我を見比べた。
「……三人とも、だね」
莉奈は言い返せず、傷のない方の手でスマホを握った。
スマホを見る。非通知からの着信履歴。
一度目の電話は、父が家を出ていった後だった。莉奈は出なかった。留守電にも何も入っていなかった。ただの無音。家を出てから何も言わなかった人間が、一度だけ電話をかけてきて、それでも何も言わなかった。
「聞く?」
金子が隣に座った。
大阪は少し離れた場所で壁にもたれている。聞こえる距離。でも、邪魔はしない距離。
「分かんない」
「怖い?」
「……うん」
自分でも驚くほど、素直に認めていた。金子の前では、無理に強がる必要がなかった。
「うちな、父親おらへんねん。物心ついた時からおらん。写真も残ってへん。母さんが全部捨てたから」
金子は笑っていなかった。傷んだ肩をかばいながら、莉奈の方を向いている。
「だから電話かかってきたことすらない。番号も知らん。顔も知らん。──でもな、たまに思うんよ。電話かかってきたら、出るかなって。出たとして、何言うかなって」
「……何言うの」
「分からん。たぶん、泣くだけで何も言えへん」
「留守電入ったからって、今かけ直す義務はないで。莉奈ちゃんが決めたらええ。うちは隣におるから」
莉奈は画面の通知を開いた。
留守電に、今度はメッセージが入っていた。
莉奈は再生ボタンを押した。スマホを耳に当てる。
雑踏の音。どこかの駅のホーム。電車のアナウンスが微かに聞こえる。
数秒の沈黙。
息を吸う音。
──何か言おうとして、止めて、また吸って。
そして──
「莉奈。元気か」
短い一言。
声は低く、少し震えていた。「元気か」の「か」が掠れている。何回も練習して、本番で声が裂けた、みたいな掠れ方。
莉奈はスマホを耳から離して、目を閉じた。
涙は出なかった。
かけ直す気にもなれない。
ただ、次に話すなら何を訊くか、考えてしまった。
「……あのクソ親父」
金子が莉奈の肩に、そっと額をつけた。
スマホから流れる雑踏が止まっても、そのままだった。
健一は隣へ来たが、まだ王の方を監視している。
莉奈がスマホを膝へ置くと、ようやく顔を向けた。
「健一」
「うん」
「あの王様と、もう一回話す。今度は責めるんじゃなくて……」
莉奈が立ち上がった。
金子も立ち上がった。
大阪が壁から背中を離した。
「あいつにも、聞いてほしいことがあるから」




