第64話 薄れる輪郭
「王の身体、さっきより薄くなってる」とテツ。
テツはミノス王の輪郭を見ていた。さっきの一撃で魔力を消費した王は、まだ広間の隅で手を震わせている。
「石壁の目地が、身体の向こうに透けて見える」
健一が【解析】を重ねた。魔力の残量が、さっきの一撃の前後で大きく落ちている。
「身体を支えてるのも魔力だ。一撃で残量が一割近く減ってる。同じことを繰り返せば、あの人も迷宮も持たないかもしれない」
佐藤が【編纂】の神話記録を照合した。
「死後、冥界の審判者になった王です。いま目の前にあるのは、肉体というより魔力に支えられた身体なのでしょう」
「数千年……ずっと一人で?」
金子が呟いた。
その時、広間の天井が鳴った。
地鳴りではない。石がきしむ音。壁面が内側へ数センチ膨らみ、すぐに戻った。天井から砂が落ちてくる。
「収縮や」
マーサが手をかざした。【測流】が魔力の流れを読む。顔色が変わった。
「さっき二分半やったのが、もう二分。あの王様が魔力使うたびに、迷宮の支えが減っとる」
輪島が通路の奥に向かって低い声を飛ばした。数秒後、返ってきた反響に耳を傾ける。
「北の壁、音が薄い。中が空洞になってる。あと一、二回収縮が来たら抜けそうだ」
「抜けたら、どうなんの」
「ここまで落ちてくる。天井ごと」
輪島は南の通路へ目を移した。退くための穴は、まだ開いていない。
汐沢が南壁の継ぎ目へ戻った。最短で抜けるなら、正面の薄い壁だった。だが健一の地図では、その薄い壁の向こう側の面に、さっき十四人で見た壁画が描かれている。
健一が【解析】で荷重を確かめ、二メートル横の継ぎ目を示した。汐沢は壁画を避けた厚い壁に掌を当てる。触れた箇所が、じわりと変色していった。
「退路、作っとく。ここが潰れたら、この壁を抜けて南へ」
「溶かせるの」と莉奈。
「こっちの継ぎ目なら、上を落とさずに開けられる」
「薄い方が早いだろ」
ダイが健一の地図を覗いた。
「誰かが残したものだから、できれば残したい。間に合わなかったら、そっちを抜く」
汐沢は厚い壁から手を離さなかった。
「危なくなる前に、こっちを開ける」
輪島が天井を、健一が通路側の足場を見ている。
佐藤は金属棒を足元へ置き、メモ帳を開いた。ペンの軸を一度回し、時刻を書き込む。
「三分二十秒、二分半、二分。短くなり続けています」
書き終えると、手帳を閉じて棒を拾い直した。
ダイが莉奈を見た。
「時間がない。分かってるな」
「分かってる」
莉奈は広間の隅のミノス王を見た。その手は、まだ震えていた。
「あいつ、消えるのが怖いんだ」
莉奈が呟いた。
「怒らせたら、また撃つ。……どうしたら、止まるのよ」
「怒りでは止まらない」
ダイダロスが首を振った。
「怒りは一瞬だ。すぐにまた恐怖に戻る。──あの男を止めるには、恐怖そのものに触れなければならない」
「恐怖って──死んで消えることでしょ」
「単純に死ぬだけではない。──《《独り》》で消えることも恐れている」
「──ねえ、アンタ。あの子。息子のこと、覚えてる?」
莉奈がミノス王に問いかけた。
「息子だと? あの──怪物のことか」
「怪物じゃない。アンタの息子。名前は──」
「名前などない! あれは──あれは、呪われた子だ!」
ミノス王の声が裂けた。息子から逸らしていた目が、今度は莉奈を睨んだ。
「あれが生まれた時、私は──私は王だった。妻に産ませた子が、怪物の姿で生まれた。民が見ている。臣下が見ている。『王の子は怪物だ』と──」
「だから閉じ込めた」
「恥だったのだ! 王としての恥!」
「恥って、アンタの恥でしょ。あの子の恥じゃない」
莉奈の声は静かだったが、刃のように鋭かった。
「あの子は怪物の姿で生まれただけ。それをアンタが『恥だ』って決めて、地下に閉じ込めて、誰にも見せないようにした。ダイダロスに迷宮を作らせて、鎖で繋がせて。──自分の手は汚さないで」
ミノス王が後ずさった。
「あれが外へ出て、人が殺されたらどうする。お前に責任が取れるのか」
「さっき、あの子にアタシたちを殴らせたのはアンタでしょ」
王の唇が動いた。
声にはならず、冠の縁を掴み直した。
莉奈はそれ以上近づかなかった。
「アタシの親父もそうだった。ある日、出ていった。でも──三年前に電話をかけてきた」
莉奈のスマホが、ポケットの中で震えた。




