第62話 逃げる王
莉奈が玉座へ向かって歩き出した瞬間、ミノス王が消えた。
冠から落ちた紫の光が床を走り、南の壁際で人の形に戻る。三十メートルを、一瞬で渡っていた。
「逃げた!? ボスが!?」
莉奈は王の手を見た。王は南へ続く通路に光を伸ばしている。
だが、崩れた石板の先で光は途切れた。
「道を戻せ、ダイダロス!」
「その先はつないでいない。途中で造るのをやめた区画だ」
ダイダロスが答える。
王冠が強く光ったが、王の姿はそこに残った。
「いま床を渡っている転移では、ここから外へ出られない」とダイダロス。
汐沢が壁の継ぎ目から手を離し、老人の前へ戻った。金属棒を身体の脇へ下げ、王とダイダロスの間に立つ。
「じゃあ、囲めばいいのか」とダイ。
「追うな」ダイダロスが止める。
「追えば、次の石へ逃げる。力が尽きるまで。あの男はそういう人間だ」
莉奈は二歩目を止めた。
だが、ミノス王はまた転移した。
今度は西の壁の高い張り出し。梁の端と接する足場に立ち、下を見ている。
「上へ行った」と山岸がバットを握り直す。
「追いかけないで。通路とダイダロスを守って」
莉奈は仲間へ手を上げた。
健一は莉奈の横に残り、
山岸と小保内も近くの瓦礫から動かなかった。
金子は大阪のそばに座り、和田が二人の前から西の足場を見ている。
ダイ、テツ、マーサは南への道を観察し、
佐藤と汐沢、伊禮、輪島は、老人を崩れた石壁から離した。
王へ詰め寄る者はいなかった。
それでも、誰かが姿勢を変えるたび、冠の光が揺れる。
莉奈はポールを、足元の瓦礫に立てかけた。
雷も纏わない。
「アタシはここにいる。みんなは構えをといて。武器は持ってて」
「あいつはまだ撃てるぞ」とダイ。
「分かってる。撃たせないように話す。来たら止める」
ポールは一歩で拾える場所にある。
健一も、裂けた手を身体の前へ出したままだった。
ミノス王はその手を見て、梁の反対側へ移る。三度目の転移だった。
ミノタウロスが立ち上がると、王は東の床へ逃げた。四度目。
逃げる先の瓦礫がずれ、ミノス王はまた冠へ手を当てた。五度目は、南の通路から離れた西側だった。
誰も近づいていない。
王は自分の着く足場さえ、確かめる間を取れなくなっていた。
六度目、光は北まで伸びかけたが、途中でほどけた。王の身体は二十メートル先に現れる。
七度目は十五メートル。東の隅へ降りた王が、石壁に手をついた。
健一が【解析】の表示を確かめる。
「今の移動は、二十メートル。その次は十五。遠くまで伸ばした光が、途中で切れてる」
「魔力の流れも細くなっとる」とマーサ。
「移るたびに、身体の方から力が減ってるんや」
ミノス王が指を上げた。足元に紫の光が滲む。
莉奈はポールにも、王にも近づかなかった。
「逃げるなら逃げればいい。でも、アタシは追わない。アンタが自分で止まるまで、ここで待つ」
王の指は上がったままだった。
十四人の顔を順に見て、ようやく床の光を消す。
冠の縁には、まだ紫が残っている。
「何のつもりだ」
「アンタ、ずっと逃げてきたんでしょ。場所も時代も家族も」
莉奈は声を落とした。
「今も、誰も近づいてないのに逃げた。アンタの息子が、ここにいるのに」
「黙れ。そこから動けば撃つぞ」
莉奈は足を止めたまま、王を見た。
「アンタの息子が何を待ってたか、聞いたことある?」
ミノス王の目が、ミノタウロスへ動きかける。
途中で逸れた。
「小娘に何が分かる」
「小娘で結構。アタシは十七歳の女子高生で、金髪で、フラペチーノが好きで、父親に置いていかれた」
「お前に何が分かる! 私は王だ!」
「王でも親父でしょ。あの子。ミノタウロスの」
王の顔が歪んだ。
転移のために下を向いていた手が、莉奈へ向く。
マーサが息を詰めた。
「冠の下、流れが集まってる。今までと違う」




