第59話 それぞれの持ち場
「光る目地から離れて!」と健一が叫んだ。
その声に皆が光る目地から足を引いた。
ミノタウロスの正面、西の側路、東の側路、北の壁際。
さっき決めた持ち場から遠く離れず、近くの仲間の声を頼りに退く。
和田は中央に転がる石片を見て一歩出かけたが、大阪の「和田、こっち!」に踵を返し、西へ戻った。
その一拍後、 人の背丈を越す隔壁が床からせり上がった。
壁の肋骨がミノタウロスの周囲から北の壁際へ伸び、正面、西の側路、東の側路、壁際の間を仕切る。天井までは届かない。
大声は上を回り込むが、衝突音が重なると聞き取れない。隔壁の脇や足元にも、人が抜けられる隙間はなかった
莉奈、健一、山岸、小保内は正面に残った。
金子、大阪、和田は西の側路。
ダイ、テツ、マーサは東の側路。
壁際のダイダロスには佐藤、汐沢、伊禮、輪島がついている。
事前に決めていた持ち場が、そのまま狭い区画となった。
王が指を下ろす。
床の命令を伝える線が一斉に発光し、自由になったはずの左腕がまた震えた。ミノタウロスのHPが減り始める。玉座の床から石板が一枚剥がれ、王の冠の光もわずかに失われた。王は迷宮の魔力まで注いでいる。
「切った線へ戻ったんじゃない」と健一。
「床から額へ、命令を回してる。光る目地を一つ壊しても別の経路を使う。次は額の紋様そのものを断つしかない」
西で、牙を剥いたパイアが立ち上がった。
金子の負傷した右肩を見て突進する。
「見とるで」観察士の大阪が【看破】で進路を読む。金子の右肩のかばい方まで見ていた。
和田は二人の逃げ道に石を残していた。
金子が笑って前へ出ると、獣の目が彼女へ吸い寄せられた。
東の天井で羽音が爆ぜた。女の顔と鳥の脚を持つ影が、東側の隔壁と天井の間を飛び抜けてダイダロスのいる北の壁際へ向かう。
「ハルピュイアだ」とダイダロスが叫んだ。
測量士のダイは東の側路から見上げた。跳び上がってもあの高さには届かない。だが、鉤爪は隔壁越しに老人へ届く。
「追いかけるな。こっちに引き戻す」とテツ。
マーサは羽ばたきのたびに天井へ戻る魔力の流れを追った。
テツが隔壁を蹴って音を立てると、鳥の注意が東へ向く。
ダイダロスから引き離せたのは、一瞬だけだった。
壁際では、スパルトイが目地から新たに二体起き上がった。
さっきの槍兵が沈んだ継ぎ目から、槍が次々と伸びる。その後ろの石壁には、声のない人影の染み。
「父さん」
イカロスによく似た声だった。
ダイダロスが顔を上げる。
日に焼けた頬をした伊禮が、老人と石壁の間に立った。
「今の声は石壁の方から来た。イカロス本人じゃない」と輪島。
輪島の【反響】が染みの移動を追い、
佐藤は【編纂】で声の位置と順序を記録する。
エムプーサは誰の声を借りればダイダロスが振り向くか、知っていた。
「私が──」とダイダロスが立とうとした。
「座ってて。ここはうちらの持ち場」と溶解師の汐沢。
小柄な身体で老人を石壁の崩れた陰へ下がらせる。
黒髪のボブが頬にかかったが、払う手は壁に残した。
佐藤はダイダロスから離れずに槍の間隔を数えた。
王が笑った。
「十四人で一つの答えを出すというのなら、離れたまま出してみよ」
莉奈の正面にはミノタウロスがいる。
同じ区画で健一は足場を見て、山岸と小保内はその脇を守った。
西から金子の声、東から隔壁を蹴る音、壁際から槍が石壁を打つ音が隔壁を越えて届き、仲間がまだ立っていると知る。
莉奈はポールを握り直して叫んだ。
「アタシたちはあの子を止める。みんな! そっちは任せた!」
西から金子が「おう!」と返し、
東ではダイが床の石板を二度蹴った。
壁際の輪島も隔壁を二度叩く。
姿は見えなくても、三方から返事が届いた。
パイアが隔壁の低い裂け目に鼻を突っ込む。
西の側路の北方向の奥には、ダイダロスのいる壁際へ続く隙間がある。
獣は鼻先でそこをこじ開けようとしていた。
「通さんで」金子が【道化】で引き戻す。
大阪が獣の前脚の接地点を読み、
奇術師の和田がそこへ石材を【すり替え】た。
普段はぼんやりした目が、石材の位置だけを正確に追っている。
牙が石材に刺さり、獣の前足が止まる。
三人とも、中央を振り返らない。
東でハルピュイアが梁の下を旋回し、北の壁際へ急降下の準備を始めた。
ダイは東側の隔壁の縁へ寄り、その通り道に身体を入れる。
だが翼の一打ちで軌道がずれた。
左翼が隔壁を擦り、鉤爪はダイの肩をかすめて、隔壁の向こうのダイダロスの衣の端を裂いた。
汐沢が老人を石壁の陰へ引き寄せる。
「左の翼、隔壁に擦ったな」テツが隔壁の角に触れ、【測質】で硬さを確かめた。
「隔壁は硬い。翼の付け根をもう一度ここへ当てられれば折れるはず。でも、こっちが跳んでも届かない」
観測士のマーサは魔力の流れが折り返す場所を見た。
「次も翼を畳む時、東の隔壁の角に寄る。そこへ追い込める」
ダイたちは待機した。
東の側路を抜けられると、次の急降下はダイダロスへ通る。
テツが足元の剥がれた石板の縁へ手を掛け、三人は東側の隔壁沿いで翼の下がる時を待った。
槍兵の一体が佐藤へ槍を突き出した。
汐沢は床を薄く溶かして突きの軌道を外し、
輪島が背後から来る二体目を音で知らせる。
共鳴者の伊禮はダイダロスを腕でかばいながら、石壁の染みを見た。
声の真偽より、老人の震える肩を先に確かめた。
「その声に返事しないで。イカロスは外で、あなたの帰りを待ってる」
エムプーサの染みが老人の影へ重なろうとした瞬間、輪島の打音が空洞を暴いた。
汐沢がそこだけ石壁を崩す。
実体化した影は槍兵の後ろへ退いた。倒しきれないが、老人には届かない。
ダイダロスが隔壁の下端を指した。
「この隔壁なら、音の通る継ぎ目がある。私が設計した。そこだけなら小さく開けられる」
「場所を教えてください。手は出さないで」と佐藤。
ダイダロスが示す下端の継ぎ目を【編纂】に留め、輪島がそこを二度叩いて中央へ位置を送る。
中央で健一がその振動を拾った。【解析】が示す下端は荷重を支えていない。返事に、靴の踵で足元の石板を二度鳴らす。
「聞こえた。そこだけ小さく開けて。声と合図を通そう」と健一が呼びかけた。
汐沢が隔壁の下端に腕一本分の穴を開けた。
人は通れない。佐藤の声と輪島の打音が、床沿いに中央へ届く。
ミノタウロスの拳がまた上がった。
額へ向かおうとした莉奈は、床の紫が強まるのを見て足を止めた。
左腕が、再び命令に引かれて跳ねる。
健一は首を振る。
「僕らが無理に隙を作れば、またあの子が傷つく。本人が押し返す半拍を待とう」
佐藤は隔壁の上に見える額の発光と、輪島が床の振動から拾った心拍を【編纂】へ並べ直した。
輪島には、心臓だけが命令より先に鳴る瞬間が聞こえる。
「周期は速い。でも、ずれは消えていません」と佐藤が穴へ声を通した。
伊禮は隔壁越しにミノタウロスの抵抗を拾う。
「あの子も、次の半拍を待ってる」
ダイダロスをかばう腕は離さない。




