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第58話 ほどける手足

 健一が【解析】の表示を拡大した。


 額の王冠から右肘、左肩、両膝へ紫の線が伸びている。両膝の線は足裏を通り、床の一つの石目で合流していた。


 命令が届くたび、その先の傷口が開く。


「半拍のずれを使う。額はまだ狙わない。先に手足へ命令を送る四本の線を切る」


「額を壊したら終わりちゃうんか」と大阪が訊(き)いた。


「今は線を通じて身体を引っ張られてる。抵抗するたびにあの子のHPが減る。額へ届くまでに尽きるよ」


 莉奈がミノタウロスを見た。


 左腕は振り上がったまま震えている。


 伊禮が首を振る。


「線を切っても動けなくはならない。自分で動けるようになる。あの子はずっと止まろうとしてる」


 壁画の区画で再合流してから広間へ来るまで、収縮をやり過ごす短い間に、健一は各組の使える技、届く距離、慣れた合図を聞いてメモしていた。


 クラス欄には、自分の「戦術士」、莉奈の「魔闘家」、金子の「道化師」。クラス名だけでは連携の手順までは決まらない。


 誰が相手でも勝てる作戦ではない。


 正面と側面、守るべき人のそばに誰が残るか。


 合図が届かなければ、次の半拍まで待つ。


 それだけを決めた。


 最初の拳には間に合わず、健一の盾まで割れた。


 ようやく今、決めておいた持ち場に戻れる。


 莉奈は金髪を耳にかけ、ピンクの爪でポールを握り直した。


「だったら、持ち場を分ける。健一、山岸、小保内さん。アタシと正面。金子たちは西側、ダイたちは東側。ダイダロスさんを一人にしないで」


「命令すんなや」と短髪の大阪が返した。


 でも、

 金子が結んだ髪を揺らして一歩前へ出た時には、

 大阪はその肩越しに王の指を見て、

 和田は目にかかる前髪を払って退く先の空間を確かめていた。


 梅田で何度も繰り返した並びだ。


 長身で黒髪のダイが膝までの距離を測り、

 短髪のテツが床の強度を確かめる。

 短い茶髪のマーサは足元を巡る魔力の流れを追った。


 ダイが合図を出すより先に、テツとマーサは彼の左右にいた。


 佐藤と汐沢は壁際のダイダロスへ走った。

 佐藤が黒髪を耳にかけて老人と王の位置を記録し、

 汐沢が頭上の石目に手を当てる。


 伊禮と輪島もそこへ寄り、石を伝う声と足音を拾った。


 十四人は、ひとかたまりで巨体を囲まなかった。


「うちが目ぇ引く」


 金子が健一の裂けた掌から手を離した。


 右肩を庇うのを、大阪は見逃さない。


「一歩だけや。二歩目は和田に任せ」


 金子が【道化】で左腕を引いた。

 大阪の【看破】が横薙ぎを読んだ直後、王の指が動く。


「前に変わる! 頭下げ!」


 和田が金子を二歩後ろの空間と【すり替え】たが、王の命令で曲がった拳には一拍遅れた。金子の右肩が石壁を擦る。


 莉奈は腕の下を潜ったものの、輪島が声で送った半拍の合図は衝突音に消え、肘の紫の線を見送るしかなかった。


 健一の画面であの子のHPがまた減った。


 金子は「平気や」と笑ったが、傷ついた肩を押さえている。


 莉奈は一度下がった。次の半拍まで、肘へは近づけない。


 壁際で輪島が大きな手を床につき、耳を寄せる。

 口を閉じて返ってくる音を待った。


「声は埋もれる。次は石を二度叩く。二度目が心臓の先に鳴った合図だ」


 佐藤が王冠の発光と輪島の数えた音を【編纂】で並べる。

 名古屋側ではマーサが同じ瞬間に逆向きの流れを拾った。


「肘の裏、今だけ戻っとる!」


 輪島が石を二度叩き、莉奈の足裏に振動が届いた。


「莉奈、右肘!」健一が足元の亀裂を示す。


 莉奈はそこを避け、【雷纏】を細く乗せたポールで紫の線だけを叩いた。


 右腕が壁から抜けた。今度は無理に折れない。


 ミノタウロス自身が、その腕を胸の前へ引いた。


「一本」と健一。


 王がダイダロスへ目を向けた。


 老人の頭上で天井の石目が裂け、土色の兜が降りてくる。


 スパルトイの槍が先に老人を狙った。


「下がってください」


 記録士の佐藤がダイダロスの肩を引く。

 汐沢は崩れかけた壁と槍兵の足元、その境の石だけを【腐食】させた。


 槍兵が膝をつく。


 もう一体が壁の中から出かけたところで、輪島が反響から位置を告げた。

 伊禮は老人を瓦礫の陰へ移し、壁を伝う恐怖の中からミノタウロスの声を聞き分ける。


「こっちは守る。あの子のところを続けて!」


 莉奈は振り返りたい衝動を堪えた。あちらへ走れば、正面の左腕が誰かを潰す。


 健一が横で頷く。


 名古屋側で、ダイが左膝の外へ回った。

 テツが踏んでも抜けない石を選び、

 マーサは命令の流れが足裏へ落ちる拍子(ひょうし)を数える。


「足を沈めるな。また皮膚が裂ける」とテツ。


「床の線だけ切る。ダイくん、身体は押さえ込まんといて」とマーサ。


 ダイは二人の合図を待った。

 石目を踏ませる位置を【測距】で示し、山岸に声を飛ばす。


「そっちの膝が乗ったら、両足の間を打て!」


 肩幅の広い山岸がバットを握り直す。

 小保内は低く結んだ髪を払い、彼の背に触れたが、覚醒【バフ】はまだ使わない。


 右腕に必要な一撃だけを残していた。


 だがスパルトイの槍が壁を打つ音で、ダイの声が途切れた。

 山岸は金子が巨体の前にいるのを見て、待つと決めたことを忘れ、膝が乗ったと思って先に石目を打つ。表面が欠けただけで、紫の線は残った。


 命令に引かれたミノタウロスの足がひきつり、HPがまた一目盛り減る。


「悪い。声が聞こえなかったのに、待てなかった」と山岸。


「声に頼った俺も悪い」とダイが返す。


 輪島が床を三度叩いた。

 山岸はバットの柄を石へ当て、振動を確かめる。


「次はそれで合わせる」


 テツは欠けた石目を測り直し、まだ線を断てる深さが残っていると告げた。


 金子と大阪が左腕を西へ引き、和田が足元の石片を入れ替える。


 巨体は逃げる金子を追って一歩ずれた。


 マーサの拍子でダイが膝の向きを変え、輪島が床を三度叩く。


 三つ目の振動で踏み込みが継ぎ目に乗った。


「先輩、今!」


 小保内の【バフ】を一瞬だけ受け、山岸が膝ではなく、二本の線が集まる石目を打った。床が割れ、紫の線が二本、断面で火花を散らす。


 小保内はすぐ手を離した。


 ミノタウロスは両足を自分で踏み直した。


 汐沢たちが槍兵を引きつける壁際へは向かわない。


 まだ命令が残る左腕だけが、金子の方へ上がった。


 伊禮が石越しにあの子の恐れを拾い、届くように声を張った。


「あと一本。怖いなら、怖いままでいい。今はおれたちが止める」


 左腕の指が開いた。


 王の命令で振り下ろされるはずの拳を、あの子自身が床につく。


 上体が前へ傾き、左肩がポールの届く高さへ下がった。


「健一、肩!」


「見えてる。足場は左の拳の横!」


 莉奈は拳を踏み台にせず、その横の石に足をかけた。


 差し出された肩口へポールを伸ばし、半拍だけ逆流した紫の線を切る。


 四本目がほどけた。


 巨体が膝をつく。


 健一の【解析】に表示される、HPの減少が止まった。


 あの子は莉奈を見た。赤い目は穏やかだった。


 壁際では、汐沢が最後の槍兵の足を石へ沈めていた。


 守りの四人も無事だ。


 だが、誰も勝ったとは言わない。


 ミノス王は玉座の肘掛けを掴んだ。


 指先が欠けた石を何度も擦る。


 息子が膝をついても、その顔を見ようとはしなかった。


 床の目地が王冠と同じ紫に染まった。


 今度は手足ではない。


 額の紋様から広間の石へ、


 命令が枝分かれしていく。


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