第57話 盾の三秒
「覚醒【光の盾】ッ!」
健一の視界にEPバーが開いた。MPは減らない。守りたいという感情そのものが、盾へ流れ込む。発動した瞬間、バーの大きな一節が消え、残りはまだ白い領域で止まった。
金子の前に、健一が滑り込んだ。
半透明の光の膜と、ミノタウロスの拳が激突する。
一秒目。
盾の表面に亀裂が走った。EPの減少は、発動時に一節落ちたところで止まっている。
二秒目。
健一の靴底が床を削り、両腕から血が滲んだ。削られているのは盾の耐久と、健一の身体だ。
三秒目。
盾の耐久が尽きた。光の盾が、ガラスのように砕け散った。
「今や、和田!」
大阪の声と同時に、和田が右手を上げた。
金子の身体と、十メートル後方の空間が入れ替わる。
拳の余波が健一を吹き飛ばした。
だが、その背中が壁へ叩きつけられる前に、莉奈が割って入った。
健一を左腕で抱え、右手のポールを床へ突き立てる。
二人分の勢いを殺し切れず、膝が石床を擦った。
「健一! アンタ、また──!」
「金子は?」
自分の血より先に、健一は金子を探した。
「ここ! うち、無事!」
安全圏へ移された金子が駆け戻ってくる。右肩を押さえたまま、健一の前にしゃがんだ。盾を張った掌の皮が裂け、血が指先まで流れている。
「健一くん、手……」
「これくらい平気。それより、金子の肩は?」
金子は答えなかった。いつもの笑顔もなかった。
ただ、自分を庇って裂けた掌を、両手でそっと包んでいた。
莉奈の視界の端で、EPバーが一目盛り上がった。
健一が【解析】画面を見て、眉を寄せる。
「莉奈、今、なぜかEPが──」
「見るな!」
「え?」
「人の感情、勝手に解析すんなっつってんの!」
「今それ拾うんか」
大阪の低い声を、ミノタウロスの咆哮がかき消した。
額の王冠が強く発光する。
ミノタウロスの傷ついた右腕が、また持ち上がった。砕けた関節を、命令が無理やり動かしている。
狙いは、盾を失って動けない健一。
莉奈の右腕に、金色を越えた紫電が走った。
覚醒【迅雷紫電】。全開で使えば止められる。
あの巨体ごと、王冠の紋様を焼き切れる。
EPバーの一節が、発動と同時に消えた。
渋谷で大きく削ったもの。
新宿で、健一から聞かされたもの。
怒りも、悲しみも、孤独も、信頼も──全部、自分の心だ。
「莉奈、駄目だ!」
「違う!」
健一の声に、伊禮の声が重なった。
「これは、あの子の怒りじゃない。泣いてる。身体を止めてくれって──でも、消さないでくれって!」
莉奈は歯を食いしばった。
紫電を一本の細い線まで絞り、振り下ろされる腕の側面へ叩き込む。
巨腕の軌道が、わずかに外へ逸れた。EP残量はまだ白い領域にある。莉奈はそこで覚醒を切った。
逸れた腕を、山岸とダイが左右から押し返す。
小保内は山岸の背中へ両手を当てたまま、先ほどから続く【バフ】を全身へ広げる。
ダイは自力で踏ん張り、汐沢が崩れた床をさらに溶かして踏み込みを奪う。
その瞬間、健一の【解析】に、もう一本のEPバーが引っかかった。
表示名は小保内。残量はすでに半分近くまで落ちている。
だが、見えた途端に【ハイディング】のノイズが覆い隠した。
「小保内さん、バフを止めて!」
「まだ持ちます」
「MPじゃない。減ってるのはEPです。もう半分近くまで落ちてる!」
山岸の顔が強張った。
押し返している腕は、少しでも力を抜けば潰される。
「先輩、知ってたのか」
「新宿で気づきました。言えば、山岸さんは使わせてくれないでしょう」
「当たり前だ。帰る十四人に、先輩も入ってる」
小保内の表情が、初めてはっきり揺れた。
山岸の全身へ広げていた【バフ】を、ミノタウロスの腕を支える両腕だけに絞る。振り払われる直前に覚醒を解除し、残ったEPを守った。
それでも止まらない。
「長くは持たない!」
健一が膝をついたまま【解析】を走らせる。
表示されたミノタウロスのHPが、攻撃を受けていないのに減っていた。
「王の命令に逆らうたび、ミノタウロス自身のHPと魔力が使われてる。ミノス王は、自分の魔力を使ってない」
「息子を動かす力まで、息子に払わせとるんか」
大阪の声から、冗談が消えた。
倒してはいけない。
だが、押さえ続けるだけでも、ミノタウロスのHPが尽きる。
最初の作戦は、完全に失敗していた。
輪島が床に耳を近づけた。【反響】が巨体の内側で鳴る音を拾う。
「音が二つある」
「二つ?」
「心臓の音と、命令の音。重なってる。でも、攻撃する直前だけ──半拍ずれる」
佐藤がメモ帳を開いた。これまでの攻撃、王冠の発光、ミノタウロスの心拍を、【編纂】で一列に並べていく。
「三回とも同じです。命令が身体へ届く直前、ほんの一瞬だけ流れが逆向きになる」
マーサが【測流】を重ねた。
「その瞬間だけ、額から王様へ魔力が戻っとる。あの子が、命令を押し返してるんや」
「何秒ある」
ダイが訊いた。
「一秒もない」
広間が揺れた。
ミノタウロスが山岸とダイを振り払い、再び立ち上がる。
右腕は垂れ下がっている。
それでも左腕を上げ、十四人を薙ぎ払う構えを取った。
一秒にも満たない、自分を取り戻す時間。
健一が十四人を見た。
「まず四本の線を切る。あの子の手足を、あの子に返そう」




