第52話 不完全な迷宮
東京駅の地下は、渋谷とも新宿とも違っていた。
壁が揺れている。
文字通り、石造りの壁面が数分おきにぐにゃりと歪み、通路の幅が変わる。天井が下がったり上がったりする。まるで巨大な生き物の胃袋の中にいるような不快感。
「この迷宮、設計が途中で放棄されてる。骨組みだけあって中身がない。だから構造が安定しない」
健一の【解析】が悲鳴を上げていた。マップを描いても、数分後には通路の配置が変わっている。
渋谷はマップが信頼できた。
新宿は複雑だったが法則があった。
東京駅は──法則がない。
「ダイダロスが途中で止めたんだ。完全な迷宮なら安定するけど、不完全だから──」
「制御不能。暴走してるってこと?」
莉奈は壁面に手を当てた。
渋谷の壁は冷たかった。
新宿の壁は古かった。
東京駅の壁は──熱い。
不安定な魔力が壁面を通じて放熱している。触れていると指先がヒリヒリする。
壁が揺れた。
通路が狭まる。
天井が二メートルまで下がった。
「伏せろ!」
山岸が叫んだ。
十人が一斉にしゃがむ。天井が頭上すれすれを通過し、三秒後にまた元に戻った。
「……今の、なに」
「構造の痙攣。不完全な迷宮が周期的に収縮する。次にいつ来るか分からない」
テツが壁に手を当てた。【測質】が壁面の組成を読む。
「この壁、硬度が均一じゃない。場所によって脆い部分がある。次に収縮した時、脆い場所が崩落する可能性がある」
マーサが通路の空気に手をかざした。【測流】が魔力の流れを感知する。
「魔力の流れに癖がある。完全にランダムじゃない。ダイダロスの無意識が、設計の癖として残ってるみたい。次の収縮は、たぶん三分ちょっと後。その前に、この通路を抜けないと」
名古屋組のトライアンギュレーションが起動した。
ダイの【測距】が通路の寸法と変化速度を計測し、
テツの【測質】が壁面の強度を判定し、
マーサの【測流】が構造変化の予測タイミングを出す。
三つのデータが重なり合い、「安全に動ける約三分」の窓が見えた。
「三分。安全に動けるのは、そのくらいだ。それまでにこの通路を抜ける」
ダイが言い切った。
名古屋の時と同じ声。だが、名古屋の時と違うのは──命令ではなく、情報の共有として言っていること。
「聞いた? 三分よ。走るわよ」
莉奈が先頭に立った。十人が走り出す。
健一が【解析】のマップを睨み、足を止めた。マップの端に、輪郭の定まらない区画が明滅している。その奥から、いくつもの人間の反応が返ってきていた。
「待って。人間の反応が、まだ先にある」
「もっと?」
「反応はある。でも、そこはマップ上で正式な区画として認識されてない。設計が途中で切れてるんだ」
「何人いるか、分かるの?」
「分からない。【解析】にも人数と位置が正確に出ない。構造が不安定で、設計も途中だ。不安定区画に取り残された人たちは、十四人の収容人数に数えられていない可能性が高い。僕たちが全員を見つけられる保証もない」
莉奈の背筋が冷えた。
「排出ポイントまで連れていけば?」
「外には出せると思う。でも、未完成なのは構造だけじゃないかもしれない。僕たちのHPがゼロになった時、緊急退避が正常に働く保証もない」
「意識を失って、迷宮の記憶をなくすだけじゃ済まないかもしれないってこと?」
健一は一拍置いて答えた。
「……うん。ここでは、光になって消えた時、外へ退避できるとは限らない」
山岸が【探知】を起動した。だが、不完全な迷宮の構造が歪むたびに、スキャン結果がリセットされる。
「壁の向こう側が見えない。構造が変わるたびに情報が潰れる。ただ、微かに。二百メートル先に、複数の人間の反応がある。動いてない」
「動いてない?」
「怪我をしてるか、パニックで動けないか。急いだ方がいい」
莉奈はポールを肩に担いだ。
「全員、聞いて。最深部のダイダロスとミノス王は後。──まず、中に残ってる一般人を探す」
ダイが一瞬、莉奈を見つめた。
名古屋では、仲間が光になって消えるたびに人数を数え、立ち止まらず次の判断へ進んだ。地上へ戻るまで、生きているかも分からなかった。それでも、名前を役割と数字に置き換えたことを、ダイは今も許せずにいる。
「……同意だ。人命が先」
十人が深層に向かって走り出した。




