第51話 十四人
莉奈がドームの内側へ踏み込んだ瞬間、最初に聞こえたのは、金属を打つ音ではなく、男子高校生の鋭い声だった。
「テツ、右! エムプーサが壁から来る!」
「【測質】が安定しない。硬度は拾えるが、実体化する場所までは──」
「座標は俺が出す! 八メートル先、天井寄り!」
通路の奥で、二人の男子高校生がエムプーサと戦っていた。
一人は長身、黒髪、鋭い目。
もう一人は短髪、無表情、壁に手を当てている。
名古屋組。ダイとテツ。武器はない。二人とも素手だ。
なのに、ダイの蹴りはエムプーサの実体化ポイントを正確に捉え、テツは【測質】で壁面の脆い箇所を見抜き、掌底で壁面ごとエムプーサを叩き潰している。
「アンタたちが名古屋?」
莉奈が声をかけた。二人が振り返った。
ダイの目が莉奈を捉えた。
金髪。ステンレスのポール。目つきが悪い。──圧がある。
「渋谷の?」
「神崎莉奈。外にマーサがいる。アンタたちの仲間でしょ」
マーサの無事を知った瞬間、ダイの表情がわずかに緩んだ。だが、すぐに元の鋭さへ戻った。
「一般人はあと七人。二人ずつ、排出ポイントに誘導してる。全員出すまで少しかかる」
「七人を出せば、外の七人が入れる。今ここにいるアタシたち三人と合わせて十人」
「他にもいる。さっきから通路の奥で、誰かが戦ってる音がする。俺たちじゃない。知らない連中だ」
山岸の【探知】ではない。莉奈はまだ、外にいる山岸と通信できない。ダイの【測距】が、通路の奥の動きをかすかに捉えているのだ。東京駅の深層に、別の戦闘者がいる。
「北九州かヨロン島の突破者かもしれない」
「なんだそれ」
「説明は後。まず、一般人を出して」
莉奈がエムプーサを引きつける間に、ダイとテツは残る七人を排出ポイントへ送った。
二人、二人、最後に三人。
紫色の光が順番に身体を包み、全員がドームの外へ弾き出されていく。
一人が排出ポイントを抜けるたび、人数表示は一つずつ減り、最後の一人を送り出したところで「7/14」に止まった。
目の前にいるのは、莉奈、ダイ、テツの三人。表示に残った四人分が、通路の奥で戦っている者たちなのだろう。
莉奈のスマホが一度震えた。健一からのメッセージだった。
『七人出た。こっちの七人、順番に入る』
数秒後、通路の壁面が波打ち、健一と金子が中に現れた。
「莉奈ちゃん! 無事?」
「当たり前っしょ。名古屋のダイとテツ。こっちは渋谷の健一と、梅田の金子」
金子がにこにこ笑ってダイに手を差し出した。
ダイは数秒間その手を見つめ──握った。短く、強く。
続けて、大阪、和田、山岸、小保内が一人ずつ入ってきた。
一人が入るたび、人数表示も一つずつ増えていく。最後にマーサが再突入すると、表示は「14/14」に戻った。
ここにいるのは十人。渋谷組四人、梅田組三人、名古屋組三人。
表示に残る四人は、まだ深層にいる。
「残る四人は、北九州組とヨロン島組かもしれない」
「どうして分かる」
健一が答えた。
「保護施設にいた時、ダイダロスさんから聞いたんだ。渋谷、梅田、名古屋、北九州、ヨロン島。この五つは、新宿の本迷宮へ挑む者を選ぶための試験──イグザムだった。都市型は十四人だけど、北九州とヨロン島の鍾乳洞は地形に合わせて二人ずつ。だから、残る四人と数が合う」
健一が【解析】を起動した。
復活したマップに、強い魔力反応が点った。
「深層に四人。二人ずつ、別々の場所にいる。それとは別に、最深部に三つ。人間大の反応が一つ。ダイダロスさんだと思う。もう一つは──王冠を被った影」
「あのクソ親父、ミノス王?」
「たぶん。でも、さらにもう一つある。──ミノタウロスだ。新宿から移動してきてる」
莉奈は目を見開いた。あの子が、ここに来ている。鎖のない、自由な身体で。
「……全員揃えるわよ。十四人で、最深部に行く」
「十四人か」
ダイが呟いた。名古屋と同じ数字だ。
「名古屋でも十四人だったんでしょ」
「ああ」
「十一人が途中で消えて、三人で突破した」
「……ああ」
健一が、ふいに顔を上げた。
「莉奈。──十四って数字、偶然じゃない」
「は?」
「ギリシャ神話だ。ミノス王がアテナイに要求した貢物。少年七人と、少女七人。合わせて十四人。それを九年に一度、迷宮に送り込ませた」
通路の空気が、止まった。
「……送り込まれて、どうなったの」
「誰も帰ってこなかった。迷宮の奥で、ミノタウロスに喰われた。──そう伝えられてる」
ダイが低く呟いた。
「じゃあ、この十四って枠は」
「貢物の定員だ。渋谷、梅田、名古屋は十四人。北九州とヨロン島の鍾乳洞トライアルは、地形に合わせて二人ずつ。──新宿の七人は、その半分」
莉奈は自分の手を見た。ポールを握った手。この手が、数千年前に決められた枠の一つに、きっちり収まっている。
プレイヤーじゃない。挑戦者でもない。
アタシたちは──送り込まれた側だ。
「でも、それを終わらせた奴がいる」
健一が続けた。
「テセウス。三度目の貢物に、自分から志願して加わった。アリアドネの糸を辿って、生きて帰った」
「三度目」
莉奈は口角を上げた。
渋谷、新宿、東京駅。
梅田、名古屋、北九州、ヨロン島は、それぞれ一度きり。
三度も選ばれた《《街》》は、東京しかない。
かつてアテナイが負わされた役を、今は東京が押しつけられている。
そして今日が、三度目。
「アンタの紙片、あれ、糸の代わりだったわけ」
「……覚えてたんだ」
「忘れるわけないっしょ。あれ辿って、アンタのとこ戻ったんだから」
莉奈は周囲の九人を見回した。
ここにいるのは、自分を含めて十人。あと四人で揃う。
「今回は十四人で行って、十四人で帰る。──誰も置いていかない」
ダイは、迷いなく言い切った莉奈を見つめた。
根拠も確率もない、ただの宣言。だがそれは、名古屋でダイが最後まで口にできなかった「全員で帰る」という言葉だった。仲間が消えるたび、ダイは残った人数だけを数え、次の最適解へ進んだ。
莉奈は計算していない。全員で帰ると先に決め、そのために何をするかを考えている。順番が逆だ。だが、さっき一般人を背負って走った自分も、同じ順番で動いていた。
「指揮系統は?」とダイが訊いた。
「アタシはリーダーなんかやらない。でも、一番前で戦うのはアタシだ。それだけ決まってれば、あとはどうにかなるっしょ」
ダイは数秒間、莉奈の目を見つめた。
名古屋で十一人が光になって消えるのを見送り、ようやく「お願い」を覚えた男。さっきは、その先へ進むために、自分の過ちまでさらして頭を下げた。
ダイが頷いた。
「……分かった。あんたの後ろにつく」
十人は、深層にいる北九州組とヨロン島組の四人を探しながら、通路の奥へ歩き出した。
東京駅。
日本の鉄道網の要。
数多くの線路が、ここから各地へ延びている。
莉奈の物語も、ここから次のページへ進む。
三度目の迷宮は、ここからが本番だった。




