第45話 一ヶ月後の放課後
フラペチーノは、甘い。
ちょうどいい甘さ。甘すぎない。美味しすぎない。二週間前、この店で同じものを飲んだ時、莉奈は「ちょうどいい」と口にした。
変わったのはフラペチーノじゃない。アタシの方だ。そう気づいてから、味を測る癖が少しだけ薄れた。
「莉奈、ぼーっとしてるけど大丈夫?」
カフェのテラス席で、向かいに座った健一がストローを咥えたまま訊いてきた。新しい黒縁メガネ。ヒビの入ったレンズは買い替えた。でもフレームの形は前と同じ。変えない主義らしい。
「大丈夫。考え事してただけ」
新宿ダンジョンから、一ヶ月が経っていた。
日常は戻っている。
学校に行き、授業を受け、放課後にカフェに寄る。クラスの女子とは相変わらず距離がある。金髪のギャルに話しかける物好きは少ない。でも、以前ほど気にならなくなっていた。
放課後の過ごし方が変わった。
一人でヒトカラに行く代わりに、健一とカフェに行くことが増えた。たまに山岸が合流して三人になる。小保内は仕事帰りにしか来られないが、週末にはカラオケで四人揃う。
そして、メッセージアプリのグループ。「新宿ダンジョン同窓会」。メンバー七人。金子が毎日のようにスタンプを送ってくる。大阪が「スタンプ連打やめろ」とツッコむ。和田がたまに意味不明なボケを投下する。うるさい。でも、通知が来るたびに、スマホを見る手が止まらない。
母親との関係も、少しだけ変わった。「晩ごはんいらない」のメッセージが、「今日は何食べたい?」に変わった日があった。莉奈は「なんでもいい」と返した。母親は肉じゃがを作った。美味しかったけど、「美味しい」とは言えなかった。代わりに、食べ終わった皿を自分で洗った。母親は何も言わなかったが、台所の電気を少し長くつけていた。
「ねえ健一」
「ん?」
「平和って、退屈?」
「全然。むしろ最高。毎日ダンジョンだったら胃に穴が開くよ」
「そうね。アタシも胃袋は一つしかないし」
莉奈はフラペチーノの最後の一口を吸い込んだ。ストローがずずっと鳴る。
右手が、チリッと痺れた。
「……また?」
「うん。たまに来る。すぐ消えるけど」
消えたはずのステータス画面の残響。新宿の後から、時々起きる。指先が痺れて、視界の端に半透明のウィンドウが一瞬だけ明滅する。数字は読めない。幻覚なのか、残留魔力なのか、健一にも分からない。
「気になるなら、ダイダロスさんに訊いてみようか。明後日、施設に面会予定だし」
「そうね。ついでにイカロスにおにぎり持っていくわ。あの子、ツナマヨが好きって言ってたし」
テレビの音が聞こえた。カフェのカウンター上のモニターで、ニュースが流れている。
『東京駅周辺で原因不明の地震が頻発しています。気象庁によると、震源は東京駅の地下約五十メートル付近で──』
莉奈はストローを咥えたまま、モニターを見た。東京駅。日本の鉄道の起点。渋谷でも新宿でもない、もう一つの巨大ターミナル。
「健一」
「見てる」
健一のメガネの奥で、目が細くなった。あの地下にいた時の目。分析する目。
「まさか、ね」
「うん。まさか、だと思う。──思いたい」
二人は顔を見合わせた。
二週間前のフラペチーノは「ちょうどいい」だった。
今日のフラペチーノも「ちょうどいい」はず。
なのに、最後の一口が、少しだけ苦く感じたのは、気のせいだろうか。




