第44話 甘くないフラペチーノと、隣を歩くダチたち
二週間後。
新宿のカフェ。テラス席。
テーブルの上にフラペチーノが七つ並んでいる。
キャラメル・マカダミア・クランチ・フラペチーノ。
全部、健一の奢り。
「財布が死んだ」
健一が無表情で呟いた。
莉奈が鼻で笑った。
「命の恩人割引で勘弁してあげてるんだから、感謝しなさいよ」
「勘弁って、七人分だよ? しかもグランデサイズ七つ」
「文句あんの」
「ないです」
金子がフラペチーノを両手で包みながら、にこにこ笑っていた。
右肩には湿布が貼ってあるが、もう痛みはないらしい。
大阪がアイスコーヒーに差し替えようとして、「せっかく奢ってもらったんやから飲み」と金子に返されていた。
和田は三口で飲み干して、二杯目を自分の財布で注文していた。
山岸がフラペチーノを一口飲んで、むせた。
「甘っ。すげぇ甘い。これ飲み物?」
小保内が「甘いですね」と微笑みながら、着実にストローを吸い続けていた。存在感が薄いが、飲むスピードは最速だった。
「で、イカロスとダイダロスさんは」
健一がスマホでニュースを確認した。
「政府が保護してる。言語の問題があるから専門家がついてて、ダイダロスさんの建築知識に各国の研究機関が群がってるらしい」
「あの爺さん、数千年前の天才やもんなぁ。学会とか大騒ぎちゃう」
和田が二杯目のホイップを先に食べながら言った。
莉奈はフラペチーノを一口飲んだ。
ストローから口を離して、少しだけ考えた。
渋谷で初めてこのフラペチーノを飲んだ放課後は、「甘すぎて喉が焼けた」。一人で、スマホの通知ゼロの画面を見ながら、誰にも聞かせるつもりのない舌打ちをした。
渋谷から生還し、健一と二人で飲んだ時は「不思議と美味しかった」。
今日は──
「甘くない」
「え?」
健一が聞き返した。
「甘くない。普通に美味しい。甘すぎるとも思わないし、美味しすぎるとも思わない。ちょうどいい」
莉奈は自分の右手を見た。シンプルなピンクのネイル。
「変わったのはフラペチーノじゃない。アタシの方だ」
金子がフラペチーノのストローを咥えたまま、にこにこ笑っていた。
「莉奈ちゃん、ええこと言うなぁ」
「ええこととかじゃなくて、ただの感想」
「ただの感想がええんよ」
大阪が「深いこと言うやんか」と呟いた。
和田は黙って三杯目を注文していた。
「お前の胃袋はブラックホールか」と山岸がツッコんだ。
「ねえ」
莉奈が七人を見回した。
「アンタたち、今日の後どうすんの」
「バイト」と山岸。
「仕事」と小保内。
「暇」と金子。
「暇やな」と和田。
「莉奈についてく」と大阪。
健一は「莉奈と同じで」と言って、莉奈に肘で突かれた。
「じゃあカラオケ行くわよ。全員」
「またカラオケ?」
「アタシの採点92点を超えるやつがいるか、勝負」
「うち歌うまいで! 89点やけど!」
「負けてるじゃん、金子」
「3点差くらい逆転できるって!」
「無理やって」と大阪。
「いや、金子ならワンチャン」と和田。
「俺は音痴だから辞退する」と山岸。
「私も」と小保内。
「ダメ。全員参加。命令」と莉奈。
七人がカフェを出て、新宿の街を歩き出した。
莉奈が先頭。金子が横に並ぶ。
「手ぇ繋いでええ?」
「ダメに決まってんでしょ」
「えー」
健一が半歩後ろ。
大阪と和田がその後ろで何か言い合っている。
山岸と小保内が最後尾で、穏やかに歩いている。
渋谷では一人だった。
渋谷の後、二人になった。カラオケで四人になった。
新宿の後は──七人。
金髪のショートヘアを春の風が揺らす。
シンプルなピンクのネイルに包まれた右手は、もう痺れていない。
雷は消えた。
ステータス画面も消えた。
でも、あの迷宮で結ばれたものは消えない。
莉奈はふと振り返った。
六人がついてきている。
全員、まだ傷の名残はある。
でも笑っている。
「何ぼーっとしてんの。早く来なさいよ」
「お前が振り返ったんやけどな」
和田のツッコミに、莉奈は鼻で笑って前を向いた。
* * *
三日後の深夜。
莉奈のスマホが震えた。健一からのメッセージ。
『莉奈。ダイダロスさんから連絡があった』
『何』
『新宿ダンジョンの接続は切れた。ミノタウロスは迷宮の中で無事に暮らしてる。でも──ミノス王の気配が、まだ残ってるらしい』
莉奈は窓の外を見た。東京の夜空。星はほとんど見えない。
東京駅の方角だけ──空が、紫に光った。
一瞬ではなかった。
二秒。
三秒。
ビルの隙間から見える夜空の一角が、あの壁画の削り跡と同じ色に染まっている。冷たい紫。
そして──右手の甲が、チリッと痺れた。消えたはずのステータス画面の残響。渋谷の時と同じ。新宿の時と同じ。
あの六体目の劣化コピーの赤い紋様。
金子のE地点だけを狙ったエムプーサ。
壁画を怒りながら焼き消した手。
──全部、同じ存在の気配。
紫の光が消えた。
夜空は元に戻った。右手の痺れも消えた。夢だったかのように。
でも、莉奈の背筋に走った冷たいものは、消えなかった。
『ミノス王って、あのクソ親父の中のクソ親父?』
『そう。ダイダロスに迷宮を作らせて、自分の息子を閉じ込めさせた張本人。ダイダロスさんが言ってたよね、「あの男は死なない。都合が悪くなれば場所も時代も捨てて逃げる」って』
莉奈は数秒間、天井を睨んだ。
『じゃあ、次はそのクソ親父をぶん殴りに行けばいいわけね』
『莉奈、もうちょっと慎重に──』
『慎重は健一の仕事っしょ。アタシの仕事は、立つこと』
送信して、スマホを枕元に放り投げた。
布団に潜り込む前に、ふと、母親の部屋の方を見た。
廊下の向こうから、微かに明かりが漏れている。
莉奈は布団から出て、廊下を歩いた。
母親の部屋のドアを二回ノックした。
「……莉奈? どうしたの、こんな時間に」
「別に。おやすみ、って言いに来ただけ」
母親が少しだけ驚いた顔をした。それから、ほんの少しだけ笑った。
「おやすみ、莉奈」
莉奈は自分の部屋に戻り、布団に潜り込んだ。
次の迷宮がどうのこうのは、
まあ──明日起きてから考えればいい。
第二章 新宿ダンジョン 了
『……で、まだいたわけ。
ま、ここまで付き合ったんなら、好きにすれば。
次は東京駅。……今さら、来るなとも言わないけど』
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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
第二章「新宿ダンジョン」は、これで終了です。
渋谷から始まった迷宮は、次の舞台――東京駅へ続きます。
第三章「東京駅ダンジョン」も、お付き合いいただければ嬉しいです。
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