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第42話 七つの光

 ダイダロスが、展望室の床に指先で設計図を描き始めた。


 魔力の光で浮かび上がる幾何学模様。


 コアからダンジョンの壁面に伸びる魔力の回路。


 現実世界と迷宮を繋ぐ「シンクロ接続点」の座標。


「接続点を七箇所同時に切断する。一つでも残れば、ダンジョンは自己修復する。全て同時でなければならない」


「七箇所。七人」


 偶然ではない。


 ダイダロスは最初から、この解法のために七人を招いた。


「各接続点に一人ずつ立ち、同時に魔力を注入する。スキルの種類は問わない」


「タイミングの同期は──和田」


 健一が和田を見た。


「カウントダウンの声を出して、その音が届く空間座標と、各メンバーの耳元の座標を【すり替え】れば、全員に同時に聞こえる」


 大阪が珍しく素直に褒めた。


「天才か」


 七人が散開する。この迷宮で初めて、一人一箇所。


 誰も助けに来られない距離。


 散開する直前、健一が莉奈の手を掴んだ。


「覚醒は使わないで」


「分かってるって」


 莉奈は健一の手を一瞬だけ強く握り返し、離した。


「終わったら、フラペチーノね。七人分。アンタの奢り」


「七人分!?」


「命の恩人割引。──行くわよ」


 七人が走り出した。


 莉奈は中央の接続点、コアに最も近い場所に立った。足元に魔力の幾何学模様が輝いている。EPが十分にある。覚醒は使わない。通常の雷で。


 和田の声が全員の耳元に届いた。


「十」


 健一はA地点で【解析】のウィンドウを展開していた。


 七つの接続点の同期状況を全てモニタリングしている。全員のスキル発動を、一秒の誤差なく合わせなければならない。


「九」


 山岸はB地点で壁に手を当てていた。


【探知】が迷宮全体の構造を把握している。接続が切れる瞬間、空間がどう歪むかを予測している。


「八」


 小保内はC地点で、自分自身に【バフ】をかけていた。


 普段は他者に使うスキルを、初めて自分に。微弱な魔力でも、接続点に注入する分には十分。


 だが、問題が起きた。接続点に手を当てた瞬間、小保内の【ハイディング】が反射的に発動した。気配が消える。存在が薄まる。接続点の幾何学模様が、小保内の魔力を認識できなくなった。光が消えかける。


「小保内さん、C地点の反応が消えかけてる!」


 健一がA地点から叫んだ。七つの接続点のうちC地点だけが明滅している。


 小保内は歯を食いしばった。【ハイディング】は新宿に来てから常時発動。意識しないと解除できない。今まではそれが武器だった。でも今は──消えてはいけない。


 小保内は生まれて初めて、自分の存在を「見せよう」とした。隠すのではなく、さらけ出す。バフの魔力を自分の内側に向けて、接続点に「ここにいる」と叫ぶように流し込んだ。


 C地点の光が、戻った。


「C地点──回復!」


「……はい。もう大丈夫です」


 額に汗が浮かんでいた。存在を消すことに慣れた人間が、存在を示す。それは彼女にとって、鎖を砕くより難しいことだった。


「七」


 大阪はD地点で目を閉じていた。


 【看破】は視覚のスキルだ。だが今は、目を閉じて、迷宮の「嘘」を読んでいた。接続点が本物かどうか。ダイダロスの設計図通りかどうか。──本物だ。嘘はない。


「六──五」


 健一のA地点で、もう一つ異常が出た。【解析】のモニタリングで、山岸のB地点だけ同期タイミングが〇・三秒ずれている。


「山岸さん、B地点の位相が〇・三秒遅れてる。カウントダウンのゼロでずれたら失敗する」


「どうすればいい」


「和田くん、B地点だけカウントダウンの音を〇・三秒早く届けられる?」


和田が一瞬考えた。音の座標をすり替えるだけでなく、時間差をつける。やったことがない。


「やる」


 和田の【すり替え】が、B地点への音だけを微修正した。山岸の耳には「ゼロ」が〇・三秒早く届く。それで同期が揃う──はずだ。


 金子はE地点に立っていた。右肩がまだ痛む。でも、立っている。もし敵が来たら、自分が引きつける。それがうちの仕事や。


「四──三──」


 金子のE地点に、異変が起きた。


 壁面からエムプーサが三体、同時に実体化した。


 だが、おかしい。迷宮の自動防衛なら、七箇所の接続点に均等に妨害が入るはずだ。なのに──金子のE地点だけ。七人の中で最も負傷している一人を、ピンポイントで。


 まるで、七人を見ている誰かが、最も脆い場所を狙ったかのように。


 壁画の削り跡に染みていた、あの冷たい悪意と同じ気配がした。黒い触手が金子に向かって伸びる。


「金子、後ろ!」


 和田がカウントダウンを続けながら叫んだ。


 金子は振り返った。三体のエムプーサが、触手を伸ばしている。


 逃げれば、接続点から手が離れる。


 同時切断が失敗する。


 金子は逃げなかった。


「──うち、まだ終わってへんで!」


【道化】を発動した。三体のヘイトが金子に集中する。触手が殺到する。金子は右肩の痛みを無視して、両手を大きく振った。


「こっちこっち! こっち見て!」


 笑顔で。いつもの笑顔で。


「二──」


 和田が動いた。声でカウントダウンを続けながら、右手を上げた。


 金子の身体と、十メートル離れた安全な空間の座標を──【すり替え】た。


 金子がE地点から消えた。十メートル離れた通路に出現した。同時に、エムプーサの触手は虚空を叩いた。


 だが、接続点から手が離れた。


「金子──!」


 莉奈が叫んだ。


 金子は通路に着地した瞬間、全速力で走った。


 E地点に向かって。右肩が悲鳴を上げている。エムプーサの触手が追いかけてくる。


 間に合わない。普通なら間に合わない。


 だが金子は【道化】のスキルで培った、一つの能力を持っていた。敵の注意を引くために、常に動き続ける能力。


 フェイント、ステップ、方向転換。


 梅田のダンジョンで何百回と繰り返した、「殴られない位置取り」。


 三体の触手を搔い潜り、滑り込むようにして、接続点に手を叩きつけた。


「──一!」


 和田の声。


「──ゼロ!」


 七つの光が、同時に迷宮を貫いた。


 莉奈の雷が中央の接続を焼き切った。金色の閃光が石造りの壁面を照らし出す。


 健一の【解析】が七つの接続点の同期を確認した。誤差ゼロ。


 山岸の【探知】が空間の歪みの変化を検出した。接続が、切れていく。


 小保内の【バフ】が自分自身を通じて魔力を接続点に流し込んだ。静かに、確実に。


 大阪の【看破】が「接続切断──成功」のパターンを読み取った。


 和田の【すり替え】が音と座標を操りながら、最後の同期を揃えた。


 金子の【道化】が、迷宮の最後の抵抗を一身に引きつけた。


 七つのスキルが、七つの回路を、一秒の誤差もなく同時に断ち切った。


 迷宮が、揺れた。


 天井から埃が降り、壁面の松明が一斉に消えた。石造りの壁に亀裂が走る。


「全員、脱出! 三十秒で迷宮が閉じる!」


 健一が叫んだ。七人がそれぞれの場所から出口に向かって走り出す。


 ダイダロスがイカロスの手を引いて走った。老人の足は遅い。だがイカロスが支えている。落ちていく息子を掴めなかった父の手が、今度は息子に支えられている。


 最深部では、ミノタウロスが座ったまま、崩れていく天井を見上げていた。鎖はもうない。自由な身体で、初めて──空を見上げている。天井の亀裂から、夜空が覗いていた。星が見えた。


 迷宮の接続が切れても、ミノタウロスは消えない。


 コアは破壊されていない。ただ、現実世界とのリンクが切れるだけだ。ミノタウロスは迷宮の中に残る。でも、鎖はない。自由に歩ける迷宮。牢獄ではなく、住処として。


 莉奈は走りながら、一瞬だけ振り返った。


 ミノタウロスの赤い目と、目が合った。


 距離があるのに、はっきりと見えた。


 怯えは、もうなかった。


 穏やかな光だった。


「──またね」


 莉奈の呟きは、崩落の音にかき消された。


 でも、ミノタウロスの耳には──届いたかもしれない。


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