第4話 変貌するシブヤと、ナビゲーターの真価
路地裏を抜け、センター街のメインストリートに出た二人は、言葉を失った。
ほんの三十分前まで、若者たちの熱気と喧騒に包まれていた街は、まるで別の何かへと変貌していた。アスファルトは無惨にひび割れ、そこかしこから赤紫色の水晶の結晶が、鋭い牙のように突き出している。ファストフード店のガラスは粉々に砕け散り、横転した配送トラックからは黒煙が上がっていた。
そして何より異様なのは、空を覆う紫色のドームと、街を闊歩する異形の怪物たちだ。
「……マジで、映画のセットみたい」
莉奈は得物を肩に担ぎながら、忌々しそうに呟いた。
現実感が湧かない。だが、鼻をつく硝煙と血の匂い、そして足元に転がる誰かの落としたスマートフォンが、これが紛れもない現実であることを冷酷に突きつけてくる。
「莉奈、ストップ。壁際に寄って」
背後から、健一の鋭い声が飛んだ。
莉奈は反射的にカラオケ館の看板の陰に身を隠す。
「何よ。急に大声出さないでよ」
「大声じゃないよ。前方、約三十メートル先の交差点。ひしゃげた軽自動車の陰に、さっきの猪型が四匹いる」
健一は、空中に浮かぶ自分にしか見えないマップを睨みつけながら言った。
「僕の【解析】によると、あいつらの視覚はそこまで良くない。でも聴覚と嗅覚は人間より上だ。まっすぐ進めば確実に見つかる。右の細い路地を通って迂回すれば、戦闘を避けられるはずだ」
「……」
莉奈は看板の隙間からそっと覗き込んだ。確かに、健一の言う通り、軽自動車の向こう側に赤茶色の剛毛に覆われた醜悪な獣が四匹、鼻を地面に擦りつけながらうごめいている。
(本当に見えてるんだ。こいつのスキル)
莉奈は内心で舌を巻いた。戦闘能力ゼロの足手まといだと思っていたが、この索敵能力は予想以上に厄介な状況を覆すカードになる。
「迂回なんて面倒くさい。アタシが突っ込んで、パパッと片付ければ済む話っしょ」
「駄目だ!」
健一が珍しく強い口調で止めた。
「まだ僕らはこのダンジョンのルールを把握しきれてない。無駄な戦闘は避けるべきだ。それに、莉奈のスキルだって無限には使えないだろ?」
「……」
痛いところを突かれた。
莉奈は、視界の端に浮かぶ自分のステータス画面をチラリと見た。
『MP:15/30』
さっき猪の化け物三匹を倒すために【雷纏】を使っただけで、視界の端に浮かぶゲージみたいなやつが半分に減っている。’MP’とかいう表示がされているが、何の略かなんて知らない。とにかく、雷を出すたびにこの数字がゴリゴリ削れていくのは分かった。これがゼロになったとき、自分がどうなるのか。試してみる勇気はなかった。
「……あーもう、わかったわよ。アンタのナビ通りに動けばいいんでしょ」
莉奈は不満げに唇を尖らせながら、右の路地へと歩き出した。健一がホッと息をついて、その後を追う。
「でもさ」
路地を進みながら、莉奈は前を向いたまま言った。
「逃げてばっかじゃ、いつかジリ貧になる。どこかで戦わないといけないなら、アタシが安全に戦えるようにアシストしなさいよね」
「……うん、分かってる。敵の数が少なくて、莉奈に有利な地形のときは、僕が合図を出すよ」
それから数十分の間、二人は崩壊した渋谷の街を慎重に進んだ。健一の【解析】スキルによるナビゲーションは、思いのほか的確だった。モンスターの群れを事前に察知して迂回し、やむを得ない場合は、はぐれた単体の猪型だけを狙って莉奈が奇襲をかける。
得物が猪の頭蓋を捉えた瞬間、莉奈の手首から肘にかけて、氷水を流し込まれたような痺れが駆け抜けた。雷が体内から獲物へ移る感覚は、毎回少しずつ違う。今回は、甘い。指先まで熱が抜けて、呼吸がひとつ楽になった。猪は言葉もなく光に溶けた。
莉奈は得物を振り抜き、ふう、と短く息を吐く。
「これで……五匹目、ね」
「お疲れ、莉奈。怪我はない?」
「あるわけないっしょ。こんなザコ相手に」
強気に言い返しながらも、莉奈は密かに呼吸を整えていた。身体中が熱い。スキルの発動自体は意識するだけで簡単にできるが、雷を纏うたびに、体内の『何か』がごっそりと削り取られていくような疲労感がある。
ステータス画面を確認する。
『MP:10/30』
(……まだ三分の一ある。いけるっしょ)
莉奈は、じんわりと額に浮いた汗を手の甲で拭った。得物を肩に担ぎ直す腕に、微かな痺れが走っていることには気づかないふりをした。
「よし、このまま地下鉄の駅まで直行するわよ」
莉奈が前を向いて歩き出そうとした、その時。
「待って、莉奈……!」
健一の声が、これまでになく緊迫していた。彼の視線は、虚空のマップに釘付けになっている。黒縁メガネの奥の瞳が、恐怖で細く収縮していた。
「どうしたのよ」
「……マズい。前方のスクランブル交差点、反応の数が、おかしい。それに、サイズも猪とは比較にならない」
健一の震える指先が指し示した先。ビルの隙間から見える、渋谷の象徴とも言えるスクランブル交差点。
そこは、これまでの単調なサバイバルをあざ笑うかのような、
絶望的な『壁』と化していた。




