第5話 スクランブル交差点の絶望と、青銅の巨人
「……嘘でしょ。何あれ」
ビルの物陰からそっと顔を出した莉奈は、思わず息を呑んだ。
渋谷の象徴とも言えるスクランブル交差点。いつもなら、青信号と共に幾千もの人々が行き交うその広大な交差点は、今やすっかり怪物たちの『領土』と化していた。
ひしゃげて折れ曲がった信号機。横転し、真っ黒な炎と煙を上げている路線バス。アスファルトには深いクレーターが穿たれ、そこから赤紫色の水晶が鋭い牙のように天を突いている。だが、そんな崩壊した街並みすら些末な問題に思えるほど、そこに陣取っている怪物たちの異様さは群を抜いていた。
「……【解析】に名前が出てる。タロス、ギリシャ神話の青銅の巨人だ」
背後から覗き込んでいた健一が、震える声で呟いた。
「何それ、デカブツの名前?」
「クレタ島を守ってた自動人形……みたいなやつ。でも、現実に見ると、デカすぎる」
健一の言う通りだった。身長は優に二メートル半を超え、丸太のように太い腕と、樽のように分厚い胴体を持っている。だが、肌は肉ではなく青銅色の金属質で覆われ、顔には表情がない。鋳造された面のような無機質な造形。関節部の隙間から、微かに赤い光が脈打つように漏れていた。武器は持っていない。この巨体と拳そのものが武器なのだろう。
そんな規格外のバケモノが、スクランブル交差点を我が物顔で徘徊しているのだ。その数、ざっと見積もっても二十体はいる。
「猪のパイアなんかとは、格が違う。僕の【解析】でも、ステータスの差は歴然だ。HPはパイアの五倍以上、筋力に至っては……」
健一はそこで言葉を切った。言われなくても、見ればわかる。横転したバスの脇を通り抜けようとした一体のタロスが、邪魔だとばかりにバスの車体を軽く蹴り飛ばしたのだ。数トンの鉄の塊が、嫌な金属音を立てて数メートルも横滑りした。
「……マジかよ」
莉奈は無意識に、手に持っていた得物を強く握りしめていた。あんな一撃をまともに食らえば、人間なんてミンチになる。
「莉奈、地下鉄の入り口を見て」
健一に促され、莉奈は交差点の向こう側へと視線を向けた。ハチ公前広場のすぐ横にある、地下へ続く階段。そこが、二人が目指していた当面の目的地だった。
「びっしり塞がれてるじゃん……」
地下への入り口の周囲には、特にタロスが密集していた。まるで、その先にある『何か』を守っているかのように。
「地下はモンスターの反応が少ないんだ。多分、あそこを抜ければ少しは安全な場所……あるいは、このダンジョンをクリアするための手がかりがあるはずなんだけど」
健一は唇を噛み、悔しそうに拳を握りしめた。
「でも、今の僕らじゃ無理だ。見つかれば一瞬ですり潰される。迂回して別の入り口を探そう」
健一が踵を返そうとした、その時。
「待ってよ」
莉奈は、健一の腕をガシッと掴んで引き留めた。
「迂回するって、どこに? スマホのマップも使えないのに、この瓦礫だらけの街で他の入り口を探すの? その間に別のバケモノに見つかったらどうすんの」
「それは……僕の【解析】でなんとか、」
「なんとか、じゃないでしょ」
莉奈は焦っていた。
強がっているが、彼女の精神もとっくに限界に近かった。早くこのイカれた空間から抜け出したい。早く安全な場所に行きたい。目の前の障害をさっさと排除して、終わりにしてしまいたい。
「アタシが突っ込んで蹴散らす。それで終わりっしょ」
莉奈は鉄パイプを肩に担ぎ直し、額に張りついた前髪を息で吹き飛ばした。その右手には、乾いた放電音と共に黄金色の火花が散り始めている。
「駄目だ!!」
健一が、莉奈の肩を強い力で掴んで引き戻した。普段の気弱な彼からは想像もつかないほどの強い力だった。
「っ、何すんのよ!」
「莉奈こそ冷静になって! タロス二十体だよ!? いくら莉奈のスキルが強力でも、全部倒し切る前に囲まれて終わる!」
「やってみなきゃ分かんないでしょ! アタシの【雷纏】なら、あんなデカブツども一撃で──」
「じゃあ、MPはどうなんだよ!!」
健一の怒鳴り声に、莉奈はハッとして言葉を詰まらせた。
「……さっきから、莉奈の呼吸が荒くなってるの、自分でも気づいてるだろ」
健一は悲痛な顔で、莉奈を真っ直ぐに見つめた。
「スキルの使いすぎだ。僕の画面からでも、莉奈のMPバーが残り三分の一を切ってるのが見える。ここでガス欠になったら……莉奈は、ただの女の子に戻っちゃうんだよ」
図星だった。
莉奈は視界の端のステータス画面を睨みつける。
『MP:10/30』
たったこれだけの残量で、あの規格外のバケモノ二十体を相手に立ち回れるのか。もし、途中で力が抜けたら? 得物から雷が消えたら? 自分は、あの青銅のバケモノに生きたまま踏み潰されるのだ。
「っ」
恐怖が、遅れて莉奈の背筋を駆け上がった。自分がどれだけ無謀なことをしようとしていたのか。その事実を、戦闘能力ゼロの幼馴染に突きつけられたことが、何よりも屈辱だった。
「……じゃあ、どうすんのよ」
莉奈は、掠れた声を隠すために、わざと荒々しく舌打ちをした。
得物の火花が消え、路地裏に再び重苦しい沈黙が落ちる。
「一つだけ、手がある」
健一は、ひび割れたアスファルトを見つめながら、静かに、しかしはっきりとした声で言った。
その顔には、何かを決意したような、悲壮な色が浮かんでいた。




