第38話 鎖を断つ
五本の鎖。右腕、左腕、右脚、左脚、首。
莉奈は鎖の一本に手を触れた。冷たい金属。表面に細かい紋様が刻まれている。
「素材は?」
大阪が目を凝らした。
「魔力で強化された合金。表面の紋様は封印術式みたいなもんやと思う。普通の物理攻撃じゃ傷もつかん」
「和田の【すり替え】で鎖と空気を入れ替えたら?」
金子が提案した。和田が首を振った。
「質量差が大きすぎる。鎖一本で自分の体重の十倍以上。制約に引っかかる」
「じゃあ、力ずくで砕くしかない。でもEPが枯渇してる今、莉奈の雷の威力は──」
健一が言いかけた時、小保内が一歩前に出た。
「山岸さんに【バフ】をかけて【探知】の精度を上げたら、鎖の構造の弱い箇所が見えるかもしれません。それと、莉奈さんにも【バフ】を使えば、打撃力が上がります」
小保内が山岸の背中に手を当てた。【バフ】が流れ込む。山岸の【探知】の解像度が一段階上がり、鎖の分子構造まで見えるようになった。
「あった。各鎖の接合部に、組成が微妙に違う箇所がある。ここだけ硬度が低い」
山岸が、最初の鎖、右腕の拘束の弱点を示した。
「三番目の環、上側の接合部。ここを叩け」
小保内が莉奈の肩に手を当てた。温かい力が全身に流れ込む。
一本目。右腕。
莉奈は雷を纏ったポールを、山岸が示した一点に叩き込んだ。金属の悲鳴のような甲高い音。鎖の環が砕け、右腕が自由になった。
ミノタウロスが、自由になった右腕を、不思議そうに見つめた。何千年ぶりに動かせる腕。指を開いて、閉じて、また開いて。子供が自分の手を発見した時のような動き。
二本目。左腕。
山岸が弱点を示し、小保内がバフをかけ、莉奈が叩く。環が砕ける。左腕が自由になった。
ミノタウロスが両腕を持ち上げた。戦斧には手を伸ばさなかった。ただ、腕を上げて、下ろして。自分の身体が動くことを確かめている。
三本目。右脚。
莉奈のMPが『12/35』まで落ちた。覚醒を使えば一撃で全部砕ける。でも使わない。通常の雷で、一本ずつ。
「莉奈ちゃん、大丈夫?」
金子が心配そうに声をかけた。
「平気。──あと二本」
四本目。左脚。
叩いた瞬間、鎖の破片が跳ねて莉奈の頬を掠めた。細い赤い線が一筋、金髪の下に走る。健一が「莉奈!」と叫んだが、莉奈は振り返らなかった。
「かすり傷」
MP『5/35』。腕が重い。ポールを握る指が痺れている。小保内の【バフ】がなければ、もう振れなかっただろう。
五本目。首の鎖。
最後の一本は、他の四本より太かった。環の一つ一つが莉奈の腕より太い。弱点の位置も深い。
「山岸、場所は」
「五番目の環、内側の接合部。角度的に、真下から叩き上げないと届かない」
莉奈はミノタウロスの首の真下に潜り込んだ。十メートルの巨体の真下。鎖に繋がれているとはいえ、首が動けばこの距離では避けられない。
「莉奈ちゃん、危ない──」
「大丈夫。こいつは暴れない」
莉奈はミノタウロスの顎の下から、赤い目を見上げた。怯えは消えていた。代わりに、莉奈を見つめている。自分の鎖を壊そうとしている人間を。
(信じてるんだ。アタシのこと)
小保内が莉奈の背中に手を当てた。最後の【バフ】。
「いくわよ」
莉奈は、ポールを真上に突き上げた。残りMP『1/35』の、最後の雷が、首の鎖の弱点を貫いた。
金属の断末魔。五本全ての鎖が床に落ち、重い音が石造りの広間に反響した。
ミノタウロスは──立ち上がらなかった。
鎖がなくなった身体を、ゆっくりと動かした。
首を回した。腕を伸ばした。脚を曲げた。
何千年ぶりの、拘束のない身体。立ち上がれば天井に届くほどの巨体。
七人を全滅させられる力。
だが、座ったまま、莉奈を見下ろした。赤い目に、もう怯えの色はなかった。名前のつけられない、静かな光。
莉奈はミノタウロスの額をポンと叩いた。渋谷で健一の頭を叩いたのと、同じ力加減で。
「よし。もう大丈夫。──アンタは自由だよ」
ミノタウロスの喉の奥から、低い振動音が漏れた。穏やかな音。さっきの鳴き声より、もっと小さい。もっと温かい。
イカロスが涙を流した。
「ありがとう。ありがとう」
金子はまだ泣いていた。
大阪が金子のハンカチで自分の目を拭い、金子が「それうちのやねんけど」と言い、大阪が「おあいこや」と返した。
莉奈のEPバーは──減っていなかった。鎖を砕く間ずっと、莉奈を動かしていた感情は、怒りでも悲しみでもなかった。
「救いたい」
それもまた、Emotionだ。
莉奈はポールを拾い、天井を見上げた。
「次はダイダロス。イカロスの親父を探すよ!」




