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イグザム迷宮  作者: シグワン
第一章 渋谷
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24/41

第24話 甘すぎるフラペチーノと、隣を歩くダチ

 渋谷ダンジョン化現象。


 後にニュースでそう名付けられた未曾有の災害から、一週間が経過していた。


 渋谷の中心部は自衛隊によって封鎖され、復旧作業が続いている。だがステータス画面もモンスターも、莉奈の右手に宿った青白い雷光も、コアの破壊と共に跡形もなく消えた。


 不思議なのは、莉奈がそれを寂しいと感じたことだった。HPやMPの数字よりも、『パーティーメンバー:高橋健一』と書かれた一行が消えたことのほうが、ほんの少しだけ胸に響いた。


「遅い」


 新宿駅の東口広場。


 莉奈は、スマホで時間を確認しながら、小さくため息をついた。休日の喧騒の中、彼女はいつものように短くしたタータンチェックのプリーツスカートに、ルーズソックスを履き、金髪のショートヘアを春の風に揺らしていた。


 だが、以前と違うところが一つだけある。いつもなら三時間かけてギラギラにデコレーションしているはずのネイルが、今日はシンプルな薄いピンク色の単色塗りだった。


「ごめん、莉奈! 待たせた!」


 人混みを縫って、息を切らした健一が走ってきた。相変わらず地味な私服に、新しいものに買い替えた黒縁メガネ。そしてその額には、莉奈が押し付けたウサギの絆創膏が、まだしっかりと貼られていた。


「五分の遅刻。命の恩人を待たせるとか、マジでいい度胸してんじゃん」


「ご、ごめん。乗り換えに手間取っちゃって……。傷の調子はどう?」


「とっくに塞がったわよ。若さ舐めないで」


 莉奈はカーディガンの襟を少しだけ直した。あの青白い稲妻の代償は、三日ほど寝込んだら嘘のように消えていた。


「ほら、さっさと行くわよ。アタシ、喉カラカラなんだけど」


 莉奈が顎で促した先に、あの日と同じ期間限定メニューの看板が出ていた。


 十五分後。


 テラス席のテーブルに、グランデサイズの『キャラメル・マカダミア・クランチ・フラペチーノ』が二つ並んでいる。


 健一の財布から、なけなしの小遣いが飛んでいった結果だ。


 莉奈はストローを咥え、思い切り吸い込んだ。


「……甘っ」


「だから言ったじゃないか、莉奈には甘すぎるって。普通のコーヒーにすればよかったのに」


 健一が苦笑いしながら自分のフラペチーノに口をつける。


「バカじゃないの。あの極限状態の中で『絶対にあれを奢らせてやる』って執念だけで生き残ったんだから、これを飲まないとアタシのダンジョンは終わんないのよ」


 莉奈は文句を言いながらも、もう一口、甘すぎる冷たい液体を喉に流し込んだ。喉が焼けるような暴力的な糖度。


 でも、不思議と以前の放課後よりは、美味しく感じられた。


「なんか、夢みたいだね」


 健一が、ふと真面目なトーンで呟いた。


「あんな映画みたいなバケモノと戦って、生き残って。こうしてまた、莉奈と一緒にフラペチーノを飲んでるなんて」


 ──また。


 その一言に、莉奈の指先が一瞬だけ止まった。


 父が出ていく夜、玄関で振り返って言った最後の言葉。「またな」あの「また」は嘘だった。二度と帰ってこなかった。


 でも──健一の「また」は嘘じゃなかった。

 本当に、また会えた。こうしてフラペチーノを飲んでいる。


 一瞬の硬直は、すぐに溶けた。


「アンタが勝手に『一緒にフラペチーノ飲む』なんて死亡フラグみたいなこと言うからでしょ! アタシの力がなかったら、今頃二人ともあの牛の胃袋の中だったわよ」


「ははっ、違いない。莉奈には、敵わないよ」


 健一は、本当に嬉しそうに目を細めた。


 その顔を見て、莉奈はストローから口を離し、ふいっとそっぽを向いた。


「変に勘違いしないでよね」


「え?」


「アタシ一人じゃ、絶対に無理だった。アンタの『目』がなかったら、アタシは途中の罠で死んでたか、あの牛のバケモノに押し負けてた」


 莉奈は、シンプルなピンク色のネイルを見つめながら、言葉を探していた。言いたいことは山ほどある。


 でも、莉奈はあの暗闇の中で学んだのだ。

 大事なことほど、言葉にすると嘘くさくなる。


 だから莉奈は、テーブルの上に置いた自分の右手を、少しだけ健一のほうへ滑らせた。あの地下で、転移トラップに飲まれる瞬間に『避けた』手。


 そして、地上への階段で『差し出した』手。


 今は、テーブルの真ん中で、何でもないふりをして止まっている。


「ありがとね、健一」


 最後の方は、街の喧騒に消え入りそうなほど小さな声だった。


 だが、健一にはしっかりと届いていた。彼は少しだけ目を見張った後、顔を真っ赤にして、慌ててフラペチーノをストローでかき混ぜ始めた。


「ぼ、僕の方こそ! 莉奈がいなきゃ、路地裏のパイアのところで終わってたし! その……お互い様、だね!」


「そうね。おあいこ」


 莉奈はふっと吹き出し、口角を上げた。


「でも、今回のフラペチーノの代金で、アンタの借金はチャラにしてあげる。優しいっしょ、アタシ」


「えっ、命の恩人の借金ってフラペチーノ一杯でチャラになるの!?」


「文句あんの」


「ないです、はい」


 情けない声を出して笑う幼馴染を見て、莉奈もまた、心からの笑みをこぼした。


 莉奈はふと、自分のネイルを見た。


 シンプルな薄いピンク。ギラギラのスカル柄じゃない。三時間かけてデコる必要がなくなったのは、いつからだろう。


 答えは分かっている。分かっているけど、口には出さない。


「さ、飲み終わったら行くわよ。次はカラオケね。もちろんアンタの奢り」


「ええっ!? 借金チャラになったんじゃないの!?」


「それはそれ、これはこれ。アタシの歌をタダで聴けると思わないことね」


 莉奈は立ち上がり、空になったプラスチックのカップをゴミ箱に放り投げた。カフェの出口に向かおうとした、その時。


「──お嬢ちゃん!」


 聞き覚えのある声に振り返ると、交差点の向こう側から、金属バットは持っていない青年が手を振っていた。山岸。隣には、いつも通り存在感の薄いパンツスーツの女性。小保内。


「アンタたち、なんでここに」


「バイトの帰り。この辺で新しく始めたんだ、居酒屋の」


 山岸は、あの地下で莉奈を庇って負傷した左肩を、ぐるぐる回してみせた。傷跡はもう見えない。


「肩、治ったんだ」


「おかげさまで。ダンジョンの傷は、ダンジョンが消えたら勝手に治るみたいだな。便利っちゃ便利だけど、なんか釈然としない」


 山岸は笑った。


 あの地下で「同僚が転んだのに振り返れなかった」と静かに語った男が、太陽の下で屈託なく笑っている。日常に戻った人間の顔だ。


「小保内さんも元気そうですね」


 健一が声をかけると、小保内はいつもの控えめな笑顔で頷いた。


「はい。職場に戻りました」


「先輩、職場で『あの日どこにいたの』って聞かれて困ってたよな」


「『地下にいました』って答えたら、みんな納得してくれました。嘘じゃないですし」


 小保内が小さく笑う。「地下にいた」嘘ではない。ただし、その地下でモンスターに完全に無視される透明人間をやっていたことは、誰にも言えない。


 莉奈は二人の顔を見ながら、不思議な気持ちになった。


 たった四百メートルを一緒に歩いただけの青年と、名前しか知らなかった会社員。あの数時間がなければ、すれ違っても気づかなかった二人。


 それが今、休日の新宿で偶然会って、普通に話している。


「ねえ、アンタたちもカラオケ来る?  健一の奢りだけど」


「えっ、僕の奢りが拡大してる!?」


「命の恩人割引で、四人分くらい余裕っしょ」


「余裕なわけないでしょ!」


 山岸が腹を抱えて笑った。


「いいのか? お嬢ちゃんの歌、聴いてみたいな」


「聴くだけじゃなくて採点もしなさいよ。九十二点出すから」


「ハードル高いな。じゃあ先輩が歌ってくれ」


「私、人前で歌うのは……」


「スキルで気配消しながら歌えばいいんじゃないですか?」


 健一の冗談に、四人が同時に吹き出した。


 四人でカラオケ店に向かう。


 莉奈が先頭、健一が半歩後ろ、山岸と小保内がその後ろ。渋谷の地下では莉奈が前衛で健一が後方ナビだった。今は、ただの高校生と青年と会社員の四人組。


 武器もスキルもない、普通の休日。


 莉奈はふと、振り返った。三人がついてきている。


 二人だった世界が、四人になった。うるさくなった。でも──


「何ぼーっとしてんの。早く来なさいよ」


「お嬢ちゃんが振り返ったんだろうが」


 山岸のツッコミに、莉奈は鼻で笑って前を向いた。


 春のぬるい風が、金髪のショートヘアを揺らす。


 神崎(かんざき)莉奈(りな)の憂鬱は、オレンジ色の夕焼け空の向こうへと、完全に溶けて消えていった。


* * *


 二日後。


 莉奈は自分の部屋のベッドに寝転がり、天井を見つめていた。テレビでは連日、渋谷のダンジョン化現象の特集がいまだに流れている。


 莉奈はリモコンでテレビを消した。


 学校も再開した。友達は相変わらず甲高い声で笑っている。ネイルを塗り直す時間も、カラオケも、全部元通り。


 ただ一つだけ、変わったことがある。スマホの連絡先に「高橋健一」の名前が追加されていた。昨日、健一から「無事?」とメッセージが来て、莉奈は「当たり前っしょ」と返した。


 それだけの、何でもないやりとり。でも、それがあるのとないのとでは、天井の色がほんの少しだけ違って見えた。


 ニュースによれば、地下に取り残された生存者は全員救助されたという。


 渋谷の地下街で見つかった人々も、全員。


 あの時、健一がバリケードに置いていった水が役に立ったかどうかは分からない。でも、あの三人が地上まで戻ってきた。それだけで十分だった。


「平和だなぁ」


 莉奈が目を閉じかけた、その時だった。


 右手の甲が、チリッと痺れた。


「……え?」


 莉奈は跳ね起きた。


 消えたはずのステータス画面が、右手の上で淡く明滅している。


 そこには、見覚えのない一行が表示されていた。


EXAM(イグザム)選別:渋谷──合格。次の迷宮への参加資格が付与されました』


「イグザム……。試験、って意味じゃん。あの迷宮、最初から『試験』だったってこと?」


 莉奈の背筋を、冷たいものが駆け上がった。


 あのダンジョンが地獄のような試練だったのは間違いない。でも、誰かがそれを「出題」していたのだとしたら──採点していたのは、誰だ。


 同時に、スマホが震えた。


 健一からのメッセージ。たった一言。


『莉奈、右手見て』


 右手の甲が、再び微かに痺れる。莉奈はそれを、左手で包むようにして押さえた。


 スマホが震えた。健一からの二通目。


『明日、新宿のカラオケ空いてるかな。この前の借り、まだ返しきれていないし』


 莉奈は、右手のステータス表示と、健一のメッセージを交互に見た。


 数秒間、天井を睨んでから、指を動かした。


『あー、明日ね。いいけど、13時ね。遅刻したらぶっ飛ばす』


 送信してから、莉奈はスマホを枕元に放り投げて、布団に潜り込んだ。


 とりま、


 次の迷宮がどうのこうのは、


 まあ、


 カラオケの後で考えればいい。


第一章 渋谷ダンジョン 了

『……で、なに。まだいたわけ。


 ま、ここまで付き合ったんなら、

 ブックマークくらい置いてけば。


 次は新宿。……別に、来いとは言ってないから』


────────────


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

第二章「新宿」へ続きます。


ブックマークやリアクション等が、見える形で残ると、

励みになりますのでよろしくお願いします。


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