↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イグザム迷宮  作者: シグワン
第一章 渋谷
PR
18/39

第18話 一人じゃない理由と、反逆の狼煙

 スローモーションのように、規格外の戦斧が天高く振り上げられる。


 莉奈は、冷たいコンクリートの床にへたり込んだまま、その絶望的な光景を見上げていた。すぐ横には、額から血を流し、ピクリとも動かなくなった健一が倒れている。彼の眼鏡は衝撃でひし形に歪み、レンズには無惨なヒビが入っていた。


『──ブモォォォォォォッ!!』


 ミノタウロスが勝利を確信したような咆哮を上げる。その凶悪な声が地下空間に反響し、莉奈の鼓膜を容赦なく揺さぶった。


(……ああ、終わるんだ)


 莉奈の頭の片隅で、ひどく冷めた思考が囁いた。


 MPは枯渇し、全身の骨が軋むように痛い。立ち上がる力すら残っていない。強がって、虚勢を張って、誰も頼らずに一人で生きていけると思っていた。でも、現実はこれだ。


 自分の無力さと慢心が、ただ一人、自分を一度も裏切らなかった幼馴染を巻き添えにしてしまった。


 ──ぽたっ。


 莉奈の頬に、温かい液体が落ちた。見上げると、それはミノタウロスの戦斧から滴り落ちた、先ほどまで彼が屠ってきたであろうモンスターたちの赤黒い血だった。


 血の匂いが鼻を突いた瞬間。莉奈の脳裏に、健一が【光の盾(イージス)】を展開し、自分を庇って前に立ち塞がったあの背中がフラッシュバックした。


『まだ歩ける?』


 暗闇の縦穴で、莉奈がくれたたった一言。怒りでも優しさでもない、ただ真っ直ぐな問いかけ。運動神経ゼロで、ビビリで、泣き虫で。小学生の頃から、いつも少し後ろを歩いていた地味なオタク男子。それなのに、彼は今日、一番怖い場面で莉奈の『前』に立ち、その身を盾にしてくれたのだ。


「っ」


 莉奈の視界が、急にぐにゃりと歪んだ。


 涙だった。


 思い出したのは、父親が出て行った夜ではなかった。中二の冬、クラスで唯一話しかけてくれた女の子に「アタシに構わないで。迷惑なの」と吐き捨てた放課後だ。あの子の傷ついた顔を、莉奈は今でも覚えている。


 自分が傷つきたくないから、先に相手を突き放した。今、自分は同じことを、この暗闇の中で繰り返そうとしていないか。


(……なんでよ)


 莉奈は、震える手で健一の学生服をギュッと握りしめた。


(なんで、アンタみたいなバカが、アタシのために死にそうになってんのよ)


(……アタシは、一人が怖かったんじゃない。こいつがいない世界が、嫌なんだ)


 それは拒絶ではなく、選択だった。


 誰かに裏切られるのが怖いから離れないのではない。この不器用な幼馴染と一緒にいたいから、ここに立つ。


 理不尽だ。


 このダンジョンも、あのバケモノも。

 そして何より、自分勝手に一人で諦めようとしている自分自身が、

 一番許せなかった。


『警告:魔力が完全に枯渇しました。これ以上のスキルの使用は、生命力を著しく削──』


 脳内で鳴り響くシステム音声を、莉奈は「うるさい」と一蹴した。


 生命力が削れる? だから何だ。

 ここで立ち上がらなければ、自分は一生、自分自身を許せない。


 ギリッ、と奥歯を噛み締める。


 莉奈は、震える指先で、床に転がっていた鉄パイプを再び握りしめた。

 重い。ただの鉄の塊が、今の莉奈には鉛のように感じられた。


 だが、莉奈はそれを杖代わりにして、フラフラと、しかし確かな意志を持って立ち上がった。


「……アタシの」


 振り下ろされようとしていた戦斧の軌道上に、莉奈は自ら歩み出た。


「アタシの大事なダチに──手ェ出してんじゃねーよ!!」


 それは、悲鳴でも、強がりでもなかった。


 神崎莉奈という一人の少女の魂から絞り出された、純粋な


『怒り』の咆哮だった。


 ギャルとしての意地。人間としての矜持(きょうじ)

 そして、自分を信じてくれた唯一の相棒への、絶対的な肯定。


 その瞬間だった。


 分断された迷宮で、迷いながらも戦い続けた身体。意図せず蓄積された経験値が広げたスキルの器。その器の底に、魔力(MP)とは全く別の次元のエネルギーが眠っていた。


 莉奈の覚悟が、その蓋をこじ開けた。


バチッ……!


 枯渇していたはずの莉奈の右手から、火花が散った。しかし、それはこれまで纏っていた「黄金色」の雷ではなかった。チリチリと空気を焦がすような、冷たくて、それでいて全てを焼き尽くすような、青白い閃光。


『──渋谷より、特別なお知らせを申し上げます。お客様:神崎莉奈の限界突破を確認いたしました。固有スキル【(いかづち)(まとい)】を【迅雷紫電(じんらいしでん)】へ昇格いたします。どうぞ、存分にお使いください──』


 案内放送の声が、初めて感情を持ったように、静かに告げた。


「……ッ!!」


 莉奈の金髪が、静電気でブワッと逆立つ。全身の血管を駆け巡る青白い稲妻が、莉奈の身体を包み込み、プラットホームの暗闇を白昼のように照らし出した。


 ミノタウロスが、目の前の獲物から放たれる異常なプレッシャーに気づき、戦斧を振り下ろす手を一瞬だけ止めた。その、ほんのわずかな躊躇いが──怪物の運命を決定づけることになる。


 莉奈は、青白い雷を纏った鉄パイプを構え、ミノタウロスの赤い眼光を真っ向から睨み返した。


 彼女の瞳に、もう絶望の影はなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。