第14話 最下層への螺旋階段と、底知れぬ魔力
「ちょっと、健一。スマホのライト、もうちょっと前照らしてよ。足元見えないんだけど」
「バッテリーがもう十パーセント切ってて……必要な時以外は温存したいんだ」
暗闇のメンテナンス通路を、二人は肩を寄せ合うようにして進んでいた。上の階層にあった赤紫色のツタはもうない。代わりに、壁面のコンクリートに血管のような亀裂が走り、その奥から微かに赤い光が脈打っている。空気も変わった。カビ臭さの下に、鉄を焼いたような焦げた匂いが混じっている。
近づいている、と莉奈の本能が囁いた。
先ほどの暗闇での会話、あの沈黙と、莉奈の「まだ歩ける?」の一言から、二人の間の空気は微妙に変わっていた。重くなったのではない。むしろ、余計な言葉が削ぎ落とされて、軽くなった。
「ねぇ、健一」
「ん?」
「アンタ、さっきからステータス画面ずっと開いてるでしょ。何見てんの」
莉奈に指摘され、健一は少しだけ目を泳がせた。
「僕のスキル欄に、グレーアウトされた項目があるんだ。名前も読めない。ずっと気になってたんだけど、多分、特定の条件を満たさないと解放されないスキルだと思う」
「へぇ。使えないスキルなんて、ないのと同じっしょ」
「そうなんだけど……トラップ通路を抜けた時、一瞬だけ解放条件のヒントみたいなものが見えた気がしたんだ。『守護の意志』って」
「守護? アンタが?」
莉奈は鼻で笑いかけたが、途中で飲み込んだ。健一は冗談を言う時と本気の時で声のトーンが違う。今は、本気のほうだった。
十五分ほど歩き続けると、行き止まりの壁にぶつかった。赤錆にまみれた鉄格子の扉と、下へと続く螺旋階段。
「莉奈、ここだ。……、この階段を下りれば、半蔵門線のホームに出るはずだ」
健一の声が張り詰めた。
彼の顔がスマホの薄明かりの中で蒼白になっている。
「どうしたの」
「この下から、信じられないくらい巨大なエネルギー反応がしてる。スクランブル交差点にいたタロス二十体がゴミみたいに思えるくらいの、桁違い。僕の【解析】でも、ステータスがノイズまみれで正確に読み取れない」
莉奈は自分のステータスを確認した。EPバーが、ほとんど空だ。おかしい。ハチ公口の真下に近づいているなら、EPは回復するはずなのに。
「健一、EPが回復しない。ハチ公口の真下なのに」
健一の顔が青ざめた。
「コアだ。コアが周囲の魔力を全部吸い上げてるんだ。ハチ公口から流れ込む感情エネルギーを、ダンジョンの維持に使っている。だから最下層ではEPがゼロになる。莉奈、ここでの雷スキルは……」
「死ぬ、ってことね」
莉奈は武器を握る手に力を込めた。螺旋階段の下から吹き上げてくる風には、濃密な血の匂いと、空気が焦げたようなオゾンの臭いが混じっていた。立っているだけで、心臓を鷲掴みにされるような圧。
ステータス画面を呼び出す。
MPは『15/30』。
半分。暗闇の底での休憩で回復していたんだろう。
「莉奈」
健一が、莉奈のすぐ隣に立った。いつもより半歩、近い。
「引き返そう、とは言わない。でも、本当に死ぬかもしれない。覚悟はいい?」
莉奈はゆっくりと息を吐き出した。螺旋階段の下を睨みつける。その瞳に、恐怖は確かにあった。でも、それ以上に強い光が宿っていた。
「誰に向かって言ってんの」
莉奈は口角を上げた。
「アタシは神崎莉奈よ。こんな薄暗い地下で、バケモノ相手にビビって逃げ帰るような、ダサい真似するわけないっしょ」
「それに」
「地上に戻ったら、アンタにフラペチーノ奢らせなきゃいけないし。バケモノなんかに無駄にされてたまるかっての」
健一は一瞬だけ目を伏せた。そして、顔を上げた時には、穏やかな、しかし確かな覚悟を湛えた表情をしていた。
「特大サイズのフラペチーノ、奢るよ。全部終わったら」
「忘れたら許さないから」
二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。
莉奈は錆びついた鉄格子の扉を蹴り開け、螺旋階段へと足を踏み入れた。一段下りるごとに、空気が重くなる。濃密な魔力が、二人の身体にまとわりつく。
階段を下りきった先には、元・半蔵門線のプラットホームへと続く、分厚い防火扉があった。扉の向こう側から、ドズン、ドズンという地鳴りのような重低音が規則的に響いてくる。巨大な心臓の鼓動のように。
健一は、山岸の言葉を思い出していた。「この下に、すごく重い何かがある」。あれは、これだったのだ。【探索者】の範囲を超えた知覚が、ここまで届いていた。
そして、もう一つ。
莉奈のEPバーが、ほぼ空になっていた。長引くほど不利になる。
健一は頭の中で整理した。MPは雷を撃つための燃料。EPは雷の威力を左右する増幅器。どちらも底を突きかけている今、残された切り札は──莉奈のHP、生命力そのものを削って戦う覚醒だけだ。
「健一、準備はいい?」
「いつでもいける。僕の【解析】で、絶対に突破口を見つける」
健一の手はまだ少し震えていた。
だが、その瞳は、暗闇の穴底で莉奈に「まだ歩ける?」と問われた時に決まった何かを、静かに映していた。
莉奈は深く息を吸い込んだ。
指先の爪の下から、蟻が這い上がるような痺れが始まり、掌を通って肘を超え、肩から首筋を焦がすようにして右腕全体が金色に染まった。薄暗い空間が、一瞬だけ真昼に変わる。
「開けるわよ」
莉奈が防火扉のハンドルに手をかけ、力任せに押し開けた。
その瞬間、濃密な『暴力』の気配が、突風となって二人に襲いかかった。




