↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
108/111

外伝 第35話 二つの肉じゃが

 保護施設の台所から、焦げた匂いがした。


「ダイダロスさん、また火加減間違えてない?」


 莉奈が台所を覗くと、ダイダロスが困惑顔でフライパンを握っていた。


 数千年の天才設計者。迷宮を設計し、翼を造り、時空を超えた男が──目玉焼きを焦がしている。


「莉奈さん。この『IH』という装置は、火が見えないのに熱が出る。理屈は分かるが──感覚が追いつかない」


「火加減は弱火って言ったでしょ。これ、炭でしょ。卵の炭」


 ダイダロスは恥ずかしそうに視線を逸らした。


 設計図は完璧に引けるのに、火加減の調節ができない。


 莉奈は焦げた卵と、フライパンを持つ手元を見比べた。


 五月に入った週末。この日は「ダイダロスの料理教室」の日だった。


 莉奈が週末に施設を訪問するたびに、ダイダロスが何かを作りたがる。


「この国の料理を覚えたい」と。


 古代ギリシャの知識で作る「オリーブとチーズのパン」は、先週初めて成功した。意外と美味しかった。地中海の風味がする。


「今日は何作るの」


「日本の──肉じゃが、というものを」


 莉奈は一瞬、固まった。


 肉じゃが。母が、最近作ってくれるようになった料理。


「なんで肉じゃが?」


「イカロスがテレビで見て、食べたいと言ったので」


 リビングからイカロスが顔を出した。


「莉奈さん! 肉じゃが! テレビで『おふくろの味』って言ってました! おふくろってお母さんのことですよね!?」


「……そうよ」


 イカロスは材料の袋を一つずつ持ち上げ、レシピの写真と見比べていた。糸こんにゃくの袋を傾けると、ダイダロスが慌てて受け取った。


 ダイダロスは黙って肉じゃがの材料を並べていた。

 じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、牛肉、糸こんにゃく。

 レシピはスマホで検索した。

 設計図を引くように、手順を正確に守る。だが手が、微かに震えていた。


 莉奈は包丁を取り、まな板の前へ立った。


「アタシが切るわ。アンタは煮る係」


「ありがとうございます、莉奈さん」


 二人で台所に立った。


 数千年の設計者と、十七歳のギャル。


 不思議な組み合わせだが、不思議と手が合う。


 莉奈が切り、ダイダロスが鍋に入れ、火加減は莉奈が調節する。


 完成した肉じゃがをテーブルに置き、三人で囲んだ。


 イカロスが一口食べて、目を輝かせた。


「美味しい! ──父さん、料理上手になったね!」


「莉奈さんが手伝ってくれたからだ」


「でも父さんが作ったんでしょ? ──父さんの料理、また食べられた」


 イカロスの声が──少しだけ、震えた。

 イカロスはもう一口、芋を口に運んだ。


 ダイダロスの箸が止まっている。


「父さん、食べないの?」


「ああ。食べる」


 ダイダロスは鍋を見てから、芋を一つ取った。


 莉奈は自分の皿へ糸こんにゃくを寄せ、


 二人の箸が動くのを横目で見ていた。


 ──母の肉じゃがより、少し甘い。


 でも、美味しかった。


* * *


 莉奈が家に帰ると、台所の電気がついていた。


 母が──肉じゃがを作っていた。


「あ、莉奈。おかえり。今日、肉じゃが作ったけど、食べる?」


 莉奈は鞄を下ろした。


 施設で食べた分は、まだ腹に残っていた。


 母は鍋の蓋を開け、小皿を一枚出している。


「……食べる」


 食卓に座った。


 母が肉じゃがをよそってくれた。テレビはつけていない。音がないダイニングは、以前なら気まずかった。


 テレビの音で沈黙を埋めていた頃が──つい二ヶ月ほど前のことだ。


 一口食べた。


 ダイダロスの肉じゃがより、少し塩辛い。


 でも、この味を知っている。中学の頃。父がまだいた頃。

 母が作る肉じゃがは、いつもちょっと塩辛かった。

 父は「丁度いい」と言って食べていた。


 嘘つき。


「美味しい」


 口から出た。自分でも驚いた。


 莉奈はもう一口、芋を口へ運んだ。


 母の手が止まった。


 箸を持ったまま、莉奈を見ている。


「……今、美味しいって言った?」


「言ったわよ。……聞こえなかった?」


「聞こえた。聞こえたけど──」


 母は顔を伏せ、指で目元を押さえた。


 莉奈は箸を止めかけ、もう一口すくった。


 母が顔を上げるまで、莉奈は芋を崩しながら食べていた。


 皿の汁までなくなると、母が「もう少しあるけど」と鍋を見た。


「今日はもういい。……また作って」


 母は頷き、蓋を戻した。


 食べ終わった皿を、自分で洗った。


 東京駅の迷宮が起きる前にも、こうして洗った。母はあの日も何も言わなかった。ただ、台所の電気を少し長くつけていた。


 今日も、電気を消さないまま、母は洗い物をする莉奈の隣に立っていた。


 何も言わない。でも、隣にいた。


 部屋に戻ると、莉奈はスマホを見た。金子からスタンプが五個届いている。今日の残り枠は数えていない。


 グループチャットに打ち込んだ。


莉奈:今日、母さんに「美味しい」って言えた。


 送信してから、恥ずかしくなった。

 こんなことを送るなんて、どうかしている。


 三秒後。金子から返信。


金子:えらい!!!! 莉奈ちゃんえらい!!!!

  (花のスタンプ六連打)


大阪:スタンプ六個やぞ


金子:今日は特別!!


 大阪が「今日は許す」と返した。


 莉奈は前にも似た返事を見た気がして、


 チャットを少し遡った。


 島の歌の報告にも、


 その返事がついていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。