↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
107/111

外伝 第34話 休み時間

 チャイムが鳴ると、教室の音が増えた。


 机を動かす音。

 椅子の脚が床を擦る音。

 前の席から後ろの席へ飛ぶ声。

 窓の外では、別の教室の誰かが笑っている。


 アステリオスは、机の下で指を組んだ。


 ここへ来て、何日か経った。


 朝、黒板の端へ日付を書く生徒の顔は覚えた。教科書を出す合図も分かる。チャイムが鳴ったら、全員が席を立つわけではないことも。


 それでも、音がいくつも重なるとどこを見ればいいか分からなくなった。


「次、移動だっけ?」


「違うよ。次の次」


 隣で交わされる短い言葉に、アステリオスは顔を上げた。


 移動。


 どこへ。


 誰に訊こうか考える間に、話していた二人は窓の方へ行ってしまった。


 イカロスの席を見る。


 別の生徒がノートを持ってきて、何か説明していた。イカロスは熱心に頷いている。分かった時にする顔だった。


 莉奈は机へ頬杖をつき、健一の開いた本を覗き込んでいた。


 アステリオスは自分の指をほどいた。


 立ち上がると、椅子が後ろへ滑った。


 思ったより大きな音がした。


 近くの生徒が振り向く。


「どうしたの?」


「ソト、行ク」


「廊下?」


 アステリオスは頷いた。


 戸を引いた。人間の手で掴める、小さな窪み。少し力を入れれば、戸は横へ動く。


 廊下の方が涼しかった。

 胸へ入ってくる空気を確かめながら、窓のある方へ歩いた。


* * *


 中庭へ出る手前に、担任がいた。

 アステリオスを見ると、持っていたプリントを脇へ挟んだ。


「少し休む?」


 頷いた。


「教室、うるさかったかな」


「コエ、イッパイ」


「そっか」


 担任は中庭を見て、時計へ目を戻した。


「授業が始まる前に、先生も見に来るね。教室へ戻るのがきつかったら、その時に教えて」


 廊下の向こうから呼ばれ、担任が片手を上げた。アステリオスへもう一度頷いてから、声のした方へ歩いていった。


 中庭のベンチには、誰も座っていなかった。


 桜の枝は、花より葉の方が目立つようになっていた。四人で弁当を広げた場所には、風で運ばれた砂が薄く溜まっている。


 アステリオスは腰を下ろした。


 膝へ掌を置き、指を一本ずつ曲げた。教室で強く組んでいたため、関節に少し跡が残っていた。


 どこかでボールが弾んだ。


 遠い声なら、聞いていられた。


 しばらくして、廊下の窓からイカロスが顔を出した。


「いた」


 アステリオスが見上げると、イカロスは窓の向こうでノートを掲げた。


「そこ、いて。今行く」


 少しして、中庭の戸が開いた。

 イカロスは走らずに来た。

 ベンチの空いている方を見てから、アステリオスの顔を見る。


「座っていい?」


 アステリオスは、隣を掌で叩いた。


「教室、苦手?」


「ズットハ、ムズカシイ」


「俺も、先生が続けて話すと、途中で分からなくなる」


 イカロスがノートを開いた。

 今日の授業の文字の間に、小さな空白が何か所もある。


「今、そこを教えてもらってた。一回で全部聞き取ろうとすると、その後の話まで分からなくなるから」


 空白の一つへ、違う筆圧の文字が足されていた。


 アステリオスは、その行を指した。


「アノ、ヒト」


「そう。隣の席の人。名前、覚えた?」


 首を横に振ると、イカロスは教室のある方を見上げた。


「俺、今日やっと覚えた。毎日教えてくれるのに、ずっと訊きそびれてた」


 イカロスは少し笑い、ノートを膝へ置いた。


「一緒に戻る?」


 アステリオスは、まだ手を膝へ置いていた。


「……モウ、スコシ」


「分かった」


 イカロスはノートを閉じた。


 立ち上がりかけたアステリオスへ、手のひらを向ける。


「俺、教科書置いてくる。次の時間、移動じゃないって」


「ココデ、マツ?」


「うん。先生、来るって言ってたんでしょ」


 アステリオスは頷いた。


 イカロスは戸口へ行き、一度だけこちらを振り返った。

 アステリオスは手を上げた。

 戸が閉まっても、その先から教室の声は少し聞こえた。


* * *


 担任が迎えに来た時、アステリオスはベンチから立っていた。


「戻れそう?」


「ウン」


「次も、しんどくなったら教えてね」


 頷いて廊下へ戻った。

 教室へ入ると、近くの生徒がアステリオスの机を指した。


「プリント、そこ置いといたよ」


 机の上に、白い紙が一枚あった。

 隣の席と同じ物だった。


「アリガトウ」


 声にすると、相手はもう一度頷いて、自分の席へ戻った。


 アステリオスも座った。


 紙の端を、机の端と揃える。イカロスが離れた席から見ていたので、紙を少しだけ持ち上げてみせた。


 授業が始まった。


 分からない字は、いくつもあった。分かる字も、あった。

 自分の名前を書く欄は、すぐに見つけられた。


* * *


 放課後、健一が校内の案内図を持ってきた。


「これ、要る? 先生に貰ったんだけど」


 職員室、保健室、図書室。

 紙の上に、小さな部屋が並んでいる。


 アステリオスが紙を受け取ると、莉奈が隣から覗いた。


「あ、ここ。図書室、休み時間なら開いてる時があるわよ。静かな方がよければ」


「ホン?」


「そう。本のある部屋」


 アステリオスは紙の上で、その部屋を探した。


 健一が指で示しかけて、止めた。


 アステリオスは莉奈の口元と紙を見比べ、もう一度訊いた。


「ナマエ、モウイッカイ」


「図書室」


 莉奈は少しゆっくり言った。


 イカロスが紙の端へ『トショシツ』と書く。

 その横へ、アステリオスは四角を一つ描いた。


「今から見に行く?」


 健一が訊いた。


 アステリオスは、少し考えてから首を振った。


「キョウハ、カエル。アシタ、ミル」


「そ。じゃあ帰ろ」


 莉奈が鞄を肩へ掛けた。


 アステリオスは案内図を畳んだ。

 教室から中庭へ続く線を、折る前に指で一度なぞった。


 下駄箱へ向かう廊下は、朝より静かだった。


 イカロスが途中で立ち止まり、窓から中庭を覗いた。


「あそこのベンチ、見えるね」


 アステリオスも立ち止まった。


 誰も座っていないベンチへ、


 葉の影が落ちていた。


「ウン」


 二人で確かめてから、


 健一たちを追った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。