外伝 第33話 消しゴム三つ
金子が、机に消しゴムを三つ並べた。
「一個でええやろ」
大阪が言うと、金子は一番大きいものを指した。
「これ、消す用」
「いや、三つとも消す用や」
「これは落とした時の分。こっちは、なくした時の分」
「落としたやつ拾ったらええねん」
金子は「そっか」と言い、一つを筆箱へ戻しかけた。
だが机の上の新品と、角の丸くなった二つを見比べ、結局そのままにした。
連休を前に、英語の小テストがある。
放課後の教室に残ろうと言ったのは大阪だった。金子が帰り支度を終えるまで待ち、和田の机も隣へ寄せた。
「今日は寄り道なし。終わるまで帰さへんで」
「大阪ちゃん、先生みたい」
「アンタらの答案見たら、先生の気持ちになるわ」
和田は鞄から問題集を出した。開いたのは数学だった。
「英語、言うたやろ」
「こっちからやった方が、頭が動く」
「得意な方に逃げんな」
和田は少し考え、数学の問題集を金子の方へ向けた。
「金子、ここ、できた?」
「それ、うちも聞こうと思ってた!」
「話を逸らす連携だけ完璧やな!」
大阪は英語のプリントを二人の間へ置いた。
自分の分もその横へ広げる。
人に教えられるほど得意なわけではない。それでも、自分一人で昨日も解いた問題を眺めているよりは、二人に説明する方が頭に残った。
「まず、ここ。三年間住んでる、って文」
「三年前に住んでた、ちゃうん」
和田が訊いた。
「今も住んでるねん。ここの形、授業でやったやろ」
「形は覚えた。どこまで続いとるかが、分からん」
大阪はプリントの余白へ一本、線を引いた。
左端へ『三年前』、右端へ『今』と書く。
和田が、少し身を乗り出した。
「今まで、切れてないんやな」
「そう。その線の上、ずっと住んでる」
金子は自分の余白に家を描いた。
窓を描き、煙突を描き、玄関の前に丸い人を立たせる。
「誰や、それ」
「三年間住んでる人」
「住人まで描かんでええ」
和田は家の絵を見てから、例文へ線を引いた。さっきまで抜けていた助動詞を書き足している。
金子もその下へ答えを書いた。
大阪が覗くと、日本語の訳の最後に『今も』と小さく添えてあった。
「まあ、それは自分が分かるなら、ええわ」
金子が笑った拍子に、消しゴムが一つ落ちた。
「ほら!」
「予言みたいに言うな。拾え」
和田が足元から拾い、金子へ返した。
* * *
英語が一区切りついた頃、大阪は数学のノートを開いた。
同じ問題の横に、消して薄くなった跡が重なっている。昨日は途中まで合っていると思った。答えを見たら、最後だけ違っていた。
その最後へ辿り着くまでの、どこが間違っているのか分からない。
「和田。これ、ちょっと見て」
和田がノートを引き寄せた。
数行を目で追い、途中の式へ鉛筆の先を置く。
「ここで、符号が変わってる」
「そこ、何回も見たんやけどな」
「途中式、一行抜いとるからや。ここ、別に書けばええ」
和田は大阪の字の間へ書き込もうとして、手を止めた。
「書いてええ?」
「余白で頼む。他人の字が途中に入ると読めん。自分でも、たまに読めん」
「直せや」
和田は余白へ、いつもより大きな字で式を書いた。
途中で飛ばしていた計算が、二行に分かれる。それを追うと、間違えた場所はすぐに見つかった。
大阪は声を出さず、唇だけで「あ」と言った。
「分かった?」
「分かった。……なんで自分、これできて、英語はあないなるん」
「こっちは、動かした分が見える」
和田が数字を指した。
「英語も、線引いたら分かったやろ」
「うん。あれは見えた」
大阪は数学の余白へ和田が書いた計算を、自分の字で写した。
向かいで金子が、英語のプリントを裏返した。裏には数学の課題が挟んであったらしい。机の端へ隠すように滑らせる。
「金子。それも出し」
「なんで分かったん!?」
「目の前で隠しとるからや!」
金子の数学には、丸が少なかった。
和田は最初の問題を見て、少し考えた。大阪に教えた時より長く、金子の書いた数字を辿っていた。
「これ、どこまで分かった?」
「問題の、ここまで」
金子が一行目を指す。
「ほな、そこからやろ」
和田は問題集を閉じ、白紙のノートを出した。
数字だけ並べた最初の説明では、金子の鉛筆は動かなかった。
次に図を描くと、金子は自分でも同じ形を描き始めた。
丸の中へ顔を描こうとして、大阪に止められた。
「それは住人ちゃう。数字入れるとこや」
「顔ついとった方が、忘れへんと思って」
「数字を忘れんといて」
和田が一度、鉛筆を置いた。
「金子、次、説明してみて」
「うちが?」
「自分に。どこまで分かったか」
金子は図を指し、途中で止まり、また最初へ戻った。
和田は急かさなかった。
大阪も、自分のノートを開き直した。
二人の声を聞きながら、さっき間違えた問題を、もう一度最初から解いた。
* * *
廊下で、戸締まりを確かめる先生の足音がした。
「まだいたのか。そろそろ帰れよ」
三人で返事をした。金子の声だけが、少し大きかった。
窓の外は、もう薄暗い。
机へ寄せた椅子を戻すと、机の上んの端に白い消し屑が散っていた。
金子が掌で集め始めた。
大阪もノートを閉じ、机の逆の端から屑を寄せた。
和田が小さな紙をちりとり代わりに出し、その上へ受けた。
「明日の小テスト、いけるかなぁ」
「それは、明日やってみんと分からん」
大阪は言い、金子のプリントへ目を落とした。
余白の家には、いつの間にか玄関が増えていた。
「なんで入口二つあんねん」
「三年も住んどったら、増築するやん」
「せえへん家もあるやろ!」
和田がプリントを覗き込んだ。
「英文は、同じ家に住んでるままでええんやな」
「アンタはそこを気にせんでええ!」
教室の電気を消した。
廊下で金子が筆箱を振り、顔をしかめた。
「消しゴム、一個ない」
大阪は溜め息をついて、戸を開け直した。
暗い教室へ戻りかけたところで、和田が自分の机を指した。
白い消しゴムが、ノートの下から半分だけ見えていた。
「和田の方かい!」
「予備、借りた」
「返してから帰れ!」
和田が拾い、金子の掌へ載せた。
三つ揃った消しゴムを確かめてから、
金子は筆箱を閉めた。
今度は、
大阪が鍵を閉めるまで、
二人とも廊下で待っていた。




