外伝 第30話 離れた街で
四月、金子にカラオケで負けた翌週のことだった。
「莉奈ちゃーん!」
原宿駅の改札口で、金子が両手をぶんぶん振っていた。大きなリュックを背負って、大阪限定のお菓子の紙袋を提げて。満面の笑みで。
莉奈は──溜め息をついてから、歩み寄った。
「……来たの」
「来たよ! 一人で観光に来るん初めて! 人多いなぁ! 梅田の三倍くらいおらん?」
「渋谷はもっと多いわよ」
金子の笑顔は、先週のカラオケでソファから跳び上がった時と同じだった。
原宿を歩いた。竹下通り。
金子は全ての店に反応する。「可愛い!」「これなに?」「写真撮って!」
莉奈は後ろからついていきながら、時々「こっち」と方向を示す。案内というより、迷子の保護者だ。
「莉奈ちゃん、東京住んどるんやからここら辺詳しいんやろ?」
「まあ、一応。原宿はそこまで来ないけど」
「なんで? こんな楽しいのに」
「一人で来てもしょうがないでしょ」
言ってから、莉奈は隣を見た。
金子はショーウインドーの服を見たまま、足を止めていた。
金子は莉奈の言葉を聞いて、にこっと笑った。
「じゃあ、うちがおるから来れるやん。……二人やし」
ネイルショップに入った。金子の提案で。
「莉奈ちゃん、今日ピンクやん。前はスカル柄やったんやろ? 健一くんに聞いた」
「あいつ余計なこと言ってんのね。まあ、スカルは卒業した。ガキっぽいし」
「スカルも見たかったなぁ。今度、写真見せて」
「残ってたらね」
店員に見せてもらった見本から、莉奈は小さな白い花を選んだ。
「それ、うちも同じのにしてええ?」
金子が横から指を出した。
莉奈は見本を金子の前へ滑らせた。
莉奈のピンクには、白い花を一つ。
金子は同じ花をいくつも描いてもらった。
「詰めすぎじゃない?」
「もう一個、いけるかな」
「どこに。爪、増やすの?」
金子は指を広げ、親指まで眺めて笑った。
「なんでそんなに花?」
「花なら、また咲くやろ。梅田で消えた人らに『また会おな』って言うた時のこと、思い出すねん」
莉奈は金子の手を見た。
店を出る前に二人の指を並べ、頼まれた写真を一枚だけ撮った。
「似合ってるわよ」
「ほんま? やったー!」
金子が笑った。
莉奈も──少しだけ、笑った。
帰りの品川駅で、金子が莉奈の腕をつついた。
「莉奈ちゃんとうちって、似てるなぁ」
「……どこが」
「オヤジおらんところ。……あと、前に出るところ」
莉奈は返事をせず、新幹線の改札を指した。
金子がリュックを背負い直す。
二人で表示を辿って歩いた。
「また来なよ。次もカラオケ行こう」
「ほんま? 行く行く! また大阪ちゃんと和田くんも連れてくるわ!」
「……三人も来るの」
「うちらはセットやもん」
金子が新幹線のホームに消えていく背中を見送りながら、莉奈はスマホを取り出した。
グループチャットに打ち込む。
莉奈:金子に東京案内した。疲れた。
金子:莉奈ちゃん優しかった!! ネイルおそろい!!
(花のスタンプ三連打)
大阪:おそろい!? 莉奈ちゃんが!? 写真見せて!?
健一:莉奈が他人とおそろいのネイル……? 写真……見たい、かも
莉奈は二人の指を並べた写真を選び、グループへ送った。
莉奈:一枚だけね。
大阪:送ってくれるんや!
健一:二人とも似合ってるね。
莉奈は返信を読んでから、スマホをポケットにしまった。
口元が緩んでいるのを見られなくてよかった。
* * *
佐藤のもとへ、小包が届いた。
差出人:汐沢。北九州市小倉南区。消印は三日前。
段ボールは小さく、軽い。
中を開けると──緩衝材に包まれた、小さな石のかけら。
そして、メモ書きが一枚。
「溶かさなかった」
鍾乳石のかけらだった。
佐藤は緩衝材を広げ、そこに残った白い粉へ指を当てた。
石を包み直しかけ、机の明かりへ持ち上げた。
掌に乗せると冷たかった。表面の細い筋を、爪の先でなぞる。反射的に【編纂】の記録画面を探したが、何も浮かばない。
佐藤は石を少しずつ回し、角度を変えて見た。
メモの「溶かさなかった」が、その横にあった。
佐藤は鍾乳石を机の上に置いた。
ノートパソコンの横。目が届く場所。
そしてスマホを取り出し、汐沢にメッセージを送った。
佐藤:届きました。ありがとうございます。大切にします
五分後。返信が来た。
汐沢:別に
二文字だけの返信。
佐藤は、石をもう一度手に取った。
机のノートを開き、ペンで新しい見出しを書いた。
分類:大切なもの
項目:鍾乳石のかけら(汐沢より)
備考:溶かさなかった
ノートを閉じ、
石をパソコンの横に置いた。
レポートの資料を広げても、
そこだけは空けておいた。
* * *
輪島はカラオケに行った。伊禮と二人で。
島ではカラオケボックスに入ったことがなかった。歌うなら浜辺か集落の広場か、祖父の家の座敷だ。「防音の箱」に入って歌うというのは、輪島にとって新鮮だった。
鹿児島市内。
フェリーで本土に渡り、天文館のカラオケ店に入った。
伊禮が「一度行ってみたかった」と言ったからだ。伊禮は普段そういうことを言わない。珍しい。
部屋に入った瞬間、輪島は足を止めた。
──洞窟みたいには、音が返ってこない。
防音室。
壁面に吸音材が貼られた空間。かつての【反響】は、返ってくる音で空間を描いた。スキルは東京駅の後で消えたが、声を出しても手を叩いても返りが弱い部屋に立つと、洞窟での感覚がよみがえる。
音の地図が、描けない。
「……ここ、ちょっと怖いな」
輪島はそう呟いて、持っていたマイクを握り直した。
目の前の壁も出口も見えている。それでも、声の返りが弱いだけで、洞窟の暗闇を思い出していた。
伊禮が隣で、輪島の握りしめた拳を見ていた。【共鳴】はもうない。それでも、怖い顔くらい見れば分かる。
「輪島。……怖い?」
「……ちょっとだけ」
「じゃあ、歌おう。おれが先でいい?」
伊禮がマイクを握った。
選曲ボタンを押す。
流れてきたのは──島で聞き慣れた民謡だった。
伊禮が歌い始めた。最初の高いところで声が裏返り、本人が笑った。
輪島もつられて笑い、マイクを握っていた手が少し緩んだ。
次の節は、祖父の家でも何度も聞いたところだった。伊禮が歌い終わる前に、輪島の口から同じ歌詞が出た。
輪島もマイクを取った。
サビの入りが重なり、一度は譲ろうとして声を引いた。伊禮が横を向いたので、今度は二人で歌った。
採点機能が「62点」と表示した。
伊禮が「低いな」と笑った。
「採点、つけたのか」
「最初からついてた。消し方、分かる?」
輪島は画面へ身を寄せた。
設定を見つける前に、伊禮が次の曲を入れた。
「今度、お前が先な」
輪島はマイクを持ち直した。
歌い出す前に喉を鳴らすと、隣で伊禮が笑った。
帰りのフェリーで、輪島はグループチャットにメッセージを送った。
輪島:カラオケ行った。反響ゼロ。でも楽しかった
金子:何歌ったん!?
輪島:島の歌。六十二点
莉奈:低っ
金子:点数じゃないんやで! 気持ちが大事!
(花のスタンプ)
金子の花のスタンプを見て、
大阪が「今日のスタンプは許す」とツッコんでいた。




