外伝 第29話 画面の向こうの言葉
朝、大阪は枕元のスマホを手に取った。
通知、二百十六件。
大阪のスマホは夜中に死んだ。
通知で。
殺したのは金子だ。
東京駅ダンジョンが終わってから二週間。グループチャットは、もはや日常の一部になっていた。
通知の内訳を確認する。
金子のスタンプが百九十八件。
和田の意味不明なボケが十二件。
ダイの「おはよう」が一件。
テツの「おはよう」が一件(ダイに続き一秒以内に投稿されてる。律儀)
マーサの「おはようございますっ!!!!」が一件(「!」が多い)
残りは莉奈の「うるさい」と
健一の「すみません寝てました」と
山岸の「朝から元気だな」
大阪は布団の中でスマホを握りしめ、決意した。
『スタンプ連打禁止令を出す』
大阪:提案があります。金子のスタンプを一日五十件に制限しませんか。
今朝の通知二百十六件のうち、スタンプだけで百九十八件でした。
ウチのスマホが過労死しました。
金子:えー! スタンプはうちの生命線やで!?
和田:生命線は手のひらにあるやつやろ
莉奈:賛成。夜中にスマホ光るの迷惑。
健一:僕は気にしてないですけど……(通知切ってるので)
ダイ:多数決で決めよう。制限賛成の人、挙手
マーサ:はーい!(挙手のスタンプ)
でも金子ちゃんのスタンプ好きやけどなぁ
テツ:賛成
汐沢:賛成
伊禮:……賛成です。楽しそうなのは分かるんですけど、夜中は少し……
輪島:スマホの通知音が反響して寝られん。賛成
佐藤:記録係としては、スタンプの記録が大変なので賛成です
ダイダロス:スタンプとは何でしょうか(画像のことですか?)
イカロス:スタンプ楽しい!! 金子ちゃんと同じやつ使いたい!!
賛成多数。
だがダイが「制限」ではなく「お願い」に文言を変えたいと言い出した。
ダイ:命令じゃなくてお願いにする。金子、一日五十件でお願いできるか?
ダイは金子に直接訊いた。
大阪は、さっき送った「制限」の文字を見つめた。
金子:ダイくんにお願いされたら断れんやん……。五十件で頑張る!
金子:(牛のスタンプ。アステリオスのつもり)
金子:(牛のスタンプ)
金子:(牛のスタンプ)
大阪:もう三件使ったで
金子:えっ これもカウントされるん!?
──結局、その日の金子のスタンプは八十三件だった。
お願いの効果は限定的だった。
* * *
「健一さん。『エモい』とは、どういう意味ですか」
保護施設のリビングで、イカロスが目を輝かせて訊いてきた。茶色い巻き毛。散髪されたショートヘア。
テレビの情報番組を見ながら、ノートにカタカナで単語を書き留めている。
「えっと……感情的に揺さぶられる、っていう意味かな。感動したとか、切ないとか、懐かしいとか。そういう時に使う」
「エモい。じゃあ、父さんの壁画はエモいですか?」
「……めちゃくちゃエモいと思う」
イカロスはノートに書き加えた。
『エモい=父さんの壁画みたいなやつ』
定義が個人的すぎるが、間違ってはいない。
イカロスは、教わった言葉をすぐに使いたがった。
翌週には言い回しが増えている。間違えた時は消しゴムを使わず、横へ新しく書き足していた。
ノートを覗くと、ニュースで聞いた単語の隣に、料理番組の言葉が並んでいた。
「おはようございます」「いただきます」「推しが尊い」「ワンチャン」「草」「内閣総理大臣」「みじん切り」「マジ卍」「憲法改正」「鬼リピ」
「健一さん。今日は敬語を教えてください」
「いいよ。まず、目上の人には『です・ます』をつけるんだけど──」
「目上とは?」
「年齢が上の人とか、立場が上の人。先生とか、上司とか」
「父さんは目上ですか?」
「お父さんは……家族だから、敬語じゃなくてもいいかな。でも他人の前では丁寧に話すといいよ」
「分かりました。じゃあ、政府の担当官さんには敬語ですね」
「そうそう。その調子」
翌日。
政府の保護担当官が施設を訪問した時、イカロスは完璧な笑顔で出迎えた。
「いらっしゃいませ。本日もお疲れ様でございます。……マジ卍っすね」
担当官が固まった。
健一も固まった。
「イカロスくん……『マジ卍』は敬語じゃないよ……」
「えっ。でもテレビの人が偉い人に向かって言ってました」
「それはバラエティ番組だから……」
ダイダロスがリビングの奥から出てきた。
息子の日本語の暴走を聞いて、困惑と、ほんの少しの誇らしさが混じった表情を浮かべていた。
「イカロス。日本語は奥が深い。私もまだ、『了解しました』と『承知しました』の違いが分からない」
「父さんも分からないの? じゃあ一緒に覚えよう!」
イカロスがドリルを二人の間へ置いた。
ダイダロスは椅子を寄せ、
問題文を指で追い始めた。
健一が帰り支度をしても、
二人は同じページを開いていた。




