↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
101/111

外伝 第28話 ミノタウロスの名前

 この指とまれ


 東京駅の迷宮から帰った翌日、健一に保護担当官から電話が来た。イカロスに会いに通ううちに、番号を伝えてあった。


「高橋さん。実は、あの方の保護登録に名前が必要でして。現在は『被保護者A』としか登録できていないのですが。ダイダロスさんにご相談したら、高橋さんに訊いてほしいと」


 名前。


 王が最後まで与えなかったものを、登録のために健一が決めていいのだろうか。電話口で、すぐには返事ができなかった。


「……本人に、決めてもらうことはできますか」


「言葉が通じませんので、難しいかと」


「候補をいくつか持っていきます。選ぶのは、本人にしてもらえませんか」


 電話の向こうで、担当官が少し黙った。


「……分かりました。明後日、書類を持って伺います」


 その夜、健一はグループチャットを開いた。


 七人で使っていた「新宿ダンジョン同窓会」は、帰ってきた日にメンバーが増え、十四人とダイダロスとイカロス、合わせて十六人になっていた。


 昨日のやり取りが、まだ画面に残っていた。


ダイ:新宿に行ってないやつもいるし、グループ名も変えないか


金子:イグザム迷宮と愉快な仲間たち!


大阪:自分らで愉快て


金子:イグザム迷宮! 全員集合!


大阪:もう集まっとるわ


和田:イグザム迷宮をしのぶ会


大阪:縁起でもないわ!


健一:イグザム迷宮同窓会、でどうですか


金子:それ! 全員入っとる!


 グループ名は「イグザム迷宮同窓会」に変わっていた。健一は最新の投稿まで戻り、入力欄を開いた。


健一:お願いがあります。保護施設のあの子に、登録用の名前が要るそうです。本人に選んでもらいたいので、候補を一人一つずつください。全部却下になっても、それでいいと思っています


健一:僕からは二つ。アステリオンと、アステリオス。古い神話に残っている呼び名で、同じ名前の呼び方違いです。どっちがいいかは、僕が決めることじゃないので


莉奈:アンタだけ二つ。ずるい。


大阪:一人一つ言うたん、健一くんやで


 健一は返信欄を開いたまま、指を止めた。返す言葉が見つからなかった。


金子:はいはいはい! ローリングサンダーアタック!!


大阪:技名やん


大阪:山田太郎。普通でええねん


和田:ポチ


大阪:ペットちゃうねん


和田:ほな、タイガ。タイガーの虎と、大河。強さと大きさや


莉奈:フラペチーノ! あ、待って フラッペ!


和田:フラッペ、かき氷のことちゃうん


ダイ:秀人。シュートのシュウト。最後は自分で決めるやつ、って意味だ


佐藤:エドモン。十四年閉じ込められて、外へ出て、生き直した人の名前です。後半の復讐のところは、真似しなくていいです


 十四、という数字を見て、健一の指が止まった。東京駅に集まった自分たちも、十四人だった。


輪島:栄光


金子:えいこう?


輪島:エコー


和田:当て字や


輪島:呼んだら、返ってくる


汐沢:アシッド。……うちのは却下でいい


イカロス:アイボー!! テレビで覚えた!! 一番近い仲間のこと!!


ダイダロス:アトラス(私が決めるものでもなかった)


 誰も、その括弧には返信しなかった。いつもの丁寧な言葉は、そこにはなかった。


 そのあとに届いたのは、

 山岸のイチロー(一番打者だから)、

 小保内のムサシ(大きいスカイツリーの六三四メートルで「むさし」)、

 テツのパワー(マーサに理由を訊かれて「強い」と)、

 マーサのリク(外をどこまでも歩けるように)、

 伊禮のレナート(生まれ直す、という意味だそうだ)だった。


 翌日の夜、健一は届いた順に、一枚に一つずつ候補をカードへ書き写した。十七枚になった。


 約束の日、保護施設を訪ねると、ミノタウロスが庭にいた。


 新宿で鎖が外れた時は十メートルあった身体が、東京駅で呪いを解かれて四メートルまで縮んでいた。それでも庭の木より高い。


 ミノタウロスは庭の隅で、座っていた。牛の頭を少し傾けて、花壇の花を見つめている。


 赤い目は──かつての濁りが薄れ、琥珀色の光が混じり始めていた。


「こんにちは」


 健一が声をかけると、ミノタウロスが顔を上げた。


「ムゥ」低い声。


 顔を覚えてくれているらしい。


 保護担当官が近づいてきた。電話で話していた書類を手にしている。名前の欄は、まだ空いていた。


 健一はミノタウロスの前にしゃがんだ。座ったままでも、顔は健一よりずっと高い。牛の頭が、ゆっくりとこちらに向いた。


「名前、ほしい?」


 どこまで言葉が通じるかは分からない。それでも声のトーンは伝わる。伊禮が言っていた。「声に感情が乗る」と。


 少しだけ首を傾けてから、頷いた。人間の動作を覚えたらしい。言葉より、声の調子に応えたのかもしれない。


「うん。……みんなから、候補を預かってきた。聞いてくれる? 嫌なら首を振って。全部嫌でもいいし、今日決めなくてもいい」


 健一は鞄からカードの束を出した。読んだ順に、彼の前の芝生へ一枚ずつ置いていく。


 最初の二枚は健一の分だ。「アステリオン」「アステリオス」

 どちらの時も、身じろぎしなかった。

 赤い目が、二枚のカードと健一の口元を行き来しただけだった。


「ローリングサンダーアタック」「山田太郎」「タイガ」

 三枚続けて、首を横に振った。


「フラッペ」

 首が横へ動くまで、一秒だった。

 健一は次のカードを手に取り、この反応だけは莉奈に黙っておこうと思った。


「シュウト」「エドモン」「エコー」

「エコー」で、短い声が返ってきた。「ムゥ」

 呼んだら、返ってくる。

 輪島の言ったとおりになって、健一は少し笑った。

 彼も鼻を鳴らした。それでも、首を横に振った。


「アシッド」は出した本人が却下でいいと言っていた。

 彼も首を振った。


「アイボー。……イカロスくんから」

 イカロスの名前で、赤い目が施設の窓へ向いた。

 小さく鳴いただけで、首はどちらにも動かさなかった。


「アトラス。ダイダロスさんから」

 施設の方をしばらく見てから、首を横に振った。


 「イチロー」「ムサシ」「パワー」「リク」「レナート」

 残りのカードも芝生に並んでいった。

 彼はどれにも首を振ったが、振り方は少しずつ遅くなった。

 聞いて、考えてから振っている。


 十七枚が並んだ。


 彼は長いあいだ、芝生の上を見ていた。


 それから大きな手を伸ばし、


 端の二枚──最初に置いたカードの上へ、指を下ろした。


「アステリオン?」


 首を横に振る。


 指が、隣の一枚へ移る。


「……アステリオス?」


 今度は、頷いた。


 どうしてそっちなのか、健一には分からない。

 違うのは最後の一音だけだ。でも、分からなくていいと思った。

 理由は、彼の中にある。


「この名前にする?」と訊くと、彼はカードに指を置いたまま、もう片方の手で自分の胸を指した。


「アステリオス」もう一度呼ぶと、赤い目がこちらを向いた。


 四メートルの身体が、花壇の前で少しだけ起き上がる。


 健一は保護担当官へ顔を向けた。


「本人が決めました」


 担当官は書類を開き、空いていた欄へペンを置いた。


 選び終わってから、意味を話した。


「星、っていう意味の名前なんだ」


 昼の空を指さして、指先を小さく開いたり閉じたりした。


 彼はその指を見た後、自分の額へ左手を当てた。健一は指を閉じ、その手が下りるのを待った。


 カードを集めようとすると、大きな指が一枚だけを押さえた。


 彼はアステリオスのカードを、そっと掌に載せた。


 大きな掌の真ん中で、小さなカードが白く見えた。


 帰り際、ダイダロスに話しかけた。


「ダイダロスさんは──あの子を名前で呼びたいと思ったこと、ありますか」


 ダイダロスは長い沈黙の後、答えた。


「食事を運ぶたびに、呼ぶ名がないことは分かっていた。だが、私も呼ぼうとしなかった。……あの子が欲しがっているか、訊こうともせずに」


「でも今回は、候補を出してくれました」


「括弧つきでな」


 ダイダロスの口元が、わずかに緩んだ。


「今は、あの子が選んだ名前で呼べる。……アステリオス、か」


 健一は頷き、庭の方を見た。


 庭に戻ると、


 保護担当官が書類の空いていた名前の欄へ、


 本人が選んだ名を書き込んでいた。


 ダイダロスが「アステリオス」と呼ぶ。


 アステリオスが花壇から顔を上げ、


 ゆっくりと頷いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。