29話 囮の姫は静かに嘲笑う
後だしを狙い定めた発言。
この瞬間を待ち望んだ彼女の艶を含めた目線は、静かに静かに弥彦に向けて。
敵対を明白にした他者を覆させる唇が開く。何処かにやついた、極寒に劣らない表情は誰かの失敗を助長させるために仕込まれていた。
「茅月さんは何も知らないんですね」
困ったようなあどけた素振りを魅せる風紀委員、―――西園寺紬妃。
自身の頬を手を当てて首を微かに振る。とても残念そうな様子と共に理世に目線を送る。その中にある策略は理世が抱えるストレスを促す。間違いない。現在進行形で彼女は喧嘩を売っていたのだ。
明らかに誤爆を引き出そうとしていると。
「な、なんなの。まだ焦らすの? こんなのいつまでも埒が明かない。貴方が正論で逃げてるだけじゃ……。本当は言い返せる言葉が見付からないんじゃない?」
「言い返す言葉を失いたいんですか? 茅月理世さん?」
両者の意見は譲れない。
拮抗するばかりの反論に蚊帳の外にいた弥彦はため息を吐く。流石の極限状態を止めるべく、仲介を挟むことに専念。知らずに術中に嵌まった理世を庇う。最悪の場合、恋路部が廃部してしまう恐れがあるからだ。
嫌な予感がした。
彼女を守らなければ間違いなく勝敗が決まってしまう。
「少しは落ち着いた方が身のためだ、茅月―――」
互いが睨む視界を遮ろうとして。
前に翳した慈悲と敬意を示した手が、呆気なく誰かによって弾かされる。
予測不可能だった。
思わずの出来事に弥彦は口を開ける。
小さな晴天の霹靂を照覧するギャラリーの顔色も変化が訪れた。送る言葉が見付からず絶句し、独特の静寂はただならぬ緊張感を引き起こす。
契は両手で口元を覆い声を塞ぐ。
ベルティーユは驚愕の表情で目線を交わし、混乱は冷めない。
七弦は恐ろしいぐらいに静観していた。
そして、守る為に翳した手を弾いた茅月理世は、確かに声が震えていた。
「……落ち着いた方がいい? そんなの、出来るハズがないでしょ!?」
切羽詰まった心の叫びが爆発。溢れ出した感情は無意識にぶつけて。それが共に時間を過ごす部活仲間であっても、時に本音は誰かを傷付けてしまう。
矛先は掛け離れている。
「だって、どうして貴方が侮辱されなきゃいけないの!? 悪いのはあの人。新藤くんのこと何も知らないクセに! 他人を平気で馬鹿にするのは大ッ嫌いッ!! なんで優しい人が、理不尽な目に会わなきゃならないの……?」
問い掛ける眼差しは親しい人を問い詰めて。
待望する言葉を彼女は待っていた。解決に導く理想の転校生の声を。
「新藤くん、どうして……?」
今にも泣きそうな弱々しい表情を見せても、弥彦はただただ、見据えている現実を潔く受け入れるしか逃れられる方法を決められていた。
転校する前から理解していた事だ。
別に優しくなんてない。誤解した者を改心させているだけ。単純な意識の改善を促す作法を身に付ける為だけに弥彦は恋路部を任された。問題児の多い青春に悩める子羊達を、外れた道を進まないように。
欠けたピースを埋める適合者に過ぎなかった。
だからこそ、彼女は救えない。彼女自身が変わらなければならない。
答えは既に経験している。
「あらあら、あなたは彼をその華奢な手で傷付けちゃいましたね」
追い討ちを畳み掛けるような無慈悲な言葉が炸裂する。
寡黙を続ける弥彦を知って、悔恨を味わう理世の姿に便乗した紬妃は軽蔑を含ませて嘲笑う。茶番を見ていた滑稽さに拍手を送っていた。
これもまた予定調和の内に過ぎないと言わんばかりに。
彼女はようやく説明する。
「手のひら返し。茶番。恋路部の廃部。全ては私の自演自作、という訳なんです。あなた達が本当に相応しい人物なのか、ちょっとだけ試してみました」
「つまり試していたの? 恋路部のみんなを?」
憎悪と嫉視を含ませる感情の挙措を抱えなかった契が訪ねてみた。
すると話が分かる相手が見付かったことが功績に成り得たのか、温度差の激しい態度を示す。
「ええ。実は、見聞する理由が私達風紀委員にありまして。生徒会から評価の高いという、恋路部の皆さんに是非お目に掛かりました。……彼が試行したように」
生徒会の言葉に疑いを寄せた。
互いの勢力はどのような関係なのか気になる。世間の言葉とやらを。まさか情報が筒抜けされているのでは、そう思案を巡らす弥彦は静かに危惧していた。
何か裏がある、と。
「……試行、か。聞き捨てならないな」
「ごめんなさいね。なぜ貴方が他人に対して絶大な効果をもたらすのか。純粋に疑問を抱えただけですよ。しかしながら成果は覿面でしたが」
怖い怖いと呟いて軽くあしらう紬妃は、それでも退屈に見えた。
試練。
かつて彼女達に向けた自分自身へのテスト。
様々なキッカケを与え、解答を見付ける為の厳かな挑戦。決して簡単ではない問題を望む意欲を引き抜いて。
逆手に取って辣腕な試練を与えた。
そしてその結果は相手を見定める選別だった。
見事に術中に騙された理世とダシにされて寡黙の弥彦。最後まで状況について動じなかった契の三者三様を、見届けた彼女達は啓蒙する。
「……やはり、貴女方では新藤くんを活かし切れませんね。どうも偏りがある。なんて言うのでしょうね。信頼? それとも尊敬? 知らずに執着してるのを分かってますか?」
「少なくとも君に頼り過ぎ。そういうこと」
恋路部の欠点を暴く。
それが風紀委員の狙いとしたら、恐らくは死守出来なかったハズだ入部を希望してきた二人はかつて依頼を申し込んだ側。当然他者の配慮は実力不足になる。そこで部長であり唯一の実力がある弥彦に頼るしか方法はない。
むしろ、頼らざる負えない状況下を作り上げた弥彦が一番の原因なのか。
彼女達を守りにね徹してしまったから。
「彦くんに頼り過ぎかぁ。確かにそうかも。もしも依頼が来たら彦くんに頼っちゃうよ。多分今日も明日もお願いしてるかもしれない」
意外と自覚していた契は反省点を述べる。
だが彼女は今回の依頼人である世良に協力的で、むしろ努力をしてる方だ。頼りない部長よりも行動力があるのは契の方かもしれなかった。
問題なのは怒りに任せてしまった理世だ。
八つ当たりに近い尖った感情は抑え切れず、煮え滾るばかりだ。
「頼り過ぎ、ですって……?」
「西園寺さんが言うには貴女達は実力不足なんだって。誰かを選択を促す行動力がないとか。私が言える義理はないけれど、彼に矛先を向けるべきではなかった」
「う、ぐ……」
憤怒が途切れる風紀委員長の発言が、理世のしてきた意味が否定される。
転校生であり部長である人物を傷付けた。一番近い存在を自らの手で否定してしまった一時期の心境は、間違いなく本物。
間違いなく本物だったのに。
「あなたはまだ弱い」
「……」
喜怒哀楽は彼女の物なのに、弱さが上回ってしまった。
「だからこそ貴女方は風紀委員に属するべきだわ。その勝手な怒りが証拠。独りでは弱いもの。けれど、彼は違った。彼は誰でも介しない孤高の存在。独りの方が相応しいの」
「弥彦は友達とかいないのかな?」
能天気に横槍を入れたベルティーユに弥彦は忽ち呆れる。
話を戻せば彼女達は理世と契にスカウトに来てる事。メリットは風紀委員の勢力の増加だ。デメリットなのは圧倒的に恋路部で、唯一の女性陣が削がれてしまう。
「それで、恋路部を潰してどうする気だ?」
「廃部というよりも、そうですね。恋路部は残したいんですよね……」
悩ましい様子の紬妃。
異性に対して明らかに腰が低い。
潤滑して欲しいと言うが一人では負担が掛かるというのに。現在依頼を受けているストーカーの件が台無しになってしまうではないか。
支離滅裂な願望に、弥彦は返す言葉は吐き捨てた。
「何言ってんだ。恋路部なんて必要とする人が居るとでも思ってんのか」
「必要とする人は居ると思いますよ? 特に、貴方自身がね」
「……なんだと?」
和やかに微笑む目の前の彼女が妬ましい。
これほど他人を嘲笑いして、今度はプライドを根刮ぎ奪うつもりだ。
「まさか」
他人を意図も容易く傷付けておきながら。
紬妃はまだ企みを隠している。
二人の風紀委員への所属というよりも、個々の力に秀でた弥彦に要望を出してきた。つまり、簡単に言い換えれば、他の二人を含め枢軸となる人物をあらかじめ勧誘していたとすれば。
最初から狙いは決まっていて。
こうなる事を事前に想定していたというのか。
「新藤くん、……いいえ。弥彦くん。貴方が風紀委員長になって欲しいんです」
震える唇は『誰か』の為にあった。




