14話 悪意のある鞭と善意のある飴
見事に遅刻した。
「どうした、お前。道の途中で子猫でも見付けたのか。馬鹿か? 真面目にやれ」
「……すいませんでした」
鋭利な目付きをした担任の秦村が見下すようにして言葉が告げられる。
それは圧倒的屈辱だった。
今まで一度も遅刻なんてしたことが無かったのに。集中砲火に向けられるクラスメイトの疑心暗鬼の目線が鬱陶しく思えてしまう。適切に謝っても、それを反した冷たい態度だけが教室中に満たされるだけ。
チャイムが鳴っていた時点で流石に望みが薄れていたか。
風紀委員長との無駄な談笑を繰り広げた結果、大切な何かを失ったような気がしてならない。その衝撃は意図も簡単に痛感してしまう。
自身の席に戻れば群衆のざわめきが面白いように蠢く。
相手には聞こえない程度で偽物の噂を広めてしまうのだから本当に質が悪い。
だからこそ、余計な一言が蔓延するのだ。
「やっぱり何か問題を起こしたんじゃないの? マジでヤバいでしょー」
「確かにそうかも。だって怖いし……」
特に新キャラ野郎は簡単に人の印象を軽蔑し、自分より劣るものには隠す気なく嘲罵していた。それも性格が台無しレベル。印象操作の権毛か。一方で軽はずみな発言によって金髪JKの香子は素直に怯え始める。見た目と性格がキツそうなくせに反応が乙女レベルでした。
しかし新キャラはそれを許さない。
「どうせの保護観察中の転校生なんでしょ? だって全部怪しいし? アタシなんとなく分かるもん。こんな時期に転校するなんて訳アリしか他にないじゃん!」
無意識に他人を貶してくる。
悪口にも程がある。
それぐらいの範疇で反応したら弥彦の負けだ。これは相手のワナだ。獲物を近寄らせるには餌を使う。この場合は安い煽りで阿呆を注目させ、クラス全員で集中砲火でメンタルをズタズタにさせる未来しか浮かばなかった。
賢明な手段を取る。弥彦は挑発に乗らない。
沈黙を貫き、携帯端末の画面を眺めては状況が去るのをひたすら待つ。
(これなら誰も咎める理由を探らない。何せ同じクラスメイトなのに平等に扱って来なかった。そう簡単に話し掛ける勇気を持っている人は少ない!)
今までの学校生活を繰り返すだけ。
転校初日から失敗した者に何も恐れるものはない。優劣を決める地位は捨てた。
独りぼっちはとっくの昔から慣れていた。
冷静さを保つ弥彦。まだ余裕。微笑を浮かべながら他人事みたいに過ごす。時折メガネを掛け直しながら優雅に時間を潰そうとしていたが、
「大体誰? っていうかマジでクラスメイトだと思ってんの? 無言キャラとか全然求めてないんですけど! 図星言われて顔真っ赤はマジやばたにえん! やっぱり萌佳って実は天才?」
ちょっと待て。なにこの酷い言われよう。
完璧に転校生に対して貶していた。それも恐ろしいぐらいに堂々と。
無自覚に話す様は自分が正しいと思っているのか悪びれる様子もなく、正々堂々と印象を濁す彼女はクラスメイトの反応を誘い出したのだ。
味方となる同級生の反応を伺い、服従させようとする一方的な独占欲。
反感を買えば結果は悲しい方向へ見透かす。
そんな滅茶苦茶な雰囲気に耐えきれず、一部のクラスメイト達は乾いた笑い声を教室に響かせた。しかしノリが悪いのか萌佳という少女は彼らに対して蔑視する。一切関係ないのに巻き込んでいた。
「どうしたの? アタシ何も間違っていないけど。文句あるの?」
発言と性格が間違っていると言いたい。
間髪を容れずに挑発を売る少女はとにかく有頂天。まるでクラスの女王だった。
「……中島。生活指導について志願したい様子に見えるのだが」
「いえいえ~。こんなものジョーダンに決まってるじゃないですか先生ひくわー」
あっけらかんとした態度で注意を受け流した中島萌佳。こめかみに小さなグーでこつんとぶつけてはどじっ子をアピール。コイツ全く反省していない。
「とにかく、遅刻は罪だ。二度とするな」
「……分かりました」
強制的に秦村の叱咤を受けて、通常のHRの時間を取り戻す。
偽物の笑顔で取り繕う中で何よりも異質だったのは本物の女王である鈴ヶ森美雨とトップカーストに君臨する相澤契の二名だ。
彼女らは転校生の遅刻に関して興味を示していない。
眼中に入っていないように見受けられる。
女王の美雨は昨日のストーカーの件について終始感心そうに語っており、現実とは異なるミステリー系が好みのよう。契の方は蚊帳の外の認識なのか隣の席の女子と楽しそうに会話を弾ませていた。
流石はトップカースト。相手を見る目が違う。
それに比べて弥彦は技術の差を思い知らさせた。そのショックは大きいものに。
(悪いことなんてしてないのに……)
今までの努力が無駄になってしまいそうな、謎の倦怠感が襲ってくる。
出席の時間はあっという間に終わる。暫しの解放に活気が満ちる教室はいつものように賑やかで。新しい話題に持ちきりの彼らは遅刻した転校生など、構う必要性も皆無であった。
所詮、ネタ要因。
散々馬鹿にした挙げ句使い捨ての運命からは逃げれらない。
たとえクラス替えさえも高校にいる限り、不遇の人生を謳歌するのは孤独を慣れている弥彦でも耐えることはない。
その原因を含め、前の学校を転校してしまったのだから。
何が正しかったのか未だに分からない。
「本当に付いてないな……」
ショックから立ち上がれない弥彦。容赦のない過去のトラウマが蘇るばかりに。後悔した辛い思い出だけが残る一年間に、愛着など存在しなかった。
あの殺伐とした弱肉強食の連鎖が成長の糧になるものか。
絶対にあってはならない。
既に高校生活に期待を抱かなかった弥彦は初心に帰り今まで通りに平凡な高校生を演じ続ける。自ら喋らなければ、きっと誰も不幸にはならないだろう。
そんなわずかながらの配慮を。
弥彦なりの解決策を簡単に瓦解させる人物は、意外な一面を持っていた。
背後を軽く叩かれた。
「あー、転校生くん、さっきのことは別に気にしなくてもいいよ」
賑わいに満たされる教室にぽつりと告げた些細な言葉。
喧騒と変わらない騒音の中で確かに聞こえた誰かの声。然りと届いた弥彦は顔を静かに上げる。その正体を知る権利を得た弥彦はポーカーフェイスで振り返る。
正直、警戒していた。
今日までに教室で適応な反応をする人物がいるなんて。
世間では当たり前のことだ。赤の他人と話せるくらい。この経験が異常なのだ。歪んだ高校生活で正しい行いをしようが返ってくるのは奇妙な目線。それはまるで檻の中に監視された動物のように、単独行動は罪であり、決して許される意味などないというのに。
声を掛けた主、鈴ヶ森美雨は暗黙の了解をブッ壊してみせた。




